第2話
翌日、あきらが自分のアパートでだらけていると突然携帯電話が鳴り出し、でてみると、それは理工系の別の大学に通う友人の隆史からであった。
大学では体育会スキー部に所属している彼とは、あきらが浪人していた時期に高校のクラスメートの紹介で知り合あったのだが、北海道の帯広出身であったことが良かったのか、なぜか気が合う友人となっていた。
「よう、あきら、俺だよ俺!」
「ああ、分かってるよ。隆史だろう?」
あきらは、かったるそうに答えた。
「何だ何だ~? どうしたんだ? 元気のない声だな~。」
「そうなんだ。実は、昨夜例の彼女に告白したんだけど、見込み薄だよ。自信あったんだけどな~・・・」
「そうか、でも気にするなよ。」
隆史は興味なさそうだった。
「他人事みたいに言うね!」
「だって他人事だもん(笑)。」
「大した友達だよ、隆史は!」
「ははは、そんならさー、今度の土曜の晩に六本木のクラブで日桜大スキー部主催のダンスパーティーが六時から九時までであるけど、券買って一緒に行かねーかい?」
「ダンスパーティーね~。」
あきらは、あまり気乗りしなかったが、隆史は、
「このまま何もせず、暗くなってても、しょーがねぇだろう、行くべぇ!」
と、熱心に誘ってきた。
この時期になると毎年、どこの大学でも一部のサークルでは、学園祭前後は資金集めのため、六本木や渋谷のクラブを借り切って、盛んにダンスパーティーが開かれていた。
あきらは、どうせふられるのなら、別の出会いがあるかもしれないダンスパーティーに行った方がいいと思った。
ちょっと気持ちに余裕を持つことが出来て、友美に接した時、気まずくなることもないだろうと思い、自分を元気づけようと気を使ってくれた隆史の誘いに乗ることにした。
当日になり、あきらと隆史は二人で、六本木のクラブで行われたダンスパーティー会場に時間的余裕を持って向かった。
そこは、とあるビルの地下一階にあったのだが、地上から地下に降りる階段に黒服のメンバーが二人立っており、入店する客をチェックしていた。
と言うのも、そのクラブは、通常の営業でも、運動靴・ジーンズでは入店禁止、加えて男性客だけの入店も認めてくれず、男性客は女性客同伴でなければ入れてくれないことで有名な店だった。
その営業システムは、店を貸し切り、学生が主催するダンスパーティーで、たとえそのチケットを持っていたとしても同じ事だった。
ここまで歩いて来たところで、隆史がポツリと言った。
「このクラブよー、言い忘れてたけど、女の娘と一緒でないと、入れてくんねぇ~んだよな~」
あきらがびっくりして、
「えー! 本当か? それをチケット買う前に言わんかい、全くよー。」
と言うと、隆史はそんなことは意にも介さずに、
「悪い悪い、そんじゃ~、そこいらの女の娘に声かけてみるっぺか。あきら頼むな!」
と本心を露にしてきた。
「何だよ、俺がやるのかよ。そんなこと、怖くてできね~よ~。」
「お前よー、彼女に告白して、ふられたショックで、今週は一回も学校行ってないんだろう? いつまで逃げるつもりなんだ? このままじゃあダメだぞ、もう一度勇気を振り絞って、自分で立ち直りんしゃい。」
「こいつ、都合のいい奴だな~。仕方ね~な~もう・・・」
と、あきらは呆れた顔で答えた。
この時、あきらは、やっと隆史の真意が分かった。
隆史は、情の熱いところを持ち合わせていた。
あきらの友美に対する一生懸命さは、うまく行かなかった場合には、相当な精神的ダメージを与えることを理解していた。
事実、あきらは、友美に告白した翌日からこの日まで、友美から正式に交際お断りの回答をもらうことを考えると気が重くて、大学の授業にも出ず、サークル活動も休んだままだった。
隆史は最初から、あきらに自信を取り戻させ立ち直らせるために、見知らぬ娘に声をかけさせようとしていたのだった。
あきらと隆史の二人は、大学の入学式以来の黒の革靴にスーツ姿で臨んで来ていたが、男二人だけだったので、店の向かい側でしばらくの間たむろしていた。
後で分かったのだが、主催者側は、事前に男性用と女性用のチケットを同数にしていたため、男女の割合は半々になっていた。
