第8話 電話越しの火薬
静まり返ったスナック『しずく』の店内。
テレビは消され、グラスも片付けられ、ただ時計の針が壁の上で静かに動いていた。
誠はカウンターの奥に座り、ポケットから名刺を取り出した。
佐伯 雅仁
ミヤシマ興産 用地調整部
携帯:080-XXXX-XXXX
文字は端正だった。
かつては不器用だった男が、今は“整った顔”をして生きている。
だが、その整い具合が――逆に歪んで見えた。
誠は名刺を見つめ、煙草に火をつけた。
一本吸い終えるころ、ようやく携帯を取り出し、番号を入力する。
プルルル……
プルルル……
一拍の間をおいて、相手が出た。
「はい。佐伯です」
声は、昔と同じトーンだった。
だが、何かが――抜け落ちている。
あの頃あった“血の通った若さ”のようなものが、どこにもなかった。
「……俺だ」
短く、低く、そう言った。
一瞬の沈黙。
すぐに反応が返る。
「……長谷川さん、でしたか」
その声には驚きも動揺もなかった。
ただ、想定内といわんばかりの冷静さ。
「わざわざ、お電話ありがとうございます。
何か――ご用件でも?」
「お前が使ってる“爆音連合”のことだ」
「……なるほど」
佐伯は息を一つ吐いた気配を見せた。
「ついに連絡が来るかと、思っていました。
スナック街も、商店街も、随分とお困りのようで」
「“お困り”にしてるのは、誰だ?」
「さあ……我々はただ、再開発を円滑に進めるために、必要な“調整”をしているだけです。
関係者に直接手を出すことは一切しておりません」
「若い連中に金を渡し、暴れさせて、圧をかけて。
……それを“調整”って言うのか?」
「長谷川さん。あなたは今でも“理想”を捨てていないようですね」
その言葉に、誠の眉がぴくりと動いた。
佐伯の声は、柔らかいが――確かに棘がある。
「俺はただ、筋を通して生きてるだけだ。
街を荒らして、力で押し通すやり方は、筋じゃねぇ」
「筋……。
懐かしい響きですね。
でも、その筋で――あなたは守れなかった。違いますか?」
一瞬、通話の向こうで“火薬”が弾けた。
誠の握る手が、ほんのわずか震えた。
だが、言葉は崩れなかった。
「……それでも俺は、この街で黙ってられねぇ。
若い連中を利用して、住人に圧をかけるのはやめろ。
俺は、そいつらにも、あんたにも、手を出す気はない。
――今なら、まだな」
「なるほど。警告、ですね」
「これは“忠告”だ。
まだ、お前に残ってるならな。
“あの頃の目”が」
電話の向こうで、笑い声が漏れた。
それは、かつての佐伯が一度も見せたことのない――
“誰かを見下ろす”ような笑いだった。
「残念です。
あの頃の俺は、あの時――一緒に死んだんですよ。
あなたが、組を去った日」
誠は答えなかった。
「でも、嬉しいです。こうしてまた“ご縁”ができた。
これからも、長谷川さんがどこまで“背中で語れる”のか――
楽しみにしていますよ」
ピッ。
通話が切れた。
携帯をゆっくり机に置く。
煙草は、最後の一口を焼ききったあとだった。
誠は静かに立ち上がり、窓の外を見る。
遠くで、バイクの爆音が響いていた。
「……火薬に火がついたな」
その声は低く、静かだった。
けれど確かに、戦う男の腹の底から――熱が、湧き上がっていた。
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