後の祭り

あけび

後の祭り

 この部屋は日が当たらない。一軒家だが、別にほかの高層マンションなどの影に覆いかぶさっているわけでもない。なんで日が当たらないのだろう。そうか、年中カーテンを閉め切っているからだ。外を見て何が楽しいのだろう。僕より小さい子供たちが元気に遊んでいる声が聞こえたり、近所のおばさま方が和気藹々あいあいと言葉を交わしている、そんな有象無象な光景を見るためだけに、カーテンを動かすなんて、無駄な腕の運動はする必要がないだろう。テレビなんかでは、日を浴びないとビタミンDが生成されないで骨が脆くなって早いうちに体を壊すだとか、怒りっぽくなるだとか、そんな情報が多々流れてくるが、ずっと家にいればいいだけの話だ。そうすれば人と話すことはないから怒りっぽくなっても問題ないし、体を壊しても家にいるから食って寝る生活をすればいい。このまま誰からも気に留めないでもらいたかったし、誰からも見つかりたくなかった。一人を謳歌したかった。そう思いながら、僕は背の低い椅子に足を乗せる。


--後の祭り--


 事の顛末てんまつを話すとなると、まだ小さくて可愛かった自分を想起するまでにさかのぼる必要がある。小学生の頃はかなり頭もよかったし、ピアノも弾くことができたし、書道をやっていたから字も上手だったし、足もそこそこ速かった。そんな特技がたくさんあったからか、クラスのみんなから話しかけられることが多々あったし、僕も気軽に話しかけることができた。クラブ活動とか、委員会活動もした。僕の家は多摩地域にあるから、周りは緑が豊かで公園も多かったから、よくみんなで遊ぶ約束もして鬼ごっことかかくれんぼとかをした。ことわざの本とか、宮沢賢治の小説も読み漁ったりして、数えきれないぐらいいろいろなことをした。とても充実していた。足が速い以外の運動神経は皆無だったからそこだけは納得できないけど、逆にそれ以外は申し分なかった。でも中学校に入学してからはどうだろうか。大きなピアノのコンクールに参加している子もいたし、もっと頭脳明晰めいせきな子もいたし、書道展に毎年作品が飾られる子もいたし、都の大会にまで行くほど足が速い子もいた。自分が見ていた世界は非常に僅少きんしょうなものだった。プライドと矜持きょうじの違いは知っているだろうか。どちらも「自信や誇り」を意味する非常に似ている言葉だが、ニュアンスに若干の違いがある。プライドは、自分だけでなく他者からも評価されることを求める感情であり、矜持は他人からの評価に関する意味は持たない、所謂いわゆる、エゴとか、自己満とか、そういうたぐいのものだ。中学校に入学してからは小学生の頃と違い、周りから褒められたりすることもなくなった。自分はそれほどすごくないのだ。それほどすごくない人を褒める理由はないのだ。自分は他の人と比較して劣等感を感じた。今まで得意と言えるのかわからないようなそこそこできることを、まるで自分の右に出る者はいないかのように振る舞い、ひけらかしていたのだ。恥ずかしくなった。含羞の面に何度もなった。人に自分の特技を明かすことが怖くなった。僕のプライドはたちまち矜持になった。

 そこからだろうか、僕が道を踏み外したのは。いや、正確にはこれから自分が進むところに上手に道を作れなかったのだ。テレビは、「友達は無理してたくさん作らなくていいよ」とか、「自分のやりたいことをやるべきだ」とか、そんな言葉で溢れていた(もしかしたら、僕が自分の都合のいいように解釈して改竄かいざんしたのかもしれない、いや、もしかしたらじゃなくて絶対そうなのだが)。矜持に移り変わってからは、自分のやりたいことをやっていて満足できた。他人に認められる必要なんてなかった。そのやりたいこととは何だったのかを話していこう。僕は小学校の終わりぐらいに、あるゲームに出会っていた。小規模で開発されているインディーゲームというものだったが、ストーリーやイベントの綿密さ、戦闘システムの面白さ、すべてが僕の五感に訴えかけてきた。これ以上話すと長くなるのでここで止めるが、とにかく恋のキューピットが僕の胸を射貫いたような感覚だったのだ。そのゲームの二次創作を偶々たまたまYouTubeで見て、自分も作ってみたら面白いんじゃないかとか思っていたので、思い立ったが吉日でやってみることにした。再生回数も高評価数もコメントも少なかったが、自分の好きなことをやれるのがとにかくうれしかった。でもそこからはほとんど外に出ないで、夏休みもみんなで遊んだ記憶はない。一日中パジャマで、御洒落とかまったくしなかったし、家に引きこもっていたから、同級生は僕の存在をだんだんと陰の存在としてみるようになった。嫌われてった。たくさん仲間外れにされた。でも僕はそれに気づかなかった。喋ることもなかった。声を出すこともめんどくさかった。編集しているときとか、Discordを触るときとか、文字を打ち込むだけだから喋るときよりずっと文章を吟味できるでしょ。失言とかしないでしょ。他の子が好きなアイドルとかのコンサート行ったりとか、他の子の家にお邪魔してマリオカートしたりとか、ラウンドワンとか行ってカラオケとかボーリングしようが、別にどうでもよかった。自分が楽しかったら、他のことにはまったく目がいかなかった。幸せだった。視野が狭いからとっても幸せだった。そのせいで勉強しなかったから、第一志望の公立高校に落ちて第二志望の私立高校に入学したけど、別に好きなことをしてたからまったくショックも受けなかった。

