epilogue. 一番かわいいのは - It’s so cute -

 姉さんが多くの人を傷つけ、殺し、魔人となって去ってから一週間が経った。

 私は今、総合病院の一室で、目を覚まさない桃也の横で椅子に座って彼の寝顔を眺めながらりんごの皮を剥いている。

 私もまた姉さんにより傷を負わされたが、私の傷はそれほど深くなかった。病院の先生曰く、傷跡が多少残るくらいだとのことだ。

 一方、桃也はというとひどい重症だった。

 連戦により消耗した体力の中、左眼と右腕まで失った。しかも右腕に関しては自分で引きちぎったらしい。そしてその後も傷だらけで戦い続けた。

 戦いが終わり、一命は取り留めたものの、その後眠るように意識を失ってから今もまだ目を覚まさない。

 現在では命に別状はない状態まで持ち直しているので、ただ寝ている状態に近いらしいのだが、傷が傷なので意識が覚醒するにはもう少しかかるかも、とのことだった。

 戦いの後、処置をした先生曰く「出血量も傷の深さから見ても何故生きているのか不思議」らしい。

 でも私にとっては、不思議ではなかった。

 というか、不思議なことを言ったりやったりするのが桃也だと思っているので、不思議な状態が桃也の普通だと思っている。

 思えば桃也という男の子は昔からそうだった。

 普段はボーっとしてることが多いし、口数も多いほうじゃない。勉強もできなくはないが、私や姉さんと比べれば要領はあまり良くないほうだと思う。

 でも、考え方が独特だな、とは昔から思っていた。

 そして、その独特な考え方に私や姉さんは何度も救われている。

 両親が契約犯罪者に殺されて、私たちの心は大きく傷ついた。一番深く傷ついたのは姉さんで、事件からしばらく経ってもただベッドの隅で一日座ってばかりだった。

 私はそんな姉さんに立ち直ってほしくて何度も何度も語りかけた。もちろん、会話には応じてもらえる。でもそれで姉さんが立ち直ったわけではないのは、当時の私にもわかっていた。

 ある日、桃也が一枚の紙切れと共に姉さんの部屋にやってきて言った。

「小夜ねぇはディー・ペイン?とかいう組織に入ればいいと思う」

 紙切れは採用募集の用紙だった。それが始まりだった。

 その後、少しずつ姉さんは持ち直していった。私はどうして姉さんが立ち直ったのかも、どうして桃也がD-PAINを勧めたのかもよくわからなかった。

 だから聞いてみた。

「小夜ねぇの悲しみは自分自身に向いている。だから、まずは他人に向けたらいいんじゃないかと思ったんだよ」

 桃也はそれを「方向性の問題な気がする」とも言っていた。

 ますます私にはよくわからなかったけど、ただ、すごいなと思った。

 今回の事件に関してもそう。

 私にはわからないことばかりで、ただただ、状況に対応するだけだった。どうしたら良いかわからずにパニックになりかけた。

 それはきっと桃也も同じだったと思う。でも彼は自分なりの答えを出した。

 たとえ殺すことになっても姉さんを今ここで止めるべきだ。

 それが彼の選択だった。

 そして、もしかしたらその判断は “私のため” だったんじゃないかとも思う。だって私には自分の実の姉を殺すという判断は、どんなに追い詰められてもできなかった。

 あの時、姉と戦う決意はできた。ここで姉を止めるという強い決意だ。

 だが今になって振り返ってみれば、戦った後、どうやって姉さんを止めるというのか、その方法までは考えていなかった。いや、そもそも考えないようにしていたのかもしれない。

 あそこまでねじ曲がってしまった姉さんの思考は、あの場では決して正すことはできなかっただろう。

 だとすれば、あの時あの場でできることは姉さんを殺すことだけだ。

 今になって、そう思う。

 きっと彼は、私の代わりに本来私がするべき決断を下してくれたのだ。

 そう考えると、彼が失った右腕は私が捨てさせたようなものなんじゃないかって、そう感じて心が苦しくなる。息が詰まりそうになる。

 気づけばリンゴの皮はむき終わっていた。

 うさぎ型のリンゴがお皿に並ぶ。

「美味しそうなのダ」

 ポコン。という音と共に、ベッドで眠る桃也の頭上に彼の悪魔であるアラガミが現れた。

「アラガミ」

 アラガミという悪魔は不思議だ。普通、悪魔は契約者の心の中を住処とし、契約者が意図的に召喚しない限りは出てくることができない。

 にも関わらず、アラガミだけは自分の意思で勝手に出てくるという。しかも今、桃也は眠っている。契約者の意識がないにも関わらず、悪魔が勝手に歩き回るというのは実はかなりおかしな状況なんじゃないかな。契約者が変わっているから悪魔も変わっているのかな。

