カラマリテの惑い星 ~少女と四角頭と回る街~

林 草多

01話 "HELLO_WORLD"

 本当に守りたいものは片手にすっぽり収まるくらいにしておいたほうがいいんじゃないか? 地位だとか名誉だとか、使い切れないほどのお金だとか、両手で抱えきれない愛のような何かだとか。そんなのはこの小さな真四角体躯ボディーにはまるで収まりそうにないしな。


 少女の手を引きながらカケルはそう思った。彼の新しい体躯からだにはドーナツ大の車輪が四つついていて、モーター音を発しながら緑の地面を懸命に蹴っている。それはまるで大きなおもちゃやロボット家電を連想させた。そして四角いキューブ型のてっぺんからは不相応に長いロボットアームが伸び、その先には白く細い少女の手が続いている。


「ど、どこまで走るの、かな?」

 走りなれていないのか少女の呼吸は不規則につまずいている。カケルはそれを聞いて一瞬たじろいだ。彼にだって土地勘があるわけじゃない。ただ、悠長に考えている猶予がないことは確かだった。なぜなら彼らの背後には赤ランプを点滅させたダルマ体型の警備ロボットが三台も連なって追ってきている。幸い彼らもまた鈍足で今のところ追いつかれそうにはない。

「あの細い路地に入ろウ。うまくいけば撒けるかもしれなイ」

 カケルの少し訛った発音がちいさなスピーカーから奏でられた。やたら殺風景な道路に灰色の無機質な建物が並んでいて、その隙間にふたり飛び込んだ。急に暗くなる視界。その先に光の一筋が見える。

「別の道につながっているみたいダ。ラッキーだナ」

「もーう!走れないってば!」

 後ろを気遣いながらもカケルは手を引き続ける。この先に救いがあることを信じて。建物二つ分の距離以上には長く感じられた暗い路地を駆け抜け、光溢れる通路に出た。その瞬間、広がる光景にふたりはことばを失う。


「そんナ・・先回りされていタ!?」


 目の前には赤いランプが無数に点滅している。大きさ1メートル程度の警備ロボであっても、甲高い警告音を発しながら近づいてくると圧力に押されてしまう。


( IDヲ見せてくださイ )

( フシンシャ通報がありました )

  ( IDヲみせてくださイ )

 ( IDヲ


 なぜ?


 カケルは生涯ずっと問いかけてきたことばを、思い出したように繰り返し唱えた。なぜいつも俺なんだ? 何をしたっていうんだ。

 視界が赤い波に飲み込まれそうになったとき、観念して天を仰いだ。高く青い空があると確信した上空には碁盤目ような模様が広がっていて、敷き詰められた照明パネルが寒々とした光を放っている。彼は何かに祈りながら、唯一となったアームで再び少女の手を握りしめた。



 アマノ・カケルが自分の未来を閉ざしたのは十一歳のときだった。自分のからだを蝕んでいるのは徐々に筋力の弱っていく病気であり、回復の見込みがないと理解してから彼の世界は色を失い萎んでいくばかりだった。はじめは気遣ってくれていた友達は次第に失せ、家族を除いてまるで最初から存在していなかったみたいにカケルを扱った。

 世間が、エネルギー問題を根こそぎ解決する「商用核融合炉発電成功」で浮かれていた西暦2041年。元々「どんくさい」と言われていた彼の足はついに電動車イスに固定されたまま全く用をなさなくなっていたし、かつて華麗にジョイスティックを操作してみせた両の手すら、親指がかろうじて動くだけの棒になった。それでも、彼は他の同病患者と比べたら破格に幸運だったに違いない。彼の父親が経営する大企業「アマノケミカル」は医療業界に太いパイプがあったから、可能な限りカケルが苦痛を感じないよう最新の支援を受けることができた。

 しかし、彼が十七歳の誕生日を迎えたとき、世界は破滅的な戦乱に包まれた。彼はそのころにはほとんど寝たきりで、身体を動かすことはおろか、自発呼吸すらままならない状態だった。様々なチューブで繋がれ、酸欠でおぼろげな意識の中、耳元で父親の声を聞いた。


「カケル、よく聞くんだ。大きな戦争が起きた今、お前の病気を治せるほどの医学的な発展は望めないだろう。だが心配することはない。一人息子のお前のためなら父さんはなんだってする。だから、今はそれを信じてゆっくり眠れ」


 数人の医療従事者がミイラのように細った彼を抱きかかえ、金属製の白い棺桶かんおけに入れた。


 ようやく解放される。この不条理な世界から。


 カケルは心の底から安堵した。と同時に、自分に対する激しい悲しみと怒りが沸き起こった。動揺し自然と涙がこぼれるほどのはじめての感情だった。


 なぜ俺なんだ。 なぜ?