また、店のメンバーは、店の入り口でチケットの半分を切り取り、その男女のグループをグループ単位で同じテーブルに案内する仕組みになっていた。
あきらと隆史は、このダンスパーティーにやって来る女性客の中から、自分達と一緒に入ってくれる二人組を見つけ出す必要があった。
しかし、あきらは、全く面識のない女性に声をかけても断られるだけで、そう簡単に同伴してくれる女性客がいるはずないと思っていた。
このハードルを超えるため、あきらと隆史は、店の前の通りを最寄り駅の方へ三十メートルくらい戻り、大通りに面した曲がり角で立ち止まった。
ちょっと待っていると、グレイのワンピースで身を包んだ背の高い娘と薄いピンクのワンピースでドレスアップした背の低い娘の、人の良さそうな二人組を見つけた。
そのクラブは、大通りから袋小路に曲がった一番奥にあり、その間に店は一件もなかったので、この袋小路にドレスアップして入って来るこの時間帯の女の娘は、間違いなくダンスパーティーの参加客だと確信していた。
そして、この二人のすぐ目の前をゆっくり店に向かって歩き出し、店の五メートル手前で、あきらは、ズボンの後ろポケットからハンカチを取り出すと同時に、同じポケットに入れておいた中身が千円札一枚だけの財布を道端に落として、気づかないふりをした。
わざと落としたようには悟られないようにした。
すると、あきらが見込んだとおり、第三者的に見ると、人の善意に付け込むみたいで良心の呵責を若干感じてしまうのだが、グレイのワンピースを着た娘が、
「あの~、お財布・・・、落としましたよ。」
と、あきらの財布を拾い上げ、遠慮深げに声をかけてくれた。
あきらは、すぐに、待ってましたとばかりに振り返り、
「はい? あっ! 俺の財布・・・。親切に教えてくれてどうもありがとう。日桜大スキー部のダンスパーティーに行くんですよね。」
続けざまに、
「僕らも行くところだけど・・・。 親切ついでに、この店、男だけでは入れてくれないから、良かったら一緒に入ってもらえませんか? お礼に、僕ら二人でエスコートさせて下さい。」
と、笑顔で頼み込んでみた。
あっけにとられて、手を差し出したまま一瞬動きの止まったその娘から財布を受け取ると、すかさず、あきらはペコっと頭を下げて、
「ごめんなさい。ほんとのこと言うと、この財布、わざと落としました。きっと君が拾ってくれると思ってたから。」
「えっ!」
彼女は不意をつかれたようで、きょとんとしていた。
「もう分かってると思うけど、見ず知らずの女の娘に声かけるのが怖かったもんだから、きっかけが欲しくて・・・。ほんとうに、ごめんね。君たち二人と一緒にこの店に入りたかったんだ。いいかな?」
すると、彼女は薄っすらと笑みを浮かべながら答えた。
「あら、そうだったの。でも、どうして私たち二人なの?」
「実は、通りから入ってくる娘を何人も見ていました。どうせ声かけて一緒に入るなら、可愛い娘の方が断然いいと思って、ちゃんと選らんでいたんですから。自分は沖縄出身で、こいつは北海道、彼女イナイ暦十九年。髪が長くて綺麗で、おまけに都会的なのに清純派タイプの女性が好みです。決して悪い人間ではないので、俺たちと一緒に入って下さい、お願いしま~す!」
今度は隆史と二人で、深々と頭を下げた。
ここまできたら、もう必死だった。
彼女達二人は、平然とした様子を繕ってはいたが、明らかに動揺していた。
「正直な人ねぇ。一緒に入るのだけなら、かまいませんよ。」
「良かった~、こんなに美しい人にめぐり逢えるなんて、今日は最高についてるぞ~!もちろん、一緒に入ってくれるだけでいいんですよ。」
あきらは、嬉しさのあまり、思わず両手でガッツポーズを取ってしまっていた。
「あはは、うまいこと言って、口がおじょ~ず! 一緒に入るだけね~。」
と、そのグレイのワンピースを着た娘が上機嫌に答えた。
すると、それまで黙っていた隆史が、突然言い出したのであった。
「そんじゃー、行きましょ~うか。」
あきらと隆史は左右に分かれ、彼女たちを両端から二人で挟み込むようにして四人で横一列になって、意気揚々と階段を降りて行った。
