03話 “INSTLLATION”
「まあ、とりあえず入ってよ」
キャスケット帽を被った青年が声をかける。周囲はすっかり暗くなっていて街灯に似た点検灯が等間隔にあるだけだ。あたりには人の気配がなく腹の底をくすぐるような重低音と乾いた風が通り過ぎている。意識を取りもどした少女と箱型ロボットが尻込みしていると、青年は元から細い目をさらに細めて「せっかく助けたのに疑うのか? 誰かに見られると困る、はやく」と手招きをしている。
青年が手招きしているその場所は、大きなダムの壁面に窓を付けたような異様な建物だった。どう考えても人の住まいには見えない。あやしさいっぱいだが、街に戻ったところで門前払いをされるのも目に見えている。まずはモネを安全な場所に置くのが先決だろう。
「モネ、入ろう。他に行くあてもないんだし」
彼女は一瞬目線で非難したがカケルの後ろをしかたなくついてくる。
鉄板みたいに重たそうなドアを開けて中に入る。正面にはちいさなエントランススペースがあり、正面にはエレベーターが一基。左右には長い廊下が続いている。キャスケット帽の青年は右の通路から一番目の部屋に入り、明かりをつけた。
「入って。夕飯は?」
「まだだ。モネに、この子に何か食べさせてやってくれないか。俺のほうは充電。220V」
「ああ、ちょうどよかったよ。昨日、五日ぶりに食料が手に入ってさ。あ、充電はてきとーに」
カケルたちが部屋に入ると、十畳ほどのスペースに調理台と大きな貯蔵庫が見えた。部屋の中央には八人掛けの長テーブルがあり周囲には緑色のクッションがついた丸椅子が数個散らばっている。ちょっとした食堂のようだ。青年は被っていたキャスケット帽をテーブルの上に放りなげて貯蔵庫の扉を左右に開く。伸長はモネよりも頭二つ分ほど高く黒髪で顔つきはアジア人に見える。
「何にする? ハンバーグ・・それから白魚のフライ、オムレツもあるよ。もちろんどれもコロネ製のジェネリックだけど」
「ジェネリック?」とカケルは尋ねた。
「バクテリアだよ。知らない? 水槽で繁殖させてタンパク質を取り出すんだ。あとは食材プリンターに入れたら完成。本物と同じ味なのかどうかは誰にもわからないけど」
カケルは壁際のコンセントから電源を拝借しつつ、三つ指ハンドを頭上にひらいてお手上げを示す。
「モネは何がいいんだ?」
「・・ビスケット」
「ビスケットって、あの支給品のやつ?」青年が目を見開く。
「・・うん」
「保存食だろ。あんなゲロマズよく食えるな。誰も食わないからこのラボにも大量に余っているよ」
青年は貯蔵庫の奥から筒状のビスケット箱を取り出し、モネのほうに投げる。
「ほれ。オレはミンジュン。あんたらは?」
「俺はカケル、こっちはモネ。助かったよ。目立たないようにしていたけど通報があったって言ってたなあのダルマたち」
モネはさっそく封を開けたビスケットをリスのように無心に食べている。
「災難だったな。にしても箱型のお前、人間みたいに自然に喋っているってことは違法AIってとこか」
「どういうことだ?」
「知ったかぶりするな。AIは"わざと不自然に喋らなくてはならない"。常識だろ。道具に感情移入するのを防ぐ法律だ」
「へえ、知らなかった。だが残念ながら俺はAIじゃないぜ。この中には俺の大事な大事な脳みそが浮かんでいる。れっきとした人間さ」
カケルは自分に向けてアームの先を指した。
「驚いた。ひょっとして"ドク"、トマス先生のしわざか?」
「ああ。有名なのか?」
「ここで生身の脳がいじれるのはあの人だけさ。だがあまり信用しすぎない方がいい。船長と連んでるろくでもない奴だって噂だ」
「? 助けてもらってわるいんだけど、命の恩人を悪くいうのはよしてくれ。俺の元の身体はこの
ミンジュンは「そりゃ失礼」と気にした風でもなく。封を開けたフランスパンらしきものを囓っている。
「ここって、どこ?」
ようやく空腹が一段落したらしいモネが口をひらいた。
「ああ、嬢ちゃんは意識がなかったからどれだけ移動したのかわからないのか。ここはベニエ1だよ」
「ベニエ1!?コロネの端っこのリングで、はいっちゃだめな区画でしょ? アミロボが言ってた」
「バレなきゃ問題ないさ。年に1度の定期修理のときだけ人が来るけど、それ以外は誰も気にもしない。このラボなんて監視カメラすらないし使い放題さ」