 歳の近い友達と同じように走り回りたかった。勉強もしたかった。恋だってしたかった。もっと、もっと・・・。なんで俺なんだよ。


 声が発せられることはなく、ひつぎの蓋がゆっくりと閉じられる。内に差し込む光が細くなり、狭い空間は闇となった。完全な黒。何もない世界。カケルの精一杯の感情は無限の空間に干渉できるほど大きくはなかった。

 ちいさく上下していたカケルの胸元はやがて止まり、彼の長い長い、無価値な日々はあっけなく終焉を迎えた。





「 ますか ?」

「き  えま すか?」


 ん? なんて? 若い女の声が途切れ途切れに聞こえる。わしがやってみよう、と今度はしわがれた男の声が。

「あー、きみ聞こえるかね? ――ああだめだ。反応がない。思ったより脳細胞が死滅していたのかもしれん。せっかく時間をかけたのにとんだ期待外れだ」

 好きなように言ってくれるじゃないか。こっちはもう死にかけなんだぞ。ちょっとは気にかけてくれたって・・・いや、俺死んだんじゃなかったか?

「まってくださいドク、音声がミュートになっているだけなのでは?」

「ふむ? あー、きみ。聞こえていたら視界の右下にミュート解除ボタンがあるだろう、それを押してみてくれ。声がでるようになるはずだ」

「ドク、まだアームとりつけてませんけど?」

「仮想的な話だ。体躯からだを操作できるように脳内空間でエミュレートされているはずなんだが」

「じゃあコマンド操作は?」

「きみ、"テクボク・ミュートオフ"と念じるんだ」

「だいぶ古い規格ですからOSは"テクボク"じゃないですよ。"ヘイ・サリ"か、"オーケイ・ドングル"、ひょっとしたら"ヤア・ジョシ"とか」

「黎明期は変なのいっぱい作ったからなあ」

 なんだか妙なことになっているようだったが、しかたがないのでカケルは半信半疑で念じてみることにした。

(Hey-SARI?)

(OK-Dongle?)

(やあ女史?)


 ぺこん という間抜けな音と共に右下のスピーカーマークが緑に変わる


( ミュート機能を、オフにします )と女性の機械音声が頭の中で聞こえる。

「しゃべった!!」

 心で念じたはずの声が実際の音声となって室内に響いたのが聞こえた。

「声でっか!いやこっちのセリフだよまったく!」

「それよりずっと真っ暗なままなんだけど、ここどこ?」

「ああまったく!カメラもオンにしなさい」


 念じると、カケルのいる暗闇の中に八十インチほどの大きなモニターが現れて視界が開けた。なんだか映画を見ている気分だ。

 多様な計器が所せましとならぶ手術室のような室内。手前には初老の男性と、奥にはマスクをした二十歳前後の女性が心配そうにこちらをのぞき込んでいる。どうやら作業台のような場所に寝かされているらしかった。初老の男は白衣を羽織っていることから医者のようにも見える。


「アー。見えるようになったよ。でもこれって俺が産まれたときの出産シーンってわけじゃないよね」

 精いっぱい強がって見せたけど、医者は口元に手をあてて反応に悩んでいる様子だ。やがて彼は「あ-、いいですか。落ち着いて聞いてください」と自分にも言い聞かせるように言った。

「考えようによっては"出産"が当てはまらなくもないが。きみは、いや、あなたは、信じられないかも知れないが今年 七十三歳の老人なのだ」

「は?」

「あー、先に言わなければならない肝心なことが抜けていたな。つまり、死の淵にあったあなたの身体から、私が脳だけを移植したということなのだよ」

「はア!?」

「ドク、ぜんぜん伝わらないと思いますよそれじゃ」

 聞けば、父が用意したという仮死装置スリーパーに入れられてから六〇年近くが経っているのだというが、まったく想像も実感も得られない。いったい何を言っているんだこのひとたちは。

「本当は元の身体ごとなんとかしたったのだけどね。老朽化した装置のせいで首から下のほうは腐敗してしまったのだ。いちおうとっておいてはあるけど、持って帰る?スプラッタなぐちゃぐちゃ加減だけど」

「いや、それはマジでいらない、でス」

「よかったー。じゃあ身体の処分費用は治療代から引いておきますね」

 マスクの下から女性の笑顔が見えた気がした。ああ、まさか自分の身体の火葬代を自分で払うことになるとは。


「代わりと言ってはなんだが」と医者が声をかけると、女性が1メートルほどの機械アームをカケルの頭の上に取り付けはじめた。

「これでよしっと。からだ完成です!」

 スクラブの上に着ているエプロンは機械油だかなんだかで汚したのか蛍光緑に染まっていてホラーだ。

「あらためて自己紹介をしよう。わしはこの診療所の医師でトマスという。こっちは助手の・・」

安娜アンナです!機械のことならなんでも任せてください!」

「"Hello World" この世界にようこそ、アマノ・カケルさん」

 カケルのいる暗闇に風が通り過ぎた。子供のときからその言葉をずっと、ずっと待っていたのかもしれない。無いはずの目頭がじぃんと来てしまう。


「なんだか"さん"はこそばゆいな。カケルでいいよ」

「たしかに。七十三歳といってもコールドスリープ中の肉体は五年に一度しか歳をとらないというから、生物的には二十八歳。ああ、だが眠り始めたのは十七歳だからそれも実感はないだろうけどね」