「いらっしゃいませ、四名様ですよね。こちらからご案内します。」
と、黒服のうちの一人にブラックライトで照らされた店の中へ誘導され、十六番の小さな札の立てられた四人掛テーブル席に案内された。
店内には百名弱とおぼしきお客さんが既に入っており、頭上ではミラーボールがクルクル廻るなかアップテンポのダンスミュージックが絶え間なく流れていた。
彼女たち二人がその席に座ったところで、あきらと隆史は立ったまま、彼女たちに、
「ありがとう、おかげさまで無事に入ることが出来ました。最後まで一緒にいたいけど、エスコートはここまでだよね。そんじゃ~ね~。」
と、あきらは、右手を軽く上げて左右に振りながら、案内してもらった黒服のメンバーに、自分たち男二人を別の席に案内するようお願いした。
すると、黒服の男が答えた。
「申し訳ありません、ご覧のとおり本日満席となっております。お客様を別の席にご案内いたしますと、席に座れなくなる他のお客様が出てまいります。亅
「それと、主催者様のご企画で、全員一旦席にお座りいただき、たびたび席替シャッフルタイムが予定されていますので、それまでは勝手に席をお変えにならないようお願い申し上げます。」
という訳で、あきらと隆史は、その場から一歩も動き出すことができずにいた。
黒服のメンバーとあきら達のやり取りを、すぐ側で座ってクスクス笑いながら見ていた彼女たちに対し、
「お久しぶり~、しばらく見ない間にお二人ともずいぶん綺麗な大人の女性になったね~、その席空いてる~?」
と言って、こちらはバツの悪さで照れ笑いしながら、またもや二手に別れ両サイドから彼女たちを挟み込むようにしてシートに座ったのであった。
「冗談はさておいて、まだ名前も名乗ってなかったよね~、自分は東明大一年のあきらです。こいつは俺の友達の隆史、よろしく!」
と言うと、背の高いグレイのワンピースを着た娘が、
「私は一ツ橋短大の一年、ともみ(知美)です。この娘は香織、よろしくお願いします。」
と返した言葉を聞いて、あきらは思わずハッとした。字は違えど同じ名前の娘に出逢うなんて、
『神様のいたずらかもしれない。』
と、内心思っていた。
その返した知美さんの顔がどことなくサークルの一つ先輩の友美に似ていたので、あきらは、この美人二人組を目の前にして失礼この上ないない事ではあったが、あの時の情景が頭のなかで思い起こされていた。
あきらが大学のサークルに入会して、だんだんサークル活動にも慣れてきた五月の下旬に、サークルの一年生と二年生全員で神宮球場へ大学野球の応援に行くことがあった。
野球場は信濃町の駅から歩いて十分くらいのところにあるのですが、その途中の絵画館の前あたりに来たところで、白のフレアスカートにライムグリーンのブラウスを着て五メートルほど先を歩いていた友美先輩が突然後ろを振り返り、何も言わずあきらに、笑顔で『おいで、おいで』の手招きをしたのです。
あきらは、その日も古びたボロボロのジャケットに汚いジーンズ姿で、分不相応なのに、思わず喜び勇んで足早に彼女の側まで歩み寄って行った。
「あきら君、これさっき駅前で買ったものだけど、食べる?」
と、クッキーくれた。
「ありがとうございます。うちのサークルは、よく皆で野球の応援に行くのですか?」
「そうね、このシーズンになると毎年行ってるね。」
彼女は、苦笑いしていた。
三十人位のサークルのみんながひと塊で移動しているなか、二人でそのクッキー食べながら横並びで歩いていた。
それから間もなく、その日は朝から曇り空であったことから、雨がポツリポツリと降り始めてきた。
友美は、あきらに持っていた傘を挿しかけてくれた。
「濡れるから、入って。」
「すいません、天気予報チェックしてこなかったもんで、何も持って来てません。助かります。」
「すぐ止みそうだから、狭いけど少しの間だけ我慢してね~。」
周りでも色とりどりの傘がたくさん花開いていたのですが、あきらは、友美先輩と相合傘だなんて、しかも友美先輩により近くに寄ることができて、しかも、彼女の香水の甘酸っぱい香りがして最高な気分だった。
『このままずっと雨が降り続いてくれたらいいのに・・・。』
