04話 "WORK-SUM"
荒々しいバキューム音が部屋中を支配した。足元の回転ブラシが勢いよくまわる。床に薄く積もっていた埃はみるみるカケルの体躯に吸い込まれていき、通った後にはチリひとつない輝かしい床面だけが残る。それが、数日過ごしたカラマリテでの日課になっていた。
わ、悪くないかもな・・。いや、それでいいのか?
カケルはこの異常事態に戸惑いつつも、同時に、慣れつつある自分に驚いていた。
「やるじゃん、掃除機」
「せめて名前で呼べ」
「掃除機カケル」
「・・クッ、ひとおもいに殺せ」
ドク。なんで残したんだよ掃除機機能。要らなかっただろべつに。部屋が綺麗になった分だけ自分が汚れてしまった気がして気分が悪いよ。
なのにモネはというと部屋の入り口から顔を覗かせてニヤニヤと笑っている。こいつ、と腹立たしい気持ちにもなるが、こうやって表情が増えてきたのはいいことなのだと思う。あいかわらずミンジュンに対しては警戒していて自分から喋ろうともしないが、まあそのうち慣れるだろう。
新しい生活がはじまってあれこれと心配はあるものの、カケルは部屋の掃除をしているあいだだけは雑念から遠ざかって自分の中に意識を向けることができた。
今朝は少しばかり昔のことを思い出してみよう。
あれはカケルが小学校に上がったときのことだ。それまで豪邸で甘やかされて育っていたカケルは、掃除というのをはじめて知った。同じ班の男子たちは
小学三年生。病気で足が不自由になり、運動を諦めざるを得なくなると、その集中体験はゲームの中で起きた。そのころ流行っていたロボット同士のシューティングゲームでカケルは無類の強さを誇っていた。敵がばらまいた無数のビーム攻撃をすさまじい速度で躱し続け、的確に武器を使い分けながらこちらの攻撃を敵に撃ち込んでいく。画面中のキャラクターと自分の輪郭が完全に重なり完全な一体となって駆け回る。その瞬間だけが病気への不満や将来の不安から解き放たれる時間だった。
彼が中学校に上がり手指も素早く動かせなくなると、熱中対象はマンガに向かった。無限に買い与えられた電子書籍を読みあさり、唯一動かせる右手で絵を描いては、消す、描いては消す作業を繰り返した。頭の中にある完全無欠ヒーローの活躍を白紙の上に描き出したいという欲求は、身体の動かせないカケルの、唯一無二の願いだった。
「結局、それも長くは続かなかったんだけどなー」
「何が?」
一通り掃除をしたところにモネが入ってくる。
「んな。ちょっと昔のことを思い出してただけ。俺の読んでたマンガとか、ネットで検索したらまだヒットするかな。ネットってできないの?この部屋で」
「――ネット?」
「そう。インターネット」
「ってなに?オフィニナにはなかったけど」
「・・・は?」
カケルは疑念を振り払うようにモネを置き去りにし、急いで食堂に向かう。子供たちには許可されてないだけかもしれないしな!ネット!