「定期修理・・? なんの」
核融合炉。ミンジュンは言った。なんでもコロネはこの核融合炉と推進機関があるベニエ1から操業をスタートし、行政区のあるベニエ2や居住区の3~5は操業開始以降に追加された後付けのリングだという。
「何年も前にリングの外壁に穴があいて、たくさん人が死んだらしいぜ。それ以降気味悪がってだれも使わなくなったんだと。もったいないよなー。炉が近いからいつも暖かいし電気やお湯も使い放題だぜ」
誰もこないし鍵がかかってなかったから勝手に住んでるんだ。と彼は付け加えた。
「どうして俺たちを助けたんだ?」カケルが問う。
「困ってそうだったからな。オレもつまはじきだから見て見ぬ振りができなかったのさ。まあ気にするな、ただの気まぐれだよ」
「どうして自分に与えられた部屋に住まないの?」
まっすぐなモネの眼差しがミンジュンに向けられる。
「なんだか質問ばっかりだな。気が向いたらまた今度教えてやるよ。さ、飯も済んだのなら今夜のスィートルームにご招待するとしよう」
ミンジュンが廊下に出て手招きする。暗い廊下に人の気配はない。センサー付きの照明がリレーのように先を示している。数ある扉には赤のランプが灯っていて、それは施錠状態を示しているようだった。
「部屋はたくさんあるんだけどどれもロックが掛かっていてさ。いますぐ提供できる部屋と言えばここしかないな」
通路の奥から二番目の扉にさしかかる。
"Kara_Marithe"
カーラ・マリゼ。扉のプレートにはそう書いてあった。この部屋の住人だろうか。
「カラマリテ、さん?」
「そりゃ読みが違うんじゃないか? まあいいけど」
ミンジュンは扉を横に引き「ちょっと問題があってさ、この部屋」といいながら照明のスイッチをつける。白色の照明で明らかになったそこは、足の踏み場もないくらいに散らかっている。散らかっているというよりは「荒らされている」と言った方がしっくりくる。デスクからは大量の書類が床にばらまかれ、談話スペースと思われるソファ上には情報端末と謎の機器が分解され横たわっている。
「ひどい・・」
「"管理者"が捜索した跡さ。どうやらここにいたカーラって人は相当な悪さをしでかして、火星へ連行されたらしい」
「火星にはなにが?」
「世界最大の刑務所さ。収監されたら二度と出られない地獄のような場所だ」
「詳しいんだな」
ミンジュンは急に目を細めて壁を睨み付ける。なにかマズことでも聞いてしまっただろうか。その豹変ぶりにカケルは無意識にモネの位置を確認した。
「さ! だいたいのことは教えただろ? あいにくオレは忙しいんだ。あとはふたりで好きなように使ってくれ。じゃあな」
足早にその場を去るミンジュン。取り残されたふたりは思わずお互いを見合わせた。
「あたし、あの人きらい」
「まあそういうなって」
「それよりどうするの?こんな部屋じゃ眠れないよ」
「だな。とりあえず物を少しどかしてモネが眠れる場所だけつくるか」
「カケルは?」
「俺は廊下で寝る」
「だめだよそんなの。危ないよ」
「なんで。はーん、さてはお前、ひとりで寝るのこわいんだろ。さっきミンジュンが事故でたくさん人が死んだとかいってたもんな」
生意気だけどかわいいところもあるじゃんか。と思ったが、しばらくの沈黙を不思議に思ったカケルはモネのほうへカメラを向けた。すると画面いっぱいに拳を振りかぶった少女の姿が映し出されて、
ゴンッ カケルの世界が揺れた。
「おまっ、なにすんだよ。凶暴だな!」
見上げたモネの瞳からは透明なしずくが溢れている。
「カケルは今度こそ、連れて行かれたら野良ロボットとして分解されちゃうかもなんだよ? 死んじゃうんだよ? わかってる?」
おおう・・。モネはモネなりに考えてるんだな。警備ロボットに捕まりそうになったときも助けてくれたんだっけ。
「なんか、悪かったな。ありがとよ。モネを地球に送り届けるまでは、いや、俺も人間の身体を取り戻すまでは死ねないな! おしゃ、やるか」
カケルはアームを操作して近くに散乱していた書類用紙をなんとか掴み上げてどかそうとしてみた。三つ指ハンドの操作にはまだ慣れなくて、掴んだと思っても何度も指の隙間から落ちてしまう。まるで子供のころ見た景品を捕るゲームみたいだ。
「ほら、これで鼻かんで」
