第12話 コンくんの秘密
「コンくん、もう大丈夫だから……」
ベッドの上でぐったりと横たわる彼の傷を消毒し終えたわたしは、彼の色を失った金髪をサラリと撫でる。
夜の十一時。
傷だらけのコンくんを、イチくんの部屋に運び込んだわたしたち三人の間には、重苦しい空気がただよっていた。
きっとイチくんも、タイガくんも、わたしも。考えてることは、みんな一緒だと思う。
きっと明日が、最後の日になるんだろうから。
最後の日が来るということは、それまでにわたしたちが魔物を倒すための方法を考えださなきゃいけないってこと。
……あの大きな魔物を。
そんな中。わたしはゆっくりと息を吐いた後、パーカーのポケットから、秘伝書を取り出した。
静かな部屋に唯一響く紙の音は、イチくんの目線を釘付けにさせるのには充分すぎるほどだった。
「スバル、それ……」
ごくり、とイチくんの喉が鳴る。彼の瞳は、わかりやすいほどに焦りの色を浮かべていて。
そりゃあそうか。だって、隠していたはずのコレをなぜかわたしが持ってるんだもん。
「解読、してくれたんだよね」
パラパラとページをめくると、自然にそのページへと行き着いてしまう。そのくらい、何度も見られたあとがある。
きっと、イチくんが何度も見たんだろう。
——信じたくないものがあったから。
「四つの術なら、わたしにだって使えるよ」
「っ、ダメだ」
「どうして?」
苦しげに息を吐いたイチくんに、優しい声色で尋ねる。
わかってる、わかってるよ。
……術を一度使うだけで、チカラが……いや、人間側のイノチが削られるも同然くらいのエネルギーを使うんでしょ?
だからイチくんは、例え五つ目の術を使えるとしても、わたしに他四つの術を使わせたくなかった。
五つ目の術を使える二つの条件は、それが関係してるから。
「一つ目、赫炎、雪花、雷解き、水波全てをその日以内に使うこと」
ピクリ、とイチくんの肩が反応する。まるで、自分の心を読まれたように。
「二つ目、その日が、満月であること」
「っ……」
「イチくん、自分の命を軽く見ないで」
『でも万が一……最悪が起こった場合、ソレを使うことになったっていい』
あの時、わたしが目を覚ました時に言っていたのは、このことだったんだね……。
今行った二つは、五つ目の術の開放条件だった。
ページの下の方に、何度も消しゴムで消した後がある。
「自分は死んでもいいけど、相手は死なせたくない。……そんなの、わたしだって一緒だもん!」
震える喉から絞り出した声に、イチくんはハッとわたしを見た。
イチくんは、自分よりもわたしが大事かもしれない。四つの術を使うことによってわたしのチカラが削られることを避けたいのかもしれない。
……でも、わたしだってわたしよりもイチくんの方が大事。四つの術で魔物をどうにかできるのならば、五つ目の術なんて、絶対に使わせたくない。
「イチくんばっかり戦うなんて、そんなの、あんまりだよ……」
「……スバル」
ぐっと言葉に詰まってうつむいたイチくんに歩み寄ると、サラサラなその髪を優しく撫でた。
「わたしは死なないし、イチくんも絶対に死なせない。五つ目の術だけは……絶対に、使わない」
「っ、でも、それじゃあっ、倒せないかもしれないんだ……」
そんなの、わかってる。使わなければいけない時が、来るかもしれない。
でも、それまでは……っ。
涙が溢れてきそうなのを必死に堪えて、わたしは口角を無理やり上げた。
「みんなで見つけよう……?魔物を倒す方法。きっと見つかるから」
きっと見つかる、なんて自信を持って言えるほどの根拠も理由もチカラも、何もない。わたし自身に言い聞かせてるその必死な言葉を、本当にするために。
「わたしが絶対に見つけるから」
イチくんと、これからもずっと一緒にいられるように。
イチくんの透き通った瞳と視線が交わってから、何分が経っただろう。
「ぅ……」
ベッドに横たわっていたコンくんの苦しげなうめき声が聞こえたとたん、わたしはハッと我にかえった。
「っ、コンくん……!?」
見れば、ぎゅっと眉間にシワを寄せて口元を歪めたコンくん。
慌てて駆け寄ったわたしの足音で、ようやく目を覚ましたみたいだった。
「コンくん……だ、大丈夫……?」
いくらケガをしていてボロボロになっているとしても、一時にはわたしのことを消そうとした相手だ。
心配もあるけど、やっぱり恐怖心もある。
「スバル、下がってろ」
そんなわたしの心情を見抜いてか、すぐさまイチくんがわたしの腕を引くと、自分の背中の後ろにわたしを隠すようにして前に立った。
わたしからはイチくんの顔は見えないけど……、その先にいるタイガくんが、ゴクリと唾を飲み込んでいるのがわかった。
いつはち切れてもおかしくないような糸が張り詰めた、緊迫した雰囲気がわたしの体を動けなくさせていた。
魔物と直接関わりを持っていた人物が、今、目の前にいるんだ……。
……でも、コンくんの開かれた口から出てきた言葉は、拍子抜けしてしまうほどのもので。
「アホ、もう戦う気力もなんもあらへんわ」
すべてを諦めたような軽いため息をついたあと、コンくんは自嘲気味な笑みとともにそう呟いた。
魔物や動物たちにつけられた傷をおさえて「いてて……」と顔をしかめる彼からはもう、あの時……わたしを始末してしまおうとした時のゾッとするような雰囲気はまとっていない。
「って、イチロウくん、そんな怖い顔すんなや。君にもスバルちゃんにも、悪かったと思ってる」
さらに細められた彼の糸目が、イチくんの後ろにいるわたしを向いた。
何を考えてるかわからないその目は、いまだ慣れなくて、ちょっとだけ怖い。
……けど。
「……どうして、こんなことになっちゃったの」
ちゃんと、話さなきゃ。
わかろうとしなきゃ。聞こうとしなきゃ。歩み寄ろうとしなきゃ。
きっと、わからないままだから。
タイガくんは、わたしの真剣な眼差しを交わすように笑みを浮かべると、窓の外に広がる夜空を見上げた。
「見ての通り、ボクは
「ほう、おう……?」
聞いたことのない名前に、思わず首を傾げると、コンくんはキョトンとしたようにわたしを振り向いた。
「なんや、知らへんのか?アンタらが喉から手が出るほど倒したい"魔物"の正体やで」
「っ!」
「鳳凰って、あの中国歴史のアレか!?」
すぐそばで聞いていたタイガくんが、びっくりしたようにイスから立ち上がる。
「あぁ、そうそう。中国歴史では、神様のはずなんやけどなぁ」
なんでこうなったんや、と首を傾げながらそういうコンくん。
まさか、魔物にもちゃんとした名前があったなんて……翼があったから、鳥類なのだろうとは思っていたけど、鳳凰だなんてまったく頭にもなかった。
と、そこでわたしはふと気づく。
「封印の力が弱まってしもて、出てきちゃったらしいわ。ほんま、比にならんほどの力があるんやろうな」
コンくんの声には、少しだけ皮肉も混じっているような気がして。全く『鳳凰様』への敬意も尊敬も感じられないのは、気のせい……?
