第10話 冷たい注文

静かなレストランの奥の席。

チェーンのイタリアンだが、内装は落ち着いている。

空調は効きすぎていて、ソーダ水の氷が妙にうるさかった。


「……ミヤシマ興産って言ったな。

わざわざ呼び出して、何の話だよ」


リクはテーブルに肘をついていた。

革ジャンにスウェット、煙草の箱を指でトントン叩きながら、

目の前に座る男を睨むように見ている。


その男は、スーツをぴしっと着た30代後半の男。

髪をきれいに撫でつけ、眼鏡の奥から冷静な目がこちらを見つめていた。


佐伯 雅仁。


「あなたにお願いしたいのは、あと二、三件ほどです。

商店街の古本屋、あとは駄菓子屋と――スナック『しずく』。

軽くで構いません。夜にちょっと騒げば、あとは我々が“調整”します」


「……軽くで済まないって、わかってんだろ?」


「ええ。ですが、あなたたちは“若い”。

お遊びの延長として受け止めてもらえます。

それに――報酬も、上乗せします」


佐伯は封筒をテーブルに滑らせた。

中には、きれいに揃った万札が入っていた。


リクは、それに目もくれず言った。


「なあ、あんた。

うちの連中が誰かのシャッター壊して、

スプレーで“死ね”とか書いて、

それで誰かが泣いてんの、見たことあるか?」


「私は現場には立ち会いません。

そのために“あなたたち”がいる」


「……」


リクの指が、ソーダのグラスをゆっくり押しやった。

氷がカランと音を立てる。


「使うだけ使って、ポイする気かよ。

うちは便利屋じゃねぇんだ」


「もちろん。必要以上のことはさせません。

ただ、あなたたちの“存在感”が、町にとってちょっとした刺激になるんですよ」


佐伯は笑った。

まるで、すでに勝負がついているとでも言うように。


「あなたも、自分の立ち位置は理解しているでしょう?

この街では、大人の顔色を伺うより――我々と手を組むほうが、賢い選択です」


その言葉に、リクははっきりと違和感を覚えた。


昔から“大人”という存在は信用していない。

けれど、こういう“大人”は――もっと嫌いだった。


冷たくて、軽くて、全部が“計算”でできているような目。


佐伯の目は、何ひとつ熱を持っていなかった。


「……あんたさ、昔はどうだった?」


「昔?」


「誰かに殴られたり、泣いたり、裏切られたり……

そういうの、ちゃんと味わってんのかよ」


佐伯の目が、わずかに鋭くなった。


「……あなたに、それを語る義務はありません」


「だろうな。

……じゃあ、今日はそれだけか?」


「ええ、後はお好きなように。

“役割”を果たしてくれれば、それでいい」


リクは立ち上がった。

グラスに残ったソーダを、一気に飲み干して言った。


「……ま、やるかどうかは“こっち”で決める。

頭下げられたわけでもねぇしな」


「それはご自由に」


「じゃあな、“お客様”」


皮肉を込めて言い、リクはレストランを後にした。


* * *


外に出ると、冷たい夜風が顔をなでた。

煙草に火をつけ、リクは煙を吐いた。


佐伯の言葉は、どこまでも冷たかった。

あの男は金と力で街をコントロールしてるつもりだ。


でも――

なぜか、脳裏に浮かぶのは、

あのとき、ヤマトが話していた“スーツのジジイ”の姿だった。


殴らなかった拳。止まった拳。


「……あいつのほうが、よっぽどマトモだよ」


煙草を口にくわえたまま、

リクはひとり、夜の道を歩いていった。

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