02話 “CALL”

 彼女がよく覚えているのは薄暗い室内からひとりで海を見ていたことだ。

ヒビの入ったガラスの向こうには雨が横殴りに降っている。窓の隙間から入り込む風はドウドウと不気味な音をまき散らしながら、同時に鮮やかな潮の香りを届けた。簡素な木製のベランダの先に遠くコンクリート造の防波堤があって、打ち付ける波の白いしぶきだけが海の存在を示していた。

 晴れ間の少ない紺色の世界で、空腹を紛らわすためにしゃぶっている左手の親指はいつもふやけて皺になっている。その白さを、鮮明に覚えている。


「 モネ 、こっちいらっしゃい。今日の分のごはんよ」


 とろけるような優しい声だった。母の声がする先にゆるく結んだ赤毛の長い髪が見えた。引力にひかれるように、力の入らない足取りで近づいていく。気配を察した長い毛の、四つ足の生き物は彼女の脇にすり寄って「ナア」と鳴いた。板を並べた木製の床にはいつも砂が入り込んでいて、室内を歩くたびざらついた感触がしたけれど、母の元へ歩み寄る瞬間だけは何も気にならなかった。


 抱えられ母の膝の上に座らせられると、この世の幸せを煮詰めたみたいな安心感がある。テーブルの上にはいつも白い皿に三枚、ビスケットが載せられていた。薄く香ばしい円盤に噛みついていると母が片手で彼女のあたまを撫でた。

 ぴりぴりとした感覚とともに、母の指の先からは暗い感情が流れ込んでくる。動きをとめた彼女に母は気づいて、軽く笑ったあと、「結局、母から受け継いだ呪いからは逃れられないのよ。わたしも、そしてあなたもね」と言った。

 ことばの意味もわからないまま、彼女はビスケットを惜しむように頬張った。硬く乾いたは口の中の水分を丸々飲み干すくらいには空腹で、彼女はそのビスケットと食べあいの格闘をいつも強いられた。戦いに疲れたあとはようやくウトウトとして、四つ足の生き物と一緒にかび臭いソファに丸まって眠るのだ。


 それが彼女のよく見る夢のかたちだった


 今、ひらいた眠気まなこの先にあるのは明るいパステルカラーの樹脂マットと金属製の低いテーブルだ。暑くも寒くもなく。空気は清らかでホコリひとつない。そのギャップに一瞬ここがどこかわからなくなる。が、見慣れた養育園「オフィニナ」の遊戯室に間違いはなかった。


「おいシェンイ!いまのはひきょうだろ!」

「油断するのがいけないんですー! おっさきー。おらおらおら!」


 同室で過ごす年下の男の子たちは、短いお昼寝の時間から覚醒していて、すでにホログラムゲームに興じている。円形のプレイエリアでからだを動かすと、目の前に投影された架空のキャラがアクションをする仕組みだ。今彼らが遊んでいるのは対戦型の宇宙艇レースゲームだ。


「あーあ負けた、やっぱ2Pのほうがラグいよ代わってよ」

「やだね!俺のほうがタッチ早かったし」


 彼女はあまりゲームが得意なほうではなかったのだけど、その日の午前はずっと養育園の教材動画に根を詰めて飽きてしまったので、少しからだを動かそうという気持ちが勝った。


「わたしもやりたい! 相手して」


 彼女が声をかけたとき、男の子ふたりはまるで人類の敵というような視線で。

「ぅげ!モネ!お前が触るとまたゲーム機が壊れるんだよ!近寄るな!」

「そんなのたまたまでしょ!いいから貸してよ」

「バッチイバッチイ、モネ。悪魔の手」

「――こンのっ!!」

 激高した少女はその珊瑚色の髪を宙に舞わせながら、年齢差で勝る腕力で男の子の胸ぐらにつかみかかろうとした。瞬間、部屋の壁面に設置されたランプが点滅し、一台の四輪監視ロボが床を滑るように近づいてくる。


( 暴行の疑いを検知しましタ。状況判定チュウ―― )小さな機体に似合わない大径のレンズでモネを凝視する。


――しまった。と彼女は思った。


「暴力女は行きだよなー?」

「はやく"デビュー"してその凶暴な脳みそ治してもらえよ!」


 わたしのせいじゃない。と言いかけて、すんでの所でそのしっぽを捕まえた。反省の色なしとされるとペナルティになる。

 でも――。怒りっぽいのも、触れた機械が壊れやすいのも。わたしのせいなんかじゃない。わたしをこんなところに連れてきた大人達のせいじゃないか。ここにはまとわりつくような磯の香りも心の真ん中が凍えるような空腹もないけれど、わたしの本当の居場所なんかじゃない。緩慢で安全な生活を放り出して、貧しくとも母と暮らした地球に帰りたい。モネは心からそう思った。