「ないよ」
片肘をついて端末を凝視しているミンジュンはカケルに向き直ることもせずにそう言い放った。
「いやいや、ないはずないだろ。インターネットだぞ。あんな便利なもの、なくなるはずがない」
「おたくが言ってんのは地球に張り巡らされていたデータ共有プロトコルのことだろ。文字とか映像とか」
「んん?たぶんそうだよ。あ、わかった。こっちでは言い方が違うだけとか」
「コロネじゃ市民同士のデータ共有は許されてない。管理部にとって都合の悪い物はすべて排除されているのさ。"行政リンク"ってサービスがあって、最低限それだけあれば生活には困らないしな」
「そんな・・・ネットがない人生なんて」
「ないよ」
にべもない。
「じゃあ、地球との通信――」
「往復40分、大金、回線仕様許可」
「ウガ――」
ない頭をかかえるカケル。
「ほら、もう答えただろ。行った行った。それと依頼した件、忘れんなよ」
「あーよ」
※
カケルとモネが行政区から診療所に向かって歩いている。時間は日照時間の半ばに差しかかっていて、上空には青みがかった照明パネルが煌めいている。そんな良い天気にも関わらず、インターネットができないショックと、市政部で正式にモネのペットとして登録を済ませたカケルは、ないはずの肩を落としきっていた。
「人間の姿になるのがさらに遠のいた気分だ。死にたい」
「警備ロボに追いかけられなくなっただけマシでしょ」
そんなカケルたちが診療所の入り口から中に入ると、助手の
「わわ、かわいい! なにちゃんっていうの?」
「・・・モネ」
ここでも人見知りを発揮しはじめる少女はカケルの後ろに隠れようとしたが伸長差で隠れられていない。
「ええ~やっぱり女の子はいいなあ。ウチ弟しかいないからさ。髪さらさらー。ほっぺもちもちー押してもいい?」
ふたりが押し合いへし合いしているうちにトマスも出てきて、さっそく奥の診察室へ案内される。
「ああ、来たか。さっそく
「そのあいだモネちゃんは、わたしと遊んでよーね」
モネの助けを乞うようなジト目が後頭部に刺さっているような気がしないでもなかったが頭がないので気のせいとする。
「彼女と会えたんだな。それはよかった」
「ドク。親戚の子がいるのかと思って会いに行ったら、娘だっていわれたんだけど。しかもなぜかついてきちゃったんだけど」
検査用のケーブルを接続されつつ、カケルはずっとモヤモヤしていた問いを小声で投げかけた。
「ん?言わなかったか?言っただろう、娘だって」
「聞いてません」
あ、そう。と、作業中のトマスはそっけない。
「どうやったらコールドスリープ中の筋ジストロフィー患者が自由恋愛で子供を作ることができるんだよ」
「わしに聞かれても困る。戸籍データ上はそうなっているから間違いないだろう。たしか11年前、君が62歳のときの子供だよ。法的には何も問題ない」
今から11年前。カケルの父親が8年前に死んだというからその直前だ。金だけは持っている人だったから何か違法な手段を使って直系の跡取りを得ようとしたのかもしれない。信じたくはないが人は老いるととんでもないことをしでかしたりするというし。
「きみ、そんなことより
「吸い込んだゴミを自分で捨てられないこと以外は特に問題ないよ」
「それはよかった。娘という持ち主もできたんだ。メンテナンスしてもらうといい」
「勘弁してほしいぜ。そりゃ死んでしまうところを助けてもらったのはありがたいけど、まともな人間の暮らしができているとはいいがたいんだが」
「ふむ。この医院がカケルの
「俺の金が使えるのか?じゃあ話がはやい。その金で地球に戻りたいんだ。ここじゃコロネIDがないと地球の財産にアクセスできないんだよ」
「対象外だ。いま言っただろ、健康的な生活を送るための費用に限定されるのだ、きみの口座にアクセスできるのは」
「んなー、ままならないな。あ!じゃあそうだ。絵が描きたいんだけど」
「ん?」
「マンガ描きになるのが小さいときの夢でさー。この三つ指アーム、便利ではあるんだけど動きがザツで。このままだと不自由なストレスで禿げて死にそう。これならどう?」
ため息交じりのトマスは、そういうことなら、と診察室の外にいる
「アンナさんにやってもらったんだけど。どう、かな」
「おっ、いんじゃね? かわいいかわいい」
気軽に言ったつもりが本人は視線を下げて挙動不審だ。
「安娜、カケルくんは絵を描きたいらしいんだが」
「脳内のお絵かきアプリで。というわけじゃなくて、ですか?」
「この手で描きたい!」