ようやく一枚掴みあげられたころにはかんしゃく少女も落ち着きを取り戻しつつあった。
「紙。あたしはじめてみた」
「そうなんだ?」
こっちじゃ紙はめずらしいのか。つっても俺が生身のときにもだいぶ電子データに置き換わりつつはあったな。そういえばそこから六十年近く経ってるんだっけ。モネはぐずぐず鼻を鳴らしながら、床に散らばっている物を一緒に集めはじめた。
「片付けよ? あたし片付けるの得意。オフィニナでも一番だったし」
「そか、でも今夜はふたり寝れる分くらいにしておいて、本格的には明日からがんばろうぜ。なんだか今日はいろいろあって疲れた」
「・・うん。そうだね」
深夜。明かりを落とした部屋の片隅で、ひとりの青年が電子ディスプレイに向かって語りかけている。その指は休まること無く動き続け、その目はここではない遙か遠くを探している。
ノライ様、オレはついにやりました。やはりどこかから見てくださっていたのですね。やり遂げたオレをどうかほめてください。
全人類に救済を。このくそったれな世界に早く静けさをもたらしてください。ノライ様、どうか返事を。ノライ様。
ピピピ、ピピピ、ピピピ
カーラ・マリゼの居室に目覚まし用の電子音が鳴り響く。起き抜けの少女は周囲を見回して、いまいましいその音の発信源を眠気まなこで探している。紙のあいだ、衣服のあいだ、倒されたディスプレイ。その隙間を探すが音の出所が見つからない。背後に身体の向きを整えると、壁コンセントにつながった箱型のロボットが見え、なんと電子音はそのロボットのスピーカーから出ていた。
「もぉ!もう少し寝てたかったのに!」
バンバンと四角い体躯の側面を叩くと、うるさかった電子音が止み、かわりに微かな駆動音を感じる。
「――あ。」
「ん?」
「よくねた」
「すごいうるさかったんだけど、目覚まし的なやつ」
「え?鳴ってた? 俺は気づかなかったけどな。でも確かにアラーム予約したわ昨日の夜」
どうやらボディー側に設定されたアラームはモネを起こしただけで本人の意識側には鳴らなかったらしい。便利なようで不便な身体だ。
でも、いつぶりだろう、とてもぐっすり眠れた。とモネは思った。最近よく見るちいさいころの夢はまったく見なかった。いっぱい歩いたしな、昨日。疲れていたからよく眠れたのかもしれない。視線の先の四角い箱は準備体操よろしく前後左右に動いたり、アームをぐりんぐりんしたりしている。
「なんか食べる?」
「いや。俺、腹へらないんだ」
「へー。いいね」
「よかないだろ。健康な身体になったら油ぎった美味いものを吐くほど食べるのが夢だったのに」
「食事なんて、面倒なだけだよ」
「寂しいこというなあ。とにかくお前はなんか食えよ育ち盛りなんだからさ。貯蔵庫にあるものは勝手に食えってミンジュンも言ってたし」
おまえじゃないし。モネだし。なんで
食堂に行き、ビスケットをもう一箱と水をコップに注いだ。それと貯蔵庫に入っていた食パンをひとつ袋から出して、オーブンで焼き目を入れる。焼いたパンは好きだ。ビスケットに味が似ているから。オフィニナのみんなはパンにピーナッツジャムやマーガリンを塗っていたけど、モネは味が煩わしいのでなにもつけない派だ。そしてお腹が満たされたらそれでいい派。
準備ができたらトレイにのせてすぐにカラマリテの部屋に戻る。あの青年と出くわしたら嫌だし。
「誰もいなかった」
「そか」
四角いのはさっそく紙を集めて一カ所に集める作業をしていた。昨日よりはずいぶん上達したように見える。
「あとでまとめて捨てるからそのままでいいよ」
「いや、紙は捨てずにとっておこう。裏の印刷されていない面が使える」
「は?なにに?」
「いいからいいから。後のお楽しみ。それより、ちょっとお願いがあるんだけど」
カケルの言うとおりに彼の背中にある小物入れ(というかちいさな格納スペース?)から、小指ほどの筒状アンプルを取り出して、これまた背中にあるカートリッジに差し込んだ。
「なんなのこれ?」
「俺の脳みそが働くための栄養剤だって。ドクに1日1本補給しろって言われたんだ。でも自分の目の届かない場所に入ってるなんて設計ミスじゃないか? あと、なくなる前にまたもらいにいかなきゃな」
やっぱり不便な身体だ、とモネは思った。