 しかし、男の子の言い放った「デビュー」、つまり十二歳で全員受けることになる通過儀礼は翌年に迫っている。デビューを済ませてしまえば正式なコロネ市民として扱われる一方で、簡単にはコロネ外には出られなくなると聞いた。


 モネの視線の先にある小さな監視ロボはピピという小さな音を出して元の配置に戻っていった。無線通信でさらに上位の権限が割り込んだのかもしれない。


「モネ さン、あなたにお客様でス」

 振り返るとヒト型のアミロボが控えていた。この施設で働くAI脳を持った職員で、モネや子供たちの世話をしている。


「お客って?」

「あなたに会うために訪ねてきましタ」

「誰が?」

「アマノ・カケル、という方でス」

 一瞬考えたが、思い当たる人物はない。そもそもこの施設に預けられる前の記憶がほとんどないのだ。

「そんなひと、しらない。あいたくない」

「わかりましタ。当施設のルールに従い、今後の接触を一切禁止にしまス」

 その機械的な拒絶に心のどこかがひっかかる。わたしに会いに来た、二度と会えないひと。アマノ・・? ひょっとして、わたしをむかえに来たんじゃ? どこか、わたしが本当にいるべき素敵な場所に連れて行ってくれるんじゃないだろうか。


「ちょ、ちょっとまって!」

「ルールですので撤回できませン」


 近寄ってアミロボの手を握る。

「お願い!! いうことを聞いて!!」

 冷ややかなアミロボの手先をしっかりと握り、想いを流し込むイメージで念じる。 ぶるっ アミロボが一瞬、痙攣けいれんのような挙動を見せてかすかな手応えを感じた。


「わたしを、連れて、行って?」

「・・・はイ。」





 カケルはこの「オフィニナ」という建物が最初なんだかわからなかった。他の建物からは数メートルは高い土地に建っていて、雰囲気はさながら学校という印象だ。敷地を隠すように伸びた木々はよく近づいて見ると本物ではなく、樹脂でできたハリボテのようだ。それにしては、風に揺れる枝葉の様子などはリアルでよく出来ている。待っているあいだ暇なので木の根元で待機し、街を観察することにした。


 長く伸びた幹線道路に枝分かれするようにいくつかの建物かたまっている。低いビルもあれば公園も見える。商店街らしき看板の集まり。集合住宅。

 直径四百メートル、幅二百メートル強の壮大な輪っかの中に、こんな街を作ってしまうなんて驚きのひとことしかない。それも、輪っかは目の届く範囲にとどまらず五個も連結されていて、全体でひとつの「コロネ」という巨大な船を形成している、らしい。そしてこのコロネ全体が毎分二回転の速度で回り続けていて、その遠心力が人工の重力として機能しているのだ。


「すげーなー」


 スピーカーからまぬけな自分の声が聞こえると、カケルは少し孤独を感じた。

それもそうだろう。目覚めたら六十年たっていて、からだは掃除ロボットになっていて、知り合いもいなくて。街は宇宙で回転していて。地球から遠くて。ほんと、すげーな。どうすりゃいいんだろうって、途方に暮れていて。その度に、つい先ほどのまぬけな会話を思い出していた。



「ご用件ヲ」

「親類に会いに来たんだ。ここにいるって聞いて。名前はモネっていうんだけど」


 カケルはオフィニナに着いたとき、入り口の自動ドアの先で待機していたヒト型のロボットと話をした。


「あなたのお名前ヲ」

「俺はアマノ・カケル。コロネID? そんなのないよ」

「でハ、本人確認をお願いしまス。二〇四〇年生まれのアマノ・カケル様は眼球虹彩認証こうさいにんしょうと指紋認証が選べまス」

「このとーり。生身の目も指もどっちもないよ。なにがあったって? ん――。怪我?だよ怪我。そういうことにしておいてくれ」

 ジジジ、とロボはしばらく無言になって。

「旧・日本国籍の方のみ"秘密の質問"による認証が選べまス」

「日本らしいね!そういう変なところで融通がきくところ」


あなたのペットの名前は? あなたの母親の旧姓は? 初めて見た映画のタイトルは?

