第24話 誠の拳
拳が、振り下ろされる。
分厚く、重たい殺意がこもった拳。
それが、今まさにリクの顔面を貫こうとした――
その瞬間だった。
「……ッ」
ガシッ。
乾いた音とともに、その拳を――誰かの手が掴んでいた。
「――!」
幹部の動きが止まる。
視線を下ろす。
そこには、誰にも気づかれることなく、物陰から現れた男の姿。
長谷川誠。
スーツの裾を揺らし、無言のまま幹部の腕を握っていた。
ただ、掴んだだけ。
それだけなのに――その場の空気が、一変した。
風が止まり、空気が凍ったようだった。
幹部がゆっくりと目線を上げる。
誠の目とぶつかる。
互いに、言葉はない。
けれど、視線だけで互いを測っていた。
その静寂の中――誠の指に、わずかに力がこもった。
「……っ」
幹部が微かに顔をしかめる。
力ではなく、質量。
誠が握っているのは“腕”ではなく、“空気”ごとだった。
リクは、地面に崩れかけながら、その背中を見た。
あの背中だ。
どこにも力が入ってないようで、全てを押さえ込む。
一歩も動かず、ただ“立っている”だけなのに――誰よりも、強い。
「……来て、くれたんだな……」
声にはならなかった。
けれど、リクの目がそう語っていた。
誠は、ほんの少しだけ顎を引くと、低く、短く言った。
「……こいつに、手ぇ出すな」
誠の声は低く、静かだった。
掴まれていた幹部の腕が、ゆっくりと解放される。
幹部は腕を引きながら、一歩だけ後ろへ下がった。
「へぇ……なるほど。あんたが――長谷川誠か」
その言葉のあと、幹部は笑った。
薄く、だが妙に含みを持った笑みだった。
リクが誠の背に隠れるように立ち上がる。
「誠さん、こいつ――」
「下がってろ」
その一言で、リクは口をつぐんだ。
幹部は背中を向け、ゆっくりと車に向かって歩き出す。
が――その足が止まった。
「……でもな、長谷川。
俺、こう見えて短気なんだわ」
バッ――!
振り向きざまに、幹部が地面を蹴った。
拳を握ったその腕が、一直線に誠へ向かって唸りを上げる!
「チィッ――!」
リクが叫ぶ間もなく、拳が迫る――
だが。
「……遅ぇよ」
誠はその拳を、
体を傾けただけで“いなした”。
一瞬、幹部の巨体がバランスを崩す。
「な……!」
次の瞬間、誠の右拳が真横から、
肋骨の下へ鋭く突き刺さる――
ドンッ!!
音が、違った。
空気ごと破裂するような、重い、低い音。
幹部の体が、一歩、二歩と後退する。
額に汗が滲み、初めて表情に“痛み”が走る。
「……今のは、何だ……?」
誠は拳を下ろし、肩をゆっくりと回す。
「ただのジャブだよ。
俺は、拳銃は使わねぇ。
――けどな、その分、拳は重てぇぞ」
幹部が息を荒くしながら睨む。
「クソ……面白ぇじゃねぇか……!」
バキィッ――!
再び幹部が仕掛ける。
だが誠は、今度もすべての攻撃を避ける。
右フックをかわし、顎にショートの拳を返す。
腹に肘を当て、流れるように足払いを入れる。
ドサッ――!
幹部の巨体が、地面に倒れ込む。
「……っ、クソッ……!」
それでも立ち上がろうとする幹部に、誠が低く言った。
「次は、折れるぞ」
幹部の動きが止まる。
数秒の沈黙。
やがて、幹部は苦笑いを浮かべた。
「ハ……やっぱ、あんたは“本物”だな……」
そして、地面に片膝をついたまま、スーツの胸元を整える。
「覚えとけよ、長谷川。
このまま引き下がっちゃ、佐伯に顔向けできねぇ」
誠は黙っていた。
その背中に、リクが言葉をかけようとしたが――やめた。
幹部はゆっくりと立ち上がり、フラつきながらも車に乗り込んだ。
エンジン音が響く。
そして、去っていく。
路地には、誠とリクだけが残された。
しばしの沈黙のあと、リクが口を開く。
「……誠さん。やっぱすげぇな。
俺、全然通用しなかった。悔しいけど」
誠は一言だけ、ぽつりと呟いた。
「……まだ伸びるさ。
お前の拳も、背中もな」
その言葉に、リクは拳を握り直した。
誠の背中が、また歩き出す。
リクはその背中を、まっすぐに追った。
次は、追いつくために。
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