第10話
十月の東京は、残暑の厳しさも和らぎ涼しい日となっていた。
沖縄から東京に戻って来たあきらは、千秋を東京ディズニーランドへ連休中に誘うことにし、早速、千秋の携帯にかけたのであった。
「もしもし、千秋、今度は東京ディズニーランドに行こ~よ!」
「東京ディズニーランド連れて行ってくれるの? 楽しみっ!。」
「良かった~。沖縄であんな不甲斐ない有様だったから、もう愛想つかされてるかと思ったよ。」
「ほんとね、私じゃなきゃ、とっくの昔に葬り去られてるところね。」
千秋は明るい声ではあったが、ちょっと含みのありそうな感じにも聞こえたので、あきらは、
「えへへ、かたじけない。今度は汚名挽回で頑張るね~。」
と言ってみた。
すると、
「ちょっとちょっとー、頑張らなくてもいいわよ。期待なんか、ちっともしてないんだから・・・。」
と、千秋は、慌てた調子で答えた。
「相変わらずだなー。そんじゃ、今度の土曜日にね。」
「おっけい、今度の土曜日にね。」
と言って、お互い電話を切った。
その日は朝早くから目が覚めて、早い時間に行って一日楽しもうと思っていたあきらの心は、期待で張ち切れそうだった。
千秋と合流したあきらは電車を乗り継いで、東京ディズニーランドに行った。
パレードを観たり、他のアトラクションを見たり、ディズニーランドの中を歩きまわる間、千秋はずっとニコニコしていた。
そして、あきらが回りを見渡すと、園内の湖を遊覧するアメリカ情緒を漂わせた蒸気船が目に止まった。
「千秋、マーク・トゥエイン号に乗ってみないかい?」
「いいわね、乗りましょう。」
「よし!」
あきらは、チャンスだと思っていた。
「私ね、英会話うまくなりたいと思って、高校一年の夏休みは、ずっとアメリカでホームステイしてたの。ニュー・オリンズに行ってたんだけど、蒸気船が懐かしいわ。」
千秋は、遠くを見つめるようにしていた。
「そうなのか、俺も一度、ニュー・オリンズ、行ってみたいな。」
「昔のアメリカの雰囲気が残っていて、とてもいいところよ。」
「だろうね。」
二人は、並んで待つこともなく、すんなりと船に乗ることができた。
マーク・トゥエイン号がゆっくりと動き出し、あきらと千秋は、一番上のデッキに上がり船べりの手すりに持たれながら景色を眺めていた。船が湖の中央部に来たところで、千秋があきらに言った。
「綺麗な景色だこと!」
「ほんとだ、綺麗だね。」
あきらは、千秋の方ばかりを見ていた。
「あきら! 景色見てないじゃない!」
「バレちゃったか、まわりの景色より千秋のほうが綺麗だからだよ。」
事実、真っ白いロングのワンピースを纏った千秋の姿は、夕陽を背景にして美しかったのだ。
「あきらったら・・・。」
そのあと千秋の言葉は続かなかった。
千秋の唇にあきらの唇が重なっていた。
夕暮れが迫るなか、あたかも外人さんのように人目も憚らず、今までのキスとは違って、この日のキスはいつになく激しかった。
あきらは自分の千秋への思いを、このキスで伝えようとしていたのだった。
唇を離した後も、二人はなんとなく体を寄せ合っていた。
このすぐ後の展開を予想だにできずに・・・。
マーク・トゥエイン号を下りてから、最後にもう一つアトラクションを楽しむ時間が少しあったので、あきらが訊いた。
「千秋、最後は何に乗りたい?」
「スペース・マウンテンがいいわね。」
あきらは、一瞬動揺した。
スペース・マウンテンがどういう乗り物であるかは、パンフレットを事前に読んでいて、漠然と知ってはいたが、具体的にどういうものなのかまでは、あきらには分からなかった。
そして二人はスペース・マウンテンに乗りに行った。
暗い建物の中をジェットコースターが走るのだが、回りはプラネタリウムのように三八十度宇宙空間の映像が映し出され、まるで宇宙の中を走っているような絶叫系であった。
千秋は、
「きゃっ!」
と言って、可愛く自然にあきらに手を絡ませてきた。
しかし、あきらの顔色は次第に真っ青になっていった。
スペース・マウンテンから降りるとすぐ、あきらは気分が悪くなって、ひどい吐き気に襲われ、地面にしゃがみ込んでしまっていた。
寒気がする上頭痛もし始め、今にも倒れそうで、とても立っていることが出来なかった。
もはや、この現状から逃げたくて脱却したくて、パニック状態に陥っていた。
そして、心配してあきらの顔を覗き込む千秋に対し、言ってしまったのだ。
「俺にかまうな! ほっといてくれ!」
あきらには、苦しさのあまり自分が発した言葉を後悔する余力も全くなかった。
千秋も、困惑した表情を隠せないでいた。
すると、近くにいた係員が駆け寄り、
「どうしました?」
と言って、あきらを救護室に運び込んでくれたのだった。
救護室のベッドであきらは、しばらくの間、横たわっていた。
その側で、千秋はずっと立っていた。
「あきら、気分はどう? 大丈夫?」
「うん。」
「だいぶ落ち着いてきてるみたいだから、もう心配はないと思うわ。」
「うん。」
「沖縄でも、そうだったのね。」
「ああ・・・。」
「そう・・・。」
「あなた、乗り物酔いした訳じゃないでしょう。」
「うっ。」
「本当は、閉所恐怖症の暗所恐怖症だったのね!」
「・・・。」
「だから、あの時、沖縄で残波岬だったんだ~。ホテルでも何も答えなかったのね。」
「・・・。」
「怖かったでしょう? それならそうと初めから言ってくれれば良かったのに。無理しちゃって、ばかね~。」
千秋がそう言っても、あきらは、全てに対し完全に心を閉ざしていた。
まさか、二十歳を過ぎて、千秋と二人で入った沖縄の窓のないラブホテルででも、東京ディズニーランドのスペース・マウンテンに乗ったこの日も、閉所恐怖症の暗所恐怖症が原因となって、あきらの恋の妨げになるとは思ってもみなかった。
閉所恐怖症の暗所恐怖症で、これからどうやって千秋との恋を成就することができるのか?
そのことを千秋が知るところとなってしまった今、このままずっと清い関係で続けて行くことを、心身共に健全な彼女が許容してくれるのだろうか?
ノーマルな形では、男としての責任を果たすことができない自分を。
自分は、彼女が嫌がるのも無視して、明るい中で、広いところで、人目も憚らず、我慢し切れずに、獣以下になって、強要してしまうのではないのか?
誰にも相談できないことも、あきらには分かっていた。
考えれば考えるほど、もはや、あきらは千秋に対して全く自信を失っていたのだ。
自分のなかで男としてのプライドが崩れ落ちた状態で、どうやって彼女と付き合って行けばいいのか?
千秋にしてもどうすることもできない、あきら自身の心の病が引き起こす問題だからだ。
あきらは、自らの閉所恐怖症で暗所恐怖症を克服することができなければ、如何なる女性と付き合っても、自分の恋が成就することはないと思っていた。
救護室のベッドから窓の外を見上げると、シンデレラ城の上に花火が上がった。
レーザー光線が夜空を照らし、花火が何発も上がっていた。
その華やかに夜空に広がる花火を、あきらは虚しく見つめるだけであった。
そしてあきらは、千秋とも 『これでお終いだ・・・』、と悟っていたのあった。
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