月の降る夜
赤木春太
深夜徘徊
秋も暮れてきた11月。深夜の2時ごろ、僕と彼女は、僕のアパート近くの寂れた商店街をあてもなくぶらぶら歩いていた。
きっかけは「深夜徘徊がしたい」という彼女の一言だった。その声は、独り言のような小さなものだったけれど、僕にはちゃんと聞こえていた。なんだか、とても思い詰めたような、何かを覚悟したような、そんな声だった。いつものようにお酒をばかばか飲んで、だらだらセックスをして、タバコを吸いながらそろそろ寝ようかという時に彼女が言ったのだ。僕はとても眠かったし、明日は朝から大学の授業があった。けれども、彼女は一度言ったら絶対に曲げないし、一人で行かせるのも嫌だったので、僕は渋々身支度をしてついて行く事にした。
その商店街は、普段から活気がなかった。ただでさえ田舎な上に、商店街の近くに巨大なショッピングモールができて、お客さんが皆んなそっちに行ったもんだから、商店街の店は段々と賑わいをなくし、今では殆どシャッター街になっていた。冬の始まりの冷ややかな風が吹くたびに、シャッターがカタカタと揺れて、一層商店街を寂しげに奏でていた。僕は、シャッターの閉まった洋服屋やカフェを横目に、彼女の少し後ろを歩いた。彼女は、何を見るでもなくぼーっと歩いていた。お互いに何も言わなかった。
彼女と知り合ったのは、大学の教室だった。僕は友達がいないので、いつも通り一番後ろの端の席に座っていた。授業が始まり、教授がコツコツと黒板に板書を始めたときに、彼女が教室のドアを静かにこっそり開けて僕の隣に座った。教授はそれに気がついたが、そういう生徒は多いので気にも留めなかったみたいだ。彼女は、しばらくカバンの中をガサゴソと探した後に「ごめん、ルーズリーフ一枚貸して」と隣の僕に話しかけてきたのだ。それから、なんとなく連絡を取るようになり、なんとなく今のような関係になっている。
僕は彼女の後ろ姿を見た。肩にかかる程度の長さの黒髪で、ピアスが開いている。僕が貸した長袖のパーカーは少し大きいみたいで、手の先が出ていなかった。そして、深夜の2時の商店街の中にいる彼女は、いつもよりなんだか小さく見えた。それは、一人の女性というよりも一人の女の子と表現した方が、あるいは的確かもしれなかった。油断したら、11月の風に飛ばされて、もう二度と会えなくなるんじゃないか。そんな小ささと危うさがあった。
「この先、私たちはどうなるんだろうね」
彼女がやはり独り言のように呟いた。僕は少し考えた後に
「多分、普通に就職して結婚していくんじゃないかな」
と答えた。僕は、こんな毒にも薬にもならない平凡なことしか言えない自分に、嫌気がさした。シャッターが風でカタカタ音を鳴らしている。ここは、とても寂しい場所だ。
彼女は何かを考えているようだった。でも、僕には彼女が何を考えているのか、何を思っているのか分からなかった。ただ、彼女が何かを考えていて、それは彼女にとって、とても大事な事なのだということが分かるだけであった。
彼女はいつも何かと戦っていた。それは、僕の目に見えないもので、そして、この世界の誰の目にも見えないものだ。あえて言葉で表すなら、不安とか閉塞感とかやるせなさとか人生の意味とか、そんな所だろう。とにかく彼女は、それらに対して絶望的な戦いをしている。
一番近くにいる僕でさえ見えないところで、深く傷ついて、疲れ切っている。しかし、僕にはどうすることもできなかった。僕は、ただの大学生で、掃いて捨てるほどいる、つまらない人間の一人だからだ。そばにいる事しかできなかった。そういう事を感じるたびに、僕はひどく自己嫌悪に陥る。
僕たちの目の前を黒い野良猫が通った。野良猫は僕たちから少し距離を取ると、身体ごとこちらに振り返った。彼女は立ち止まり、野良猫の方を向いた。野良猫は彼女を見つめ、彼女もまた野良猫を見つめていた。一人と一匹は全く動かなかった。切なげな風が冷たく吹いて、空気も時間も世界すらも、止まったように思えた。
「猫はさ、一人でも寂しくないのかな」
彼女は、野良猫にバイバイと手を振りながらまた歩き出し、僕に言った。
「猫だもん。多分寂しくないよ。いつだって、のんびりしてるんだよ、きっと」
彼女は、僕の答えを聴いているのかすら分からなかった。ただ、何も言わずにぼーっと歩いて行くだけだった。
やがて、商店街の出口が見えてきた。そこは、ぽっかりとアーチ状に暗く、僕は子供の頃に図鑑で見たブラックホールの図解写真を思い出していた。彼女は出口のアーチの真下に立つと、何か祈りでも捧げるように万歳をして上を向き空を仰いだ。僕もつられて空を見ると綺麗な満月がこちらを覗いていた。
「どうか、どうかお月様が降ってきますように!」
彼女はありったけの大声でそう叫んだ。
彼女のために、僕たちのために、本当に月が落ちてきたら、どんなに良いだろう。きっと、月が落ちてきたら、彼女は月の落下地点でニコニコ笑いながら蒸発していくであろう。僕は、そんな彼女がたまらなく愛おしかった。
アパートに帰ってから、彼女は泥のように眠った。彼女は猫みたいに丸くなって寝る癖があった。大学の授業とかバイトのこととか、そんなこと、今はどうでも良かった。僕は彼女の髪を撫でながら、ただ、この一人の女の子を、どうしたら助けてあげられるのか。傷ついていて、壊れやすくて、泣き虫な彼女をどうしてあげたら良いのか。それだけを考えて、窓から入る満月の優しい光に照らされるばかりだった。
月の降る夜 赤木春太 @aniani1230
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