 ふたりはカケルの体躯からだを両脇から抱え、作業台から床におろした。目の前には一枚の鏡が立てかけられ、そこには段ボール箱を逆さにしたような四角の機械が映っている。

「どうです!かっこいいでしょう」

 なぜか安娜アンナは自慢げだ。伸長は六十センチくらい? 四つのタイヤがついたキューブ状のボディーのてっぺんに一本のロボットアームがついている。アーム先端には3本の指。


 な、なんだこれ~~ これが、俺の体躯からだ


「アイリス・オーメガ社製 自律式クリーナーをベースにしてみたんだよ。業務用だから頑丈なはずだよ」

「自律式クリーナーって、ロボット掃除機ってこと!? もうちょっとなんとかならなかったのかよ?」

「ヒト型のボディーは非効率だから、この街じゃ流通がなかったんです。でも、改造が必要ならいつでもいってくださいね」

 安娜アンナが力こぶを作る。まあ、なかったんじゃ仕方ないか。仕方ない、のか?

 視線を上に移すとドクと呼ばれたトマスはお腹の出っ張った大男のように見える。相対的に自分の視線が低くなったのだ。

「それより、さっき脳を移植っていったけど、ひょっとして・・」

「その通り。元は洗浄液が入っていたタンクを改造して、そこにきみの大切な脳をプカプカ浮かべてみたというわけだ」

 おお神よ、なんてこった。せっかく自由の身になれたのにこんなマンガみたいなふざけた体躯からだになって、この先どうやっていきていけばいいんだ。頭をかかえたくてもどこまでが頭なのかもわからない。


 うう~~! ま、いっか!


 カケルは持ち前の「諦めの良さ」で気をもち直した。子供のころからままならない生活を強いられてきたせいで、深く考えてもしょうがないことはそれ以上考えないようにしている。

「それより、どうやって動くのこれ」

 何はさておき、移動、だ。説明されるままに念じると、カケルのいる暗闇の足元からサンダルみたいな半透明のフットペダルがふたつ、にょきっと生えた。恐る恐る踏んで前にたおすと画面越しに体躯からだが前に動いたり、旋回したりするのがわかる。ペダルにつま先を引っかけて後ろに倒すと後退までできた。その際バックモニターが表示されるものなかなか芸が細かい。ちょっとした戦車ゲームみたいだ。中央に伸びた一本の操縦桿に触れると、こんどは頭上のロボットアームが動いたのがわかった。慣れるまでは大変そうだが使えないこともない。かつての自分が電動車椅子に固定され身動きひとつとれなかったことを思えば破格な進歩だ。意思通りに動かせるからだ、最高!


「ん。なんとかなりそう。生き返ってすぐに死にたくなったけど、ほっとかれたら確実に死んじゃってたと思うからトマスさんたちには感謝してもしきれないよ。でも、眠ってから六十年も経ってるんじゃ俺の知りあいなんてだれも生きちゃいないんだろうな」

「・・いや、それがそうでもないんだ」

「えっでも俺、友達も兄弟もいなかったし」

「たったひとりだけ、ですけど。幸運にもこのコロネの街に住んでいるみたいですから、まずは会いに行ってみるといいと思いますよ?」

「そうするよ」

 ふたりに見送られながら診療所の古いドアをあける。


 あける。

 あけるったら。


 取っ手にアームをのばして押したり引いたり四苦八苦。自動ドアじゃないなんて案外アナログだ。六十年後の未来とかいって、ぜんぜんたいしたことないな、未来。


 結局ふたりに手伝ってもらいながら外に出る。正面の小道から周囲を見たときカケルはあまり衝撃に言葉を失った。

 街路樹の隙間から見た街並みの向こうには、世界を隔絶する如く巨大な白壁が垂直に立ち上がっており、まるでVRゲームの世界で見た古代遺跡のようだ。と思った。頭上の空間は広大なトンネルみたいに広がっていて、続く道は空にも届こうかという角度で天上に昇り消えていっている。それなのに、こともあろうかその道には小さな車両が平然と走っているのだ。


「俺の知っている地球じゃない。やるじゃん・・未来」

「驚いただろう。これが、わしたちが住む街、超大型資源採集船『コロネ』だ」


 これが船・・? カケルはもう一度周りを見回した。道路脇には芝生があり公園がある。遠くには集合住宅や四~五階建てのビルだって見える。どう見ても海に浮かぶ船には見えない。


機外そとに一歩でも出れば、真空の宇宙空間。君の生まれ故郷からは二億キロもの距離にある小惑星帯だ。極寒の辺境にして、人類再起の要所だよ」

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