第4話 名前の裏側

「ミヤシマ興産、か……」


あの日から何度もその名前を反芻していた。

表向きは再開発のための不動産企業。

だが、その動きはどうにも“品”がない。

立ち退きに応じない店には、深夜に無言電話、街の掲示板に嫌がらせの落書き。

まるで昭和の地上げ屋そのものだ。


俺は久しぶりに、新宿の雑居ビルに足を運んだ。

五階まで階段。エレベーターなんて気の利いたもんはない。


プレートには「ウシジマ調査事務所」。

半分剥がれたカッティングシートの文字。相変わらず雑だ。


ノックもせずにドアを開けると、中から煙草の煙と加齢臭と、妙に甘ったるい整髪料の匂いが鼻を突いた。


「……おいおい、誰だと思ったら。死人が歩いてきたのかと思ったぜ」


奥のソファで胡坐をかいていたのは、ウッシー――牛島義男。

変わらねぇ顔だ。ハゲが進行してたくらいで、あとはそのまんま。


「久しぶりだな」


「何年ぶりだ、誠ちゃん。俺が心臓止まる前に会いに来てくれるとはな」


皮肉と照れ隠しが同居した声。

ウッシーは昔から、素直に喜ぶのが下手だった。


「……調べてほしい名前がある。ミヤシマ興産。裏を、できるだけ深く」


その言葉を聞いた瞬間、ウッシーの表情から笑いが消えた。


「なんだよ……また火に近づいてんのか、あんた」


「街が揺れてる。ここで黙ってたら、俺はたぶん、自分を嫌いになる」


「……スナック『しずく』の件か」


さすがに早い。情報の回りも相変わらずだ。


ウッシーはしばらく黙って、古いスチール棚から紙束を一つ取り出した。

机に投げ出されたその書類は、社名が黒く太い文字で記されていた。


「株式会社ミヤシマ興産」


「登記上は不動産。だが、出資元に『八栄会(はちえいかい)』って名前がある。お前、知ってるな?」


八栄会。かつての抗争相手だ。

あの夜、嫁と娘を奪ったのも――あの組織だった。


「社長の宮島勝利。表の顔はただの経営者だが、裏では“八栄会残党の資金回収係”って話がある。

そいつが再開発を利用して、土地を浄化しながら金を洗ってる」


「……全部つながってるってことか」


「そういうこった。だから言うんだよ――手ぇ引け、誠ちゃん。

あんた、もう“戦う側”じゃねぇだろ?今のあんたが動きゃ、潰されるだけだ」


その忠告に、俺は黙って煙草に火をつけた。

肺が少し痛む。でも、この煙の苦さが妙に落ち着く。


「潰されてもいい。

ただ……誰かが泣いてるのを見て、知らん顔するような生き方は――

俺には似合わねぇ」


ウッシーが、久しぶりに真顔になった。

それは、昔、命を懸けた修羅場で見た顔だ。


「……この資料、やるよ。ただし、使い方はお前次第だ」


「感謝する」


「してくれなくていい。ただ――また、あの目をするようになったな」


「どんな目だ?」


「誰かを、じゃねぇ。

“自分自身”に引き金を向けてる目だよ」


言葉が重く刺さる。

でも、もう後戻りするつもりはない。


俺は、資料を鞄にしまい、背を向けてドアに手をかけた。


「……あの火は、まだ燻ってるってわけか」


「いや、誠ちゃん。

あれはもう、煙じゃねぇ。――立派な火柱だ」

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