ずっと寝ていたから心配だったけど難なく答えられた。


「でハ、地球にあるデータベースに問い合わせしますので、往復四十分お待ちくださイ」

「四十分?ながっ!!」


 そんなこんなで、中に入れずに外で待ちぼうけすることになったわけで。


「アマノ様。本人確認がとれましテ。今、モネさんをつれてきまス」

 無機質な声だけどそのことばが聞けただけで俺は嬉しいよ。カケルは施設入り口にある談話スペースへ移動してしばらく待つ。すると、廊下の向こうからヒト型のロボットとひとりの少女が歩いてくるのが見えた。

 少女の髪は珊瑚色でその長い睫毛も色素の薄いピンクに見える。ハーフパンツにパーカーみたいな上着。足元はスニーカーを履いていた。デザインは少し未来的だけどファッションは大きくは変わっていないみたいだな。とカケルは思った。


「アマノ・カケル様。どうぞ、こちらモネさんでス。モネさん、こちらはあなたのお父様でス」

「おっス・・・俺、おとうさん? んん?」

 やってきた少女の目からはみるみる生気が抜けていくのがわかる。

「はあ? あたし知らない。こんな箱」

「箱っていうな!傷つくだろ。ていうか、お父さんっていった?こいつが俺の娘って何かの間違いじゃないかな? 俺は十七歳で眠りにつくまで、自慢じゃないが結婚どころか恋人すらできたことなかったんだが!?」

 口に出すと無性にに悲しくなってきた。自分でいうことじゃない。でも本当のことだ。筋ジストロフィという病気が判明した後は満足に友達も作れなかった。

「地球にあるサーバーに問い合わせしたとコろ、モネさんノ実の父親であるアマノ・カケル様本人だと確認がとれましタ。また、旧・日本政府を併合した人類継続システム"ユマシス" はカケル様名義で地球に保有されている総資産額から十分な養育が可能と判断。これにより健康状態を理由に凍結されていた親権が復活シ、モネさん本人の希望があれば家庭復帰することができまス」

 まてまて。何もかもがはじめて聞くことばかりでカケルは上手く考えをまとめられない。そんなことも知らず、珊瑚色の髪の少女はふと目を見開いていて。


「それって、あたしが養育院オフィニナを出られるってこと?」

「はイ。現時点で退所することができまス。どうしますカ?」


 モネは一瞬考えた様子があったがすぐさまカケルを指さして言い放った。

「じゃあ、カテイフッキする! んで地球に帰る!」

「オイオイオイ! 勝手に決めんなよ!」





「おなかすいた-」

「お前が勝手についてきたんだろ!もう少し我慢しろ」

 ふたりは市政区から商業区を抜け、今は商店と公園が入り交じった緩衝区に差し掛かっていた。カケルの脳内には電池メーターが表示されていてちょうど30%を切ったところだ。この体躯からだになってからというものお腹は空かないが、かわりにどこかで充電をしないと動けなくなってしまうらしい。

「住むところも決まっていなかったから親類を訪ねたつもりだったのによー。なんでこうなった・・・」

 カケルはない頭を抱えるかわりに一本しかないアームをしょぼんと垂れ下がらせた。

「迎えにくるんだから準備かんぺきだって思うでしょふつう」

 もう何度目かわからないくらい同じやりとりをここ三時間くらいくりかえしている。その間、状況がよくなるどころか、だいぶ詰んでいることが明らかになってきた。

 まず、住むところを探そうと不動産屋らしき店に入ると「コロネIDをもたないひとには貸せない。お嬢ちゃんはデビュー前で未成年だし」ときた。まあ、そういうものかもと思い、今度は市政ビルへ。三十分ほど待たされて受付のヒト型ロボから言い渡された内容は「アマノ・カケル様は乗船名簿に名前がないのでコロネIDの発行はできませン」というものだった。つまりどうやらカケルは人としてではなく仮死装置スリーパーの付属品としてコロネに運ばれたようなのだ。それでも未登録者を出歩かせられないからと市政部から提案された身分はモネの愛玩用所有物、つまりはペットとしての登録だった。カケルは当然アームをぐりんぐりん回しながら退けた。