 久しぶりにショックを受けたのは、僕が中学を卒業してからだ。中学を卒業して数週間後、みんなで高校の制服を着て集まろうという話になった。久々のみんなの顔を見て、特に思い出もないはずなのになぜか懐かしさを感じた。他愛もない話をして、集合写真を撮って、お別れしようという話になった。僕と数人は一緒に帰っていた。でもその数人以外の他のみんなは、その後焼肉パーティをするとかいう話になっていたそうだ。これはその数人のうちの一人から聞いた伝聞である。端的に言うと、僕らは誘うに値しないから除け者にして他のみんなで集まったということだ。まぁ、当然である。今までこの文章を読んできたなら、理由は一目瞭然だろう。僕はそこで初めて大きなショックを受けた。凹んだ。自分は好きなことをしていれば他はどうでもよかったはずなのに、そこでその理論は崩れ去った。何が僕をそんな茫然自失にしたのだろう。今になって考えてみると、他の人が怖かったからだと思う。学校ではまったく嫌われれている気配はなかった。嫌っていることを隠して僕と接していたのだから、誰もがやさしい人を演じて僕と接していたわけである。そんな人たちが自分の周りに3年間も蔓延はびこっていたことが怖かったのだ、きっと。その後、その除け者にされた数人でLINEグループを作った。このグループは誰も演じてなんかいない、裏がなかったのだ。安堵した。男子3人女子2人にも関わらず、まだちゃんと話してから日が浅いのに旧友のように仲が良かった。たくさん遊んで、どこか晴れたし、解放されたし、ナイーブなせいで大きく傷ついたあの日の出来事からも立ち直れた気がした。凹みをならすことができた。拭うことができた。

 高校に入学してからは、進路も同じ方向の子たちが多いから、たくさん話すことができた。僕は学校の中で一桁台に入るほど成績が良かったので、周りの人たちに勉強も教えることができた。でもそれだけじゃ足りない。それしか取り柄がないんじゃまた嫌われるかもしれない。僕は自分を作っていた。まるで、中学の頃に演じられていたことに対する八つ当たりのように。曲だってほとんど聞かないのに、まるで普段から聞いているような口ぶりをした。キタニタツヤだってよく知らないし、なとりだって知らない。しかしこの世には、有名な曲を知っていないと変わり者として判断されるという不文律が存在するので、僕も知らないとまずいだろうと思って家に帰ってから飛ばし飛ばし曲を聴いては、ここの歌詞いいよねとか言っていた。アニメとか漫画とかも同じだ。まったく興味ないのに、有名なものの粗筋をネットで読んでは話に割り込んでいた。僕は迎合を覚えた。中学の頃の自分とはおさらばできると考えていた。でも普段から遊ぶ友達とか、端末越しに通話してゲームしたりする相手はいなかった。コミュニケーション能力はないし、面白い話なんてできないから、無理して全員と仲良くなろうとして撃沈した。みんなが、僕のことを7番目ぐらいの友達だと認知しているのだ(因みに1クラスには約40人いる)。そういえば家には自分の部屋がないから人を呼べないし、通話だって親にうるさいって言われてできない。結局、いろいろしようとしてもすべては無駄だったのかもしれない。そう思って、また二次創作活動に戻るのだ。無駄に地頭が良かったので、高校2年生になって特進クラス(頭がいい子たちが集まるクラス)に進級しても、勉強しないし、将又はたまた友達とも遊ばないしで、結局やってることは二次創作、家に引きこもってばかりだった。学校から帰ってきたりしたときとかお休みの日は、パソコンに向かってずっとドット絵を描いたり、作曲したりしている(すべてが二次創作なので、基となるものは自分が作ったものではないから到底リアルで人に見せられるものではない)。