カケルがアームをぶんぶんまわすと、安娜は鼻息荒く「やってみるね」と意気込んでいる。本当にこの子に任せていいのか? 正気? その心配が挙動で伝わってしまったのか、トマスが補足する。
「心配するな。何を隠そう、きみの
「とびっきり腕によりをかけますね」
そうかそうか、ついに俺も人間型の身体に。感慨もひとしお。そこから1時間ばかり、体躯を改造したりソフトウェアをアップデートするというのでスリープモードに入り、別人のような新鮮な気持ちで目覚めると、鏡に映ったのはなんと、あいもかわらず四角ボディーに1本アームに3本指だった。
「変わってなくない!?」
「そんなことないですよ!肘と手首の可動域を増やして、指のタッチ感度も100段階にしてみました!それと・・」
言われるままに頭の中で念じると暗闇の中から1本の鉛筆がにょきっと目の前に。思念上の指で掴むとほぼリアルタイムでロボットアームも動くのがわかった。
「操作ソフトのほうも改良したから絵を描くときはこのモードを使ってみてね」
「こりゃいいや。ありがと」
人間にはなれなかったけど安娜の実力は確かなようだ。
「あ、いっけね。思ったより時間くっちゃったな。用事あるから今日はこれで帰るわ」
「そうか。その、ちなみにきみの用事というのは?」
「仕事だよ、仕事。子供を食わせなきゃいけない親はつらいねー」
どうも理解できないというような顔をしていたがそうとしか答えようがない。
「モネちゃんもまた来てねー」
帰り際、手を振ってくれた安娜に、モネもちいさく振り替えしていた。少しは人見知りも治ったかな・・? そうでなきゃこれから行う初仕事もたいへんなものになる。
「じゃあ、いきますかモネさん」
睫毛を伏せて自信なさげに頷くモネ。大丈夫かいな。
※
行政区、オフィニナや診療所のあるベニエ2から円筒状の連絡道路を渡ってベニエ3へ。比較的緑の多いベニエ2と比べると、ベニエ3は商業区と言った装いで人の往来や活気がある。リング内側の工業区から直通のエレベータ駅があることもあって、仕事終わりなのか作業服を着た人々が余暇の解放感を露わにしていた。
その雑踏から遠ざかるように駅から少し歩いて、『ザ・コメットダイナー』はあった。交差点の角にこじんまりとしていて、そのくせド派手な赤の配色で周囲から際立っている。
「タブレットはもったか?」
「・・うん」
ミンジュンに持たされた手のひら大のタブレットにはモネのコロネIDが登録されていた。財布アプリをひらくと確かに2000G(単位は”ガエタン”という)が入金されていることがわかる。今から購入する商品が1400Gだから、残りの600Gが今回の仕事の取り分。いわゆるウーバーなにがしというやつだ。
「商品名、覚えてるよな?」
「わかってるってば」
緊張もあるのかモネの頬は仄かに朱がさしている。ミンジュンから仕事を振られたときは「そんなの簡単だって」とふんぞり返っていたが先行き不安だ。じゃあいくぞ、と透明な自動ドアをくぐる。
店内は調理スペースの前にカウンターがあり、8人掛けの赤い丸椅子には、すでに5人ほどの客が掛けている。ウェイトレスと思わしき肌色多め制服の女性は仕事をするでもなく客の何人かと談笑していた。床は赤と水色の格子模様。使えるのか不明だがジュークボックスなんてものもある。
上の方に視線を向けると、電子モニターには看板メニューが入れ替わり表示され、そのメニューからも昔のアメリカをモチーフにしたファストフード店であることが覗える。
そんな場所に業務用掃除機を伴った少女が入ってきたものだから、スキンヘッドの強面店員は片眉を上げて反応した。
「ご注文どうぞお嬢さん」
「えっと」
モネは背伸びをしてカウンター上のメニューを凝視したまま固まってしまっている。ちいさいころからオフィニナで暮らした彼女はこの手の経験がないのだ。ほら、練習した通りにやればいい。
「スパイシー、チキン、と。ポテトの、セット、をください」
おっしゃー言えた。第一関門クリア。
「お嬢ちゃんにはちょっと辛いんじゃないか?スパイシーチキン。大人が食べても涙目になるくらいだぞ」
「えっそうなんですか。あでも、あたしが食べるんじゃ、ないし・・どうしよう」
「お使いか。じゃあ持ち帰り?」
コクコクと頷くモネ。いいぞその調子。
「そっかー、お嬢ちゃんこの店はじめてだよね?ウチの自慢はハンバーガーなんだよ。なんといっても元・日本のメーカーが作ったパティ専用の肉プリンターを使ってるから牛肉の再現度が段違い!」
「えっそうなんですか」
「おいっっしいから、食べたらきっと満足してもらえると思うんだけどナァ。そっちもどう?」