と思いながら、今にも天に舞い上がりそうな気分だった。
そうこうしているうちに、程なく雨は止み、野球場の一塁側スタンドの学生応援席に着いた。
席はスタンドの最上段の列にみんなで陣取ったが、あきらは、ずっと友美先輩と話しながら側を離れなかったので、スタンドでも隣あわせの席になることができた。
しかし、座ろうとする席は全て雨で濡れたままだったので、あきらがとまどっていると、友美先輩は、ポケットティッシュであきらの席を先に丁寧に拭いてから自分の席を軽く拭き、二人の席に渡って、準備していたベージュ色のビニールシートを敷いてくれた。
「これで座れるね、どうぞ。」
「ありがとうございます、男の俺の方がやるべきことなのに、これでは反対ですよね。」
あきらは、男として不甲斐ない気持ちでいた。
「いいのよ、まだ一年生なんだから、勝手がよく分からないでしょう。」
「すいません。」
彼女は、後輩の面倒見がいい、気配りのできる女性だったのです。
「お~い、あきら! なにボッーとしてるんだよ~?」
と、隆史に向こう側から声をかけられてあきらは我に返り、気がつくと、クラブの店内が少し明るくなっており、テーブルの上にはカクテルが四つ置かれていた。
すると、別の席から、隆史と同じ大学でスキー部の一年生部員の一人が、あきら達の席に近寄り、
「よう隆史・・・」
と言いながら、なぜか満杯になった大きなビールジョッキを片手になだれ込んで来た。
そいつは、どうしたことか、かなり前からアルコールを飲んでいたらしく、まだダンスパーティーが始まっていないのに、既に酔った状態だった。
そして、正面から、
「自分は川相くんで~す、カンパ~イしましょう!」
と言ってきた。
あきら達四人はその場で立ち上がり、そいつと代わる代わるグラスを合わせようとしたが、そいつはもうフラフラになっていたので、三人目の知美とグラスを合わせようとした時に、バランスを崩しテーブルの上に突っ伏してしまった。
彼が手にしていたビールジョッキは、運良くあきらと知美の間を通り抜け、シート上に投げ出され、あきらと知美の座る部分は、こぼれたビールで水浸しになってしまった。
あきらは、直ぐに店のメンバーを呼び、シートを乾いたタオルで拭いてもらい、一方、隆史は、グデングデンに酔っ払ったこの一年生部員を、また別の一年生部員の八重樫君と二人で抱き起こし、彼のシートへ肩車して運んで行ったのであった。
「大丈夫? ビールかからなかった?」
あきらが心配そうに知美に言った。
「うん、大丈夫、かからなかった。でも、シートがまだ湿ってるね。」
「大丈夫だよ!」
と言うと、あきらは、自分が羽織っていた背広のジャケットを脱いで、知美と自分の座る部分にゆっくりと丁寧に敷いた。
「これで座れるだろう。」
シートに敷かれたジャケットを見て、知美は、
「こんなことまでしてくれなくてもいいのに・・・」
「なんのなんの、その綺麗なグレイのワンピース、汚す訳にはいかないさ! 俺の背広なんて、一年に一回着るかどうかなんだから、さぁっ、座ろう。」
知美は、強引にそう言うあきらに促されて席に腰を下ろした。
そして、場内が急に明るくなり、流れていたミュージックの音量が小さくなった。
主催者代表がマイクを持って開会の挨拶を行い、ダンスパーティーは、色鮮やかな照明が激しく点滅し始めて、派手なダンスミュージックが今度は更に大音響で流れると同時に幕開けとなった。
一時間くらいすると、音楽の音量が小さくなって照明が明るくなり、一回目の席替シャッフルタイムとなった。
司会者がコンパクトな簡易テーブルを持ってフロアー中央に進み出てそのテーブルを置き、マイクを通してしゃべり始めた。テーブル上には赤い箱と青い箱が一個づつ並んで置かれていた。
「ご来場の皆さん、ご自分の席にお戻り下さい。お待ちかねの席替えシャッフルタイムでございます。」
「これから呼ばれたテーブルナンバーの入場券番号の方は、速やかに私の前にあるこのテーブル上の箱から番号札を一枚お引き下さい。男性の方は赤い箱から、女性の方は青い箱からそれぞれ引いて頂きます。引かれた方はそのテーブルナンバーへの席替えとなります。」
