第48話

 少年の名は、宗方むなかたルーカスといった。


 父親は米国人。

 彼は音高生だった。専攻はチェロだ。


 彼の一族は音楽家揃いで、彼は将来チェリストになるのが当然だと周りの誰もが思っている。


 少年もそう思ってきた。


 しかし、その夜、彼は都内某雑居ビルの屋上にいた。


 小学校低学年くらいまではチェロは楽しかった。音楽も好きだった。やがて楽しいだけではなくなり膨大な時間を練習に割かれることに不満を覚え始めてもなお、彼がチェロを弾くのは当然のことでもあった。中学の頃は、音高に入学するために必死にレッスンに取り組んだ。


 全国コンクールで三位になったこともあり、自分は音楽の才能に恵まれている、自分はうまいと思っていた。


 しかし、満を持して入学したはずの音高では……。




「何だその音は練習してからレッスンに来なさい!」

「才能ないからチェロやめたほうがいいよもう。名前通りカスって感じ」

「キミのチェロは小手先のテクニックだけ。魂がない」

「一音一音が無価値な雑音なんだなあ。ああ、耳障り。聴いてると苦痛なんですけどォ」

「よくそれでレッスン来る気になったよね? 私の時間を奪ってるってわかってる?」

「そのでかい図体ででかい音出せばいいってもんじゃないからね?!」



 レッスンで講師に言われた暴言は数限りない。


 実際、クラスメートたちと比べると、自分の演奏は一本調子で無機質な気もした。

 しかし、頑張ってみてもいっこうに改善せず、講師を満足させるものにはならなかった。



 これから飛び降りようと思っているのに、夜の街の灯は不思議と綺麗だった。



 積極的に死にたいというよりは、逃げたい。休みたい。


 が、休学など両親が許してくれるはずがなかった。



 子供の頃から、練習を少しでもサボれば母親の罵声が待っている。

 音高に行き、音大に進み、コンクールに入賞し、親や親族が満足するレベルの名門オーケストラに入団する。

 それが彼の前に敷かれたレールであり、そこから脱線することは許されないのだ。



 そういう家庭だ。



 疲れてしまった。


 とにかく、ここから飛び降りれば二度とレッスンを受けなくていいし、練習もしなくていい。



 学校帰りだったのでチェロはケースに入れられて足許にあった。


 当てつけにこれを担いだまま飛び降りてやろうかと思っていたが、土壇場で彼は迷っていた。



 この美しい楽器に罪がある訳じゃない。いつも大事にしてきた相棒でもある。地面に叩きつけられたら、ソフトケースだしもちろん壊れてしまうだろう。


 自分の死体も同じようになるはずだが、チェロが無惨に折れ壊れるところを想像すると、そちらのほうがなぜか胸が痛む。




 じっと虚空を見下ろしていると、突然、背後から声がした。



「もったいないなあ」


「え……」


 振り向くと、真夏みたいな場違いな服装をした男の子が立っていた。



「な、なんだ」


 ルーカス少年は恐怖を覚えた。


 なぜなら、男の子の服は血まみれだったからだ。


 小学校高学年くらいの子で、自分と同じように白い肌と栗色の髪をしている。でも、その髪と顔も半分くらい血濡れていたが。

 片目が潰れている。


「きゅっ、救急車」

 思わず口走った少年に、男の子は小さく笑った。


「救急車は必要ない。とっくの昔に、間に合わない状態だ」


「ど、どどういう」


 ルーカス少年はどもりまくった。

 男の子は無視して言った。


「せっかく生きてるのにもったいないからさ、捨てるならその体を、俺にくれないかな。俺もチェロが好きなんだ。基礎が染みついてる体ならちょうどいい」



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