 ずっとこのまま、他の人のことなんて知りたくなかった。休みの日に、みんなは○○に出かけてるとか、そんなこと知りたくなかった。自分がはぐれ人だって気づきたくなかった。でもそれに気付かせた人物がいる。それが今の彼女だ。高校2年生で初めて一緒のクラスになったのだが、文化祭のときに勢いでそのまま付き合うことになった(所謂文化祭マジック)。前々から(少しは)気になっていたらしく、最初は「僕のことが好きなんてモノ好きがいるんだなぁ」と思っていたが、話すと楽しかったし、隣にいても気まずくならなかったし、気が合ったのでこのまま付き合おうと思ったのだ。まあなんとも傲慢な言い方だが、僕が言葉にするのが苦手なだけだから大目に見てほしい。彼女と端末越しで話していると、なんとも幸せだった。ここまで異性と話したことはなかったし、話してて飽きたり気まずくなったりしないのも初めてだった。でもこの世には幸せの後には不幸とか都合の悪いことが起こる、所謂、禍福は糾える縄の如しということわざがある。彼女はコミュニケーション能力もあるから、話せる人がたくさんいるし、みんなでいろいろな場所に出かけたりする。他は似ている部分が多いのに、そこだけは僕とは対称的なのだ。毎回彼女が出かけるときに、自分が底辺だって、気軽に遊べたり通話できる友達もいないし、異端なんだって感じて辛い、自分はなんでこんな人と付き合っているんだろうって思う。俺も頑張って外に出てみようとした。でも無理だった。こんな自分みたいなミーハーは真似しようとして毎回失敗するからしょうがない。そんなことをこの間、とうとう彼女に打ち明けた。そしたら、「できるだけ『明日は○○する』とか言わないし、具体的なエピソードとかは話さないね」って言ってくれたけど、自分な異端なだけだからそんなことしてくれる必要ないし、迷惑かけるのは僕の矜持が許さない。ああ、またこうやって変なところで変な矜持を発動するんだ。ことごとく自分が嫌になってくる。そうやって僕はもっと塞ぎ込んだ。早急に遊べる友達を作って、こんなジレンマからさっさと抜け出せよ。青春コンプレックスを抱え込んで、自分を憐れんで、一体全体何をしたいんだ僕は、もっと強かっただろ昔は、堂々といろよ。そんな感情が自分の中でせめぎ合っている。もうやめてくれ。自己乖離しそうだ。倫理の授業でやった。こういうのをアイデンティティの拡散というらしい。僕は葛藤(コンフリクト)の中で生きている。一方をしようとしたら、もう一方は叶わない。こんなはずではなかった。僕はただ嫌われたくなかっただけなのに、気づいたら青春コンプに陥っている。惨劇だ。望外だ。ああ、死にたい早く死にたい、彼女とか、親とか、死ぬと悲しむっていうのは分かってるけど死にたい。僕が死んだら、そんな誰かが悲しむとか考えなくていいんだから。思考を放棄したい。植物人間でもいい。脳死状態でもいい。もう脳みそを腐らせてくれ。再起不能にしてくれ。今戦争に行けって勅令が出たら喜んで行く。銃弾とか、地雷とか、ミサイルで木端微塵になれたらどれだけいいんだろう。僕が自殺したことにはなってほしくない。ああまた頑固で意味不なお願いだけど、自分で死にたくはない。信号を渡ってるとき、猛スピードでトラックが突っ込んできたり、電車がホームに入線したときに赤の他人に突き落とされて死にたいな。早く殺してほしい。殺してくれる人いないかな。あ、そうだ。こんな人となりの僕にはそんな相談に乗ってくれる人なんていないよね。してやそんな不埒ふらちな相談をすることが間違えているでしょうが。大学受験終わったら、高校の同級生で集まってワイワイやるんだろうな。僕は大学生になっても、きっと過去に固執こしゅうして辟易へきえきしても、きっとそう思うだけで行動に移さないから、中学とか高校の時と同じ末路を辿るんだろうな。こんな退嬰的たいえいてきな存在、社会的にも生きながらえる理由なんてないや。今更喚いたって、後の祭りだ。あーあ早く命を絶ちたい。結局、自分で首を吊るしかなさそうだ。でも失敗したらどうしよう。でも親とか彼女に心配かけて、余計に死にたくなって、結局首を吊るっていう無限ループになりそうだから、いつかは死ぬことができるだろう。

 僕の名前はあずま 朋希ともき。みんなと仲良くして、軋轢あつれきが生じることがないようにって由来の名前らしいけど、真逆の結末になっちゃった。ごめんね、お父さん、お母さん。甘くてしょっぱい液体が頬を伝う中、僅かな希望にかこつけて僕は粗い縄で作った輪に首を通して椅子を蹴る。

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後の祭り あけび @akebin0620

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