「IDがないと買い物もできない。モネはID持ちだが金がない。マジで詰んだー」

「まじ・・? なにそれ」

「すげえ困ったってこと!」


 この人造の街にも日暮れがあるのか、あたりは徐々に薄暗くなってきた。今晩どうしよう。いくところもお金もない。

「お前だけオフィニナに戻れば?」

「それだけは絶対いや!」

 なんつうワガママ娘だよ。誰の子だよ。俺? まだ認めたわけじゃないからな。

「じゃあ。ドクの診療所にいくか。事情話せばなんとかしてくれるだろ」

 そう思って来た道を戻ろうとしたそのときだった。脇道から面前にせり出してきたダルマロボットは、突如警告音鳴らしながら、こちらに近づいてくる。


( フシンシャ通報がありましタ。IDを見せてください )


「どうしよう・・! あれ警備ロボだ」

「なにがやばいの?ID見せればいいじゃん」

「子供が外にいちゃ行けない時間だし今」

「保護者の俺がいるだろ」

「さっき断ったから、カケルは未登録のままの野良ロボットでしょ!」


 ・・あ!


「モネ逃げろ!」

 話をしているあいだに、一台、また一台とダルマが集まってくる。「俺の後ろついてきて!」とカケルが前に出て少しでも入り組んだ道に誘導する。

「まってよ!」

 走るのが苦手なのかモネが蛇行しながらついてくる。このままだと警備ロボにつかまるのも時間の問題だ。最悪モネは捕まったとしても元の施設に戻されて不自由なく暮らせるんだろうけど。


「俺のアームに掴まって!」

 勢いで伸ばしたただひとつのアームに、モネは恐る恐る手を出した。触れた瞬間、カケルの脳内にバチバチと電流が流れ込んでくる。


 い、痛い・・!


 暗い室内、埃っぽい床。カメラ映像でなく意識に直接流れ込んでくるような景色に吐きそうになる。空腹で思うように動けないからだ。三枚のビスケット。ひもじくて、耐えがたいほどに不快で。それでも。


( 帰りたい )


強く願ったむき出しの感情に戸惑って、カケルは反射的に手を放そうとした。が、あやうく踏みとどまる。

 待てよ! これはまるでかつての俺じゃないか。惨めで寂しくて。なんの役にも立たない自分を呪って終末さいごを迎えた。普通になりたいとか、友達と遊びたいとかやりたいことはたくさんあったけど。でも――。誰かの役に立ちたいという気持ち「本当に守りたいもの」は片手にすっぽりおさまるくらいにしておいたほうがいいんじゃないか?


「あの細い路地に入ろウ。うまくいけば撒けるかもしれなイ」

 思い通りに声が出せない。自分じゃないみたいで苦しい。長い通路を走る。スピードを上げたせいか表示された電池メーターはみるみる10%を切り赤く点滅している。もう少し、もう少しだ。この先に救いがあることを信じて駆けた。長く長く感じられる暗い路地を抜けて光溢れる道路に出たその瞬間、広がる光景にふたりはことばを失う。


( IDヲみせてくださイ )

( フシンシャ通報がありましタ )


 三台のダルマロボが先回りし、取り囲んでいる。後ろからも赤いランプが追いかけてくる。だめ、なのか? 観念し、動きを止めたカケルにダルマロボは腹からアームを伸ばしながら近づいてくる。先端にはスタンガンがついているのか放電の光をほとばしらせて。

「やめて!」

 モネがとっさにダルマのアームに触れた。パン という短い破裂音と共に、モネとダルマは反発し合うように弾かれて倒れる。

「モネ!!」

 カケルはモネに駆け寄った。が、彼女はぐったり横たわっている。今、何が起きたんだ? モネはダルマに触れただけのように見えた。彼女の背丈ほどもある金属製の警備ロボットを突き倒す力はモネにはなかったはずだ。でも・・・。

 起き上がったダルマロボは故障でもしたのか、その駆除対象を同じダルマロボに向けて反乱を起こしている。今が逃げ出すチャンスではあった。モネをなんとか起こしてこの場から離れられたなら。


その状況を見ていたかのように一台の電動カーがダルマの列を突っ切って割って入ってきた。カケルが知っている「自動車」よりもひとまわりちいさい四人乗りの電動カートだ。

「お前ら!乗れ」

 キャスケット帽を深く被った青年が運転席から叫ぶ。カケルは、誰だこいつ、という疑いも振り切って声を上げた。

「モネを、娘を運ぶのを手伝ってくれないか」

「しゃーねーな!」


 混乱から立ち直ったダルマが退路を塞ぐ直前、カケルたちを載せた電動カーは風のようにその場を立ち去っていった。


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