「ほとんどの方が初対面となることでしょうから、お互いの自己紹介から始めて下さいね。なお、お飲み物等は一旦全て片付けさせて頂きます。新しい席にて改めてお取り寄せ下さい。では、最初の一枚目は、進行役の私が引くことに致します。」
まず、進行役の司会者が赤い箱から、女性客でテーブルナンバー八番入場券番号六十三番の番号札を引き、その番号の娘が青い箱から男性客の番号札を引いて、自分で引いた番号の席へ移るのです。
次に、直前に番号が呼ばれてフロアーに出てきた男性客が赤い箱から女性客の番号札を引きその席へと移り、参加者全員が男女交互に番号札を引終わるまで繰り返し、それぞれの新しい席へ移ったのであった。
みんな、誰のそばに座るのか、どんな人が自分のそばにやって来るのか、期待感でドキドキ状態だったことは言うまでもありません。
結局あきらは、五番テーブルの席に移ったのだが、そこには先に新しい女の娘が来ていて、もう一人の男性客と女性客は程なく入れ替わり、新しい四人グループとなって互いに自己紹介し合っていた。
しかし、今度の三人はあきらにとって何の魅力もなくて、また、友美のことが頭を過ぎっていた。
あきらが初めて大学野球の応援に行ったちょうど一週間前の五月中旬の土曜日に、毎年、英会話サークルの一年生全員の登竜門となっていた他大学との交流英語スピーチコンテストが開かれた。
一年生一人一人には、それぞれ二年生の先輩が指導係りとして個別にスピーチの練習に付くことになっていて、コンテストの半月前から、あきらにも指導係りとして高橋先輩(男性)という大柄だけど、気の弱そうな人が当たってくれていた。
その高橋先輩は、ある日、スピーチコンテストの運営協議会と日程が重なってしまったため、ピンチヒッターとして友美先輩があきらの指導に来てくれた。
黒いハイヒールを履き、べーズリーのライトブラウンのスカートに長袖の白いブラウスを着たの友美が、
「今日は私が高橋君の代役だけど、いつものとおり発声練習から始めてみましょうか。きっと入賞できるから、さあ、頑張りましょう。」
「すいません、お願いします。」
と言って、あきらは、ウキウキしながらも、大学キャンパス内の一角で、足を肩幅くらいに開き両手を腰のあたりで組んで真っ直ぐ立ち、校舎を背にしてキャンパス中央部に設置された噴水に向かって大きな声で、
「あ・え・い・う・え・お・あ・お、あ・え・い・う・え・お・あ・お、・・・」
と、発声練習を始めた。
「ちょっと声が篭もっているわ。当日のコンテストは大講堂でマイクなしで行われることになっているから、声が後部座席の人まで通るようにしないとね。」
と、友美先輩はあきらのお腹を右手の手のひらで軽く押して、威張ったように胸を仰け反らせて、お腹の底から息を吐くように声を出した方がいいとアドバイスした。
「今度はスピーチの練習ね、ちゃんと原稿を覚えた?」
「それが、まだところどころひっかかるんですよー・・・。」
「ダメじゃない、あと五日しかないんだから、完璧に暗記しておかないと。」
「はい、ちゃんとしておきます。」
「よろしい。今日はペーパー見ながらでいいから、発音とアクセントに気をつけて練習しましょう。元気を出してね。」
あきらは、本番同様にスピーチの練習に入ったのだが、張り切り過ぎて、途中からゴホッゴホッと身体をくの字にして咳き込んでしまった。
「あら、大丈夫? これ舐めなさい。」
と言って、友美はポケットから喉あめを取り出し、あきらの背中をトントンと叩いてから優しく摩ってくれた。
その日も、あきらの周りには、友美の甘酸っぱい香水の香りが漂っていた。
それから、ダンスパーティーもラスト三十分位になったところで、急に店の中が暗くなりスローでムードのある音楽が流れ、チークタイムとなった。
すると、すぐに例の進行係がマイクでまたしゃべり出した。
「今回のチークタイムは、女性が男性を自由に選ぶ番です。女性の方は、現在のテーブルにかかわらず、お好きなように踊る男性を選んで下さい。」
