第30話 黒い手は静かに忍ぶ

春の日差しが残る午後。ミヤシマ興産の本社ビル、佐伯雅仁の執務室には静かな緊張が漂っていた。


「……確認できました。北通りの2区画、名義が動いています」


報告する部下の声に、佐伯は書類から目を上げた。その目は静かだが、奥底に鋭い光が走る。


「……誰が買った?」


「はい。“長谷川誠”の名前が登記に……」


その瞬間、空気が少しだけ揺れた。佐伯の口元に、乾いた笑みが浮かぶ。


「ふん……なるほど。こっちがまだ動き出しもしてねぇうちに、仕掛けてきやがったか」


部下は言葉を飲み込む。佐伯はゆっくりと椅子から立ち上がると、部屋の奥に立っていた二人の男に目を向けた。


鬼塚仁。筋骨隆々でスキンヘッド、無駄な言葉を嫌う元構成員。


そして影山鷹司。黒いロングコートに身を包み、静かに笑う男。


「ひとつ、肩慣らしに行ってくれ」


佐伯は短く言った。


「“次”の場所は、もう分かってるだろ」


影山が静かに頷く。鬼塚はそのまま黙って、ドアの外へと歩き出していった。



---


深夜。商店街北通りの一角にある、小さな文房具店。


カシャンッ!


甲高い音とともに、ショーウィンドウのガラスが割れる。


シャッターを閉めていたにもかかわらず、何者かが隙間から侵入し、店の中を荒らしていった。


翌朝、誠に一本の電話が入った。


「す、すまねぇ誠さん……やっぱ、売れねぇ」


声の主は、昨日まで「絶対に町のために」と協力を約束してくれていた文房具店の店主だった。


「昨夜、誰かにやられた。警察も呼んだけど……あれは、警告だ。間違いねぇ」


誠は電話を切ると、すぐにその足で現場へ向かった。


店に着くと、ショーウィンドウは割れたまま、テープで応急処置がされていた。


中にいた店主は、誠の姿を見ると気まずそうに目を伏せた。


「……あんたのことは、信じてる。誠さん、あんたがどういう男か、俺らは分かってる。 けどよ……命には替えられねぇ。娘に何かあったらと思うと……どうしても踏ん切りがつかねぇ」


誠は黙って、その言葉を受け止めた。


(佐伯……鬼塚、影山……もう動き出したか)


スマホが震えた。


発信者:ウッシー


「お前、今現場だろ。連絡まわってきた。……昨夜、あの文具屋の周りに、不自然な影があったってよ」


誠の目が鋭くなる。


「誰だ?」


「通報入れたのは近所の古い豆腐屋のばあさんさ。あの人、昔から目ぇ利くからな。 言うには、でけぇ男と背の高ぇコートのヤツが、夜中に立ってたって」


誠の背筋に、静かな怒気が走る。


「鬼塚と……影山か」


「だろうな。お前の動き、やつらが察知してる。次の交渉先、気をつけろよ」


誠は黙って通話を切った。


そして、ゆっくりと顔を上げる。


目の奥に宿ったのは、静かな闘志。

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