その日は午前いっぱい、ふたりは部屋の掃除に時間を充てた。モネが散らばっている物を整理したり、不要なものを捨てたり。「本」という紙を束ねた冊子も大量にあったので棚に並べたり。
露わになった埃っぽい床はカケルが吸い取って綺麗にしたりした(なんとカケルの掃除機の機能はふつうに使えるらしく、でも彼は不本意だったのかしばらく機嫌が悪かった)
昼。ふたたび食堂に行くと、ミンジュンがタブレットを叩きながら、チューブに入った液体ご飯を飲んでいる場面に出くわした。
「よお嬢ちゃん、眠れたかよ」
「・・・・」
気まずくしていると、後ろからカケルも食堂に入ってくる。昨日気づかなかったが食堂の壁面には大きなモニターがついていて、今は映像を映し出している。普段見ないような、ノイズが多いニュース番組だった。オフィニナで放送されていたチャンネルは、いつも船長のガエタンが工場を視察したとか市民との交流を楽しんだとかそいう内容だったので新鮮だ。
「オフィニナで見てたチャンネルと違う」
「そらそーさ。ここのシステムはオレがハッキングして特別なチューニングをしたからな。コロネ公式放送なんぞクソさ」
「ハッキング・・? お前はいったい・・」
カケルの声からは戸惑いの音色がする。ハッキングってなんだろう?
「どうだっていいだろ。そんなことより、ふたりには頼みがあるんだ。いいだろ? 助けてやったんだし。このコロネでは持ちつ持たれつ、助け合わないと生きていけないぜ」
「・・・」
「べつに危ないことをやらせようというんじゃない。ちょっと買い物に行ってほしいだけさ」
「買い物?」
「お使いだよ。嬢ちゃんのIDに金は振り込むからさ」
「ミンジュン。なんでわざわざそんなまどろっこしいことを?」
「オレには、コロネIDがない。招かざる客 "密航者" だからな」
部屋の空気が凍り付いたそのとき、壁のモニターに映し出されていたニュース番組には緊急速報を示すアラートが点滅しはじめた。女性キャスターが緊迫感を漂わせる姿勢で内容を報じる。
(( ここで今、緊急ニュースが入ってきました。火星に拠点を持ちます電子デバイスメーカー「火中電脳集団」の生産プラント及び宿舎に、大型の輸送機が突っ込み、従業員を含む二千名が安否不明の状態になっているとのことです。くりかえします――))
モニターにはライブカメラの映像が映し出されていて、乾ききった荒野の真ん中で、ドーム状の建物から黒々とした大量の煙が吐き出されている映像が映し出されている。切り替わったカメラ映像ではプラント周辺に宇宙服を着た救助隊員と特殊な車両が到着していて、意識の無い子供を次々と運び出している様子を伝えていた。
「なんてひどい・・」
カケルは固まったままアームをうなだれさせている。
(( ここで新しい情報が入ってきました。宗教団体「ノライ真教」の教祖を名乗る人物から、犯行声明と思われる映像が投稿されましたのでお伝えします ))
狭く簡素な一室で、青い法衣を頭から纏った女性が映し出される。その緑色の瞳は慈愛に満ちていて、頬のそばを流れる赤髪は鮮烈に印象に残った。
『わたしたち人類は新しい世界への階段をのぼりはじめました。今こそ生きることへの執着を捨て、欲望を捨ててダークマターに回帰するときです。此度の火星浄化作戦はその一旦にすぎません。どうか苦しみの中にあるみなさまの魂に救済があらんことを』
とろけるような優しい声だった。モネはどこか懐かしさを感じたが、それがなぜなのかはわからなかった。画面がまたニュースキャスターに戻った後になっても、モネはしばらくのあいだ、あの法衣の女性を頭から離せずにいた。
「宗教のテロだよ。過激だけど俺はああいうのも必要だと思ってる。特に、人を人扱いしない、月や火星を牛耳っているやつらに対してはな」
「・・・」
「このコロネだってそうさ。従業員やその家族を使い潰して成り立っているんだ。もてはやされている "デビュー" だってしない方がいいぜ。医者も信用ならない」
「ミンジュン、お前がどんな過去を背負っているのかは聞かないけど、いまの時代だってこの街だって、そう捨てたもんじゃないと俺は思うぜ」
カケルが、勇気を振り絞って話してくれていることはモネにも伝わった。
「へっ。世間知らずのお嬢さんと、コロネ知らずの
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