 実は “契約してない” とかだったりして。そんなわけないか。

「吾輩も食べてみたいのダ」

「いいよ。はいどうぞ」

 もともと桃也は目を覚まさないし、手先の簡単なリハビリも兼ねて自分用に剥いたものだ。

 私は自分用に一つだけ手に取ると、残りのリンゴが乗ったお皿ごとアラガミの方へ置いた。

「ありがとうなのダ!」

 待ってましたと言わんばかりにアラガミがうさぎ型にカットされたリンゴを一つ手に取り、かぶりつく。

 アラガミの体と比較すると、リンゴはアラガミの体の半分くらいのサイズなのに、食べたものは一体どこに収まっているんだろう?

「ジューシーで美味しいのダ! でもなんで生き物みたいに切ったのダ?」

「生き物?」

 ああ、リンゴをどうしてわざわざうさぎ型にカットしたのか、って意味かな。

「その方が美味しくなるのダ?」 

「ううん。私はね可愛いものが好きなんだ」

 可愛いは正義。

 リンゴだってうさぎ型にカットすれば途端に可愛くなる。

 切り方一つで可愛いが生まれるのはすごいことだ。可愛いの懐は広い。

「可愛いものとは例えば何なのダ?」

「子猫とかハムスターとか小動物は無条件で可愛い。ふふ、アラガミもぬいぐるみみたいで可愛いよ」

「失敬なのダ。吾輩は『可愛い』ではなく『格好良い』なのダ」

 可愛いことを言う悪魔だ。でも、まだまだ甘いなぁ。

「わかってない。『格好良い』も広い『可愛い』の中にある可愛いの形態の一つに過ぎない」

「むむ……難しいのダ! 陽菜は桃也より口が達者なのダ!」

 基本的にアラガミは無表情だ。

 というか、ツノと目と口がぬいぐるみのような頭部にちょこんとついているだけなので多分感情を表すパーツが足りないのだろう。

 そんなアラガミの感情は読みづらいが、私の言葉がアラガミには難しかったらしく、珍しく困惑したような返答だった。

 そんなところも可愛い。

「可愛いはいっぱいあるんだよ。ちょっとだけ可愛いとかすごく可愛いとか、大小もあるしね」

「わかるようでわからないのダ。じゃあ、陽菜にとってイチバン大きい可愛いは何なのダ?」

 一番大きい可愛い? 一番可愛く感じるのは何か、ってことかな?

 だとしたら答えは随分前から決まっている。

「一番はもちろんあるよ」

「何なのダ? 子猫なのダ?」

「なんて言ったら良いんだろう。モノじゃないんだよ。強いて言うならギャップかなぁ」

 私は人差し指を顎にあて、天井を見上げるようにして頭の中に一番可愛い人の魅力について思い描く。

「ギャップ?」

「うん、普段は天然っぽいけど、いざという時は誰よりも頼りになる判断をしてくれる、とか。不器用なんだけど、でも私にはできないことをやってくれる、とかとか。そういうギャップがある人が一番可愛いと思う、かな」

 私にとっての一番は、そういった魅力に溢れる人だ。

 その人のそういった可愛さを見出すたびに背中を抱きしめたくなる。

 頬ずりして匂いをかぎたくなる。

「……」

 アラガミは無表情のまま無言になってしまった。

 アラガミにはまだちょっと難しかったかな?

「難しいのダ! 陽菜の話は難しいのダ! 吾輩はおバカな桃也を見下して話すぐらいがちょうどいいのダ! 桃也、はやく目を覚ますのだ!」

 アラガミは早口でそう言うと背中についた羽をパタパタとさせ空を漂うように桃也の頭上へ移動したかと思うと、その短い手でペシペシと桃也のおでこをはたき出した。

「ふふ、そうだね。はやく目を覚ましてね? 桃也」

 私も便乗して人差し指で桃也のおでこをツンとつつき、今日もまだ目を覚まさない一番可愛い彼に呼びかけるのだった。

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いつかキミを殺すまで 田中まいだす @tanaka_midas

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