「――あ、じゃあ、それもください」
おいおいおい金が足りなくなるだろ。声を出すわけにはいかない掃除機のカケルは慌てて前進・後進でモネの太ももをコツコツ押すが、こんなときに限ってモネはびくともしない。
「じゃあ合わせて2400Gだね」
「えっ。あたし2000しか持ってないです」
「え?そうなの? じゃあ、ハンバーガーとポテトのセットだけにしとくかい。それなら1800Gだから足りるし」
「はい」
うお――――い。モネさ―――ん
その夜。
「頼んだもんとちげ――だろ!」
お金を渡したミンジュンは怒り狂っている。まあ、そうなるよね。
「でもハンバーガーのほうが美味しいっていわれた」
「オレはスパイシーチキンが食いたかったの!」
「でも・・」
「ったく、まあいいけどよ。でも間違えたんだから小遣いは無しな」
「え・・・」
「次からもっと色んな物を買ってきてもらうし、客も増やすつもりだから今度こそ間違えんなよ。そこの掃除機も隣にいたんなら止めろよな」
「モウシワケ ゴザイマセン」
ミンジュンは盛大な舌打ちをして自室に戻っていった。
「うまくできなかった」
日ごろから自分はなんでもできると思い込んでいたモネは、思った以上に重傷を負ったらしくカラマリテに戻ったあとソファーに顔を押しつけて鼻をすすっている。
「まあ、そういうこともあるさ」
もっとこう、うまいことばをかけてやりたいが脳内のデータベースを検索しても何もヒットしない。公には73歳だ、父親だといわれても、その人生経験は身動きひとつとれなくなった19歳までに勝ち得た分だけで、人並みにもおよばない。
無力だ。でも当時と違って、今の俺には意思通りに動くアームがあるじゃないか。
捨てずに取って置いた書類の束から1枚だけを器用に3本指で掴み取って、紙の白紙面を手前にして床上に
「モネさんモネさん」
努めて明るい声で呼びかける。すると、ソファーに突っ伏した腕の隙間からゆっくりと片目だけがカケルのほうに向けられた。思った通りグズグズのべしょべしょだ。
「ちょっと手伝ってほしいんだけど」
「なに・・?」
「紙の上の方を押さえていて。俺にはアームがひとつしかないからさ。たのむよ」
何をするのかわからないままのモネは半信半疑のまま紙を両手で押さえる。
「もうちょっと上。そうそう」
さて、いきますか。カケルも心のなかで一度深呼吸をする。アームでデスク上のボールペンを1本掴む。三つ指ハンドからは圧力のフィードバックがあり、まさにペンを握った手応えがあった。これならいけそうだ。油性ペンだから描き直しはできないだろう。アタリもつけない一発描きになる。
繊細なアクチェーター駆動音が多段階のメロディーを奏で、ペン先が輪郭を描き始めた。まずはじめに、描きたい物の全体の姿を描く。丸い顔と、特徴的な尖った耳を。次に四本足とその先にはクリームパンみたいな指を描いた。顔の中心には横長の目。最後に長いヒゲ何本か描き込んだら完成だ。
「すごい・・!ホログラム装置でもないのに、なにもないところから動物が出てきた!」
モネは泣きはらした目をしっかりと見開いてカケルの描いた絵を見ている。
「なにこれ、なんて動物?」
「あれ? けっこう自信あったんだけどな。コロネにはいないのか。” ネコ”って動物だよ」
「ネコ・・」
その響きを反芻するようにモネは何度もつぶやいた。そうしていると彼女の瞳にはまた大粒の涙が押し寄せては流れはじめた。え・・なんかまずいこと言った? 元気づけようとして絵を描いたつもりだったが、余計に泣かせてしまったカケルは動揺する。
「ネコ・・あたし知ってる。うんとちいさいとき地球の家で飼ってた。思い出した。思い出したよぅ」
カケルはその様子に戸惑いつつ、その涙が決して悲しい理由でないことを感じ取った。
「やっぱりあたし、地球にいきたい。ううん、帰りたい」
「そうだな、コロネでいっぱいお金稼いで地球に帰ろうな。俺も人間型の身体に戻りたいしよー」
「うん」
カケルは「何もかも手遅れだ」と目を閉ざしていた過去の自分を呼び起こして優しく撫でた。遅くなんてない、手遅れなんてないよな。いつだって目の前には手つかずの森が広がっていて、それを見つけられないだけだった。
帰る、と言った地球までは二億キロ。想像もできないくらいの距離だ。人間の身体もなく、身分証もない。それでも。
そんなロボット掃除機の決意もつゆ知らず、小惑星帯にあるこの街は毎分二回転の速度で静かに回り続けていた。
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