第20話 壊されたもの、残されたもの
午後の陽が傾きかけた頃、
誠はいつものように車を降り、スナック『しずく』の前に立った。
シャッターは半分ほどしか開いておらず、
看板の灯りも消えていた。
(……こんな時間でも、灯りがついてねぇのは珍しいな)
不穏な違和感を感じながら、
誠はそっとシャッターの隙間から中を覗き込む。
中から、小さな物音が聞こえた。
ガラスのぶつかる音、ホウキで床を掃く気配。
ノックせず、誠は静かにドアを押した。
キィ……と音を立てて開いたその先で、
ママ――淳子が一人、黙々と後片付けをしていた。
床にはまだ、割れたグラスの破片が散らばっている。
テーブルはひとつ脚が折れ、ソファの生地は破れていた。
額縁は落ち、花瓶は砕け、酒棚のボトルは半分も残っていない。
誠は何も言わず、その場で立ち止まった。
淳子が、ゆっくりと顔を上げる。
「……ごめんね。びっくりするよね、こんな店」
「……これは、どういうことだ」
その声には、怒りも苛立ちも乗っていなかった。
けれど、冷たく静かな空気が、確かに漂っていた。
淳子は掃除の手を止めた。
そして、少しだけ口を引き結びながら言う。
「……数日前の夜。二人組の男が来たの。
無言で入ってきて、いきなり棚を壊して……」
「警察は?」
「もう、いなくなってから。
一人は無骨で、何も喋らなかった。
もう一人は……妙に丁寧で、でも目が、冷たかった。
あんな目、見たことない」
誠の眉が、わずかに動く。
「……でかい方の男、髪は短めで、革ジャン。
もう一人は……黒いロングコート、手袋してて……」
その言葉に、誠の中で何かが――静かに弾けた。
記憶の奥。
声ではなく、空気。
殴り合った後に残った、汗と煙草と、鉄の匂い。
“背中を嫌っていた”あの男の顔が、
ぼんやりと浮かぶ。
(……鬼塚。まさか、お前……)
誠は黙ったまま、ゆっくりと店内を歩き始めた。
床の破片を避けながら、落ちた額縁を拾い上げる。
中の写真――スナックが開店した頃の一枚が、ヒビの入ったガラス越しに笑っていた。
「……直せるか」
その問いに、淳子はゆっくりと首を振る。
「……わかんない。
でも……もう一度、ちゃんとやりたい。
あんたが来てくれるようになってから……店、いい空気だったから」
誠は、その額縁をテーブルの上にそっと置いた。
それから、店内を一度だけ見渡す。
壊されたもの。
壊されなかった想い。
そして、狙われた意味。
(……これはただの嫌がらせじゃねぇ)
拳が、自然と握られていた。
「ママ。何があっても、またここに来る。
そのときまでに、灯りは戻しておいてくれ」
淳子は、笑わずに頷いた。
誠は店を出た。
夕陽が沈む空の下で、
彼の背中には、確かな“怒り”が宿り始めていた。
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