「もちろん、権利不履行でもかまいません。お誘いを受けた男性は如何なることがあっても絶対に断ってはいけません。それから、紳士らしく品行方正に踊って、嫌らしいことをするのは一切厳禁といたします。」
周りではチークを踊るカップルがたくさん出るなか、あきらと隆史は、二人とも仕方なく壁に持たれ掛けていると、知美ともう一人の相方の香織が笑顔でそばにやって来て、
「最後まで私達のこと、エスコートしてくれるんじゃなかったの?」
「それはそうだけど・・・、でも、俺達でいいのかい?」
「何言ってるの? あなた達らしくないね! さぁ、踊りましょう。」
と言って、あきらと隆史は二人とも女性陣に手を引かれフロアーの真ん中まで進み、踊ったのであった。
あきらは、何せ生まれて初めてのことであり、どうしていいか分からなかったが、回りのカップルと同じように知美の腰に両手を廻した。
知美の腰の線の細さと見た目よりも大きな胸のふくらみ、女性の身体独特のふんわりとした柔らかい感触が伝わってきて、あきらは心臓がバクバク高鳴っていた。
そんな中、あきらの腕の中に納まっている彼女が顔を上げ、言い出した。
「あきらさんもやっぱり、このダンスパーティーに、彼女見つけに来たの?」
「そんなところかなー。」
あきらは、痛い所を衝かれたと思いながらも、はぐらかそうとしたが、彼女から続けざまに追求があった。
「で、席替えもあったけど、好みのタイプの娘は見つかった?」
「そう簡単には行かないさー。俺は面食いではないけど、席替えしても、理想のタイプの娘にはめぐり逢えなかったよ。」
あきらは、ちょっとむきになって答えると、彼女は不安そうな顔になり、
「そうなんだ。どんな娘がタイプなの?」
「そんなに美人でなくてもいいから、細身でスラッとしてて、できれば髪は長い方がいいなー。」
と、気を取り直してそう答えたあきらに、更に聞いてきた。
「性格的には?」
「男っぽい娘は苦手だよ。世話好きで、女らしい気配りができる女性(ひと)だね。」
「まあ、ずいぶん注文の多いこと。」
と、彼女はにこやかな顔になっていた。
「えへへ、ほんとだねー。自分のことは棚に上げておいて、言いたいこと言ってるよね。」
あきらも、何だか照れ笑いしていた。
すると、彼女の表情がまたも強張りながら、
「好きな女性(ひと)はいないの?」
と聞いてきた。
あきらは、言い出し難くはったが、率直に答えた。
「いたけど、アッタクしたら、あっさりふられちゃったよ。」
彼女の表情は再び和らいでいた。
「あら、かわいそう! それで今日、ここに来たんだー。」
「そうハッキリ言わんでくれよ。」
あきらは、一瞬目を横に背けながらそう言うと、顔を向け直した。
「ごめんなさいね。意外と見た目と違ってナイーブなんだ。」
「いえいえ、謝ってもらうほどのことでもないから・・・。俺って、外見と中身が結構違うらしんだ。」
「そうなの? でも、あきらさんは、その方がいいと思うわ。」
「どうして?」
彼女は、満面の笑顔になって、答えた。
「だって、軽そーに見えるも~ん!」
「言ってくれるね、もー。」
と、二人で笑いながらな話していた。
ダンスパーティーも終わりになり、知美は香織と、あきらは隆史とそれぞれ別々に帰ることになった。
チークが終わって自分のシートに戻っていた知美が再びあきらに近寄り、
「ありがとう、今夜は楽しかったわ。これ、よかったら連絡ちょうだい。」
と言って、あきらの手の中に携帯番号とメールアドレスの書いてあるメモを渡してくれた。
「こちらこそ、ありがとう。」
と言うと、あきらも自分の携帯番号とメールアドレスをメモ帳に急ぎ書いて剥ぎ取り、それを彼女に手渡した。
「連絡、待ってるからね!」
「うん。」
と、あきらは知美に微笑んで、取り敢えずそのメモを受け取ったものの、心の中では、もう一人の友美先輩のことでいっぱいだった。
運命のいたずらか、友美先輩に良い返事をもらえなかった心の痛手を紛らわそうと来たこの日のダンスパーティーで、字は違っていても同じ名前の知美に出逢って、あきらは自分の友美先輩への気持ちを改めて痛感させられたのであった。
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