「でももうボクは、あんなんに仕えたないくらい嫌いやけどな」
あはは、とこの場の空気に合わない笑い声を上げたコンくん。
そこで彼の表情を見て、ハッと息を呑んだ。
「おまえ、自分が何したかわかって——……!」
「ま、待って、イチくん……っ」
イチくんが声を荒げてコンくんの胸ぐらを掴もうとしたのを、わたしは慌てて止めた。
「スバル、コイツはスバルのことを……」
わかってるよ、イチくん。
わたしのことを始末しようとして近づいてきた存在が、どうしても許せないんだよね。
いつもそう。
わたしのことになると、どうしてもいつもの冷静さを欠いちゃって。
わたしは、ギュッと痛いほどに握り締められた彼の手のひらを優しく包むと、目を見て言った。
「大丈夫だから」
数秒の沈黙の後、納得いかないような表情を浮かべながらもコクリと頷いたイチくんは、コンくんを鋭く睨みつけながらわたしの後ろに下がる。
「まあ、もうボクは鳳凰様とはおさらばや。用済みの使い捨てコマってとこやなぁ」
「……コンくん」
「いやー、離れられてスッキリしたわ」
「コンくんっ!」
窓の外を見ながら笑顔でそう語り続けるコンくんの言葉を遮って、わたしは声を荒げた。
彼の金色の髪が、かすかに揺れる。
「……ほんまに、アンタのこと嫌いすぎて吐きそうになるな」
「……」
敵なのに助けるし、ボクに歩み寄ろうとしてくるし。と、吐き捨てるようにそう呟くコンくんの表情からは、笑みが消えていた。
そのかわり、さっき垣間見えたあの表情と同じ——内面から溢れ出るものを押さえられないような、苦しそうで、泣きそうな顔。
「いい加減気づけや、ボクはあの場で死にたかったんやって!!」
上体を起こしたコンくんは、行き場のない怒りを吐き出すようにそう叫んだ。穏やかだった彼の声色からは想像もできないくらい、その声は掠れていて。
「ごめんね、コンくん。気づけなくて」
「あぁもう、うっさいねん!自分を殺そうとしてきた相手に偽善とかいらんやろうが!」
「偽善じゃない」
「黙れっ!」
コンくんの悲痛な叫び声とともに、わたしの頭上で振り上げられる拳。
その拳は、やはりわたしに向かって振り下ろされていて。
——目が合った。
苦しみに歪んだ彼の瞳と、わたしの目が。
「……なんで、避けへんの……」
それから、何秒が経っただろうか。来るはずだった痛みは、やっぱり来なくて。
その代わりに、だらんと力を失ったコンくんの拳と、弱々しい声。
……ほらね。
「コンくんは、理由もなく人を傷つけたりしないから」
ハッとコンくんが息を呑む音がした。そして、弾かれたように顔を上げる。
やっぱりコンくんは、優しいんだ。
ずっと気づいてたから。わたしの前に敵として立っていた時から、ずっとずっと、辛そうな表情、してたもん。
そんな人が、理由もなく鳳凰に仕えて、わたしを平気で殺せるわけがないから。
わたしは、ポロリと彼の頰を伝った一粒の涙を手の甲で拭うと、安心させるように笑いかけた。
「しんどかったね。助けるのが遅くなって、ごめんね」
彼に何があったのかは知らない。話してくれるまでは、聞かないつもり。
コンくんが、本当は優しいんだって。わかっただけで充分だよ。
わたしは、そっと彼の背中に腕を回した。
きっと、ナニカと戦ってきたんだろう。ずっとずっと、独りで。
それなら、わたしが独りぼっちにさせなかったらいいんだ。
一緒に戦えばいいんだ。
こんなに辛そうにしてるコンくん、放っておけないよ。
「……呪いに、かけられたんだ」
「え……?」
ポツリと呟いたコンくんの声は、すぐそばにいたわたしにしか聞こえなかったのかもしれない。
そっと離れると、彼は、意を決したように口を開いた。
「父さんも母さんも、鳳凰に呪いをかけられた」
まるで別人になってしもうた、と、コンくんはそう語る。
呪いって、動物を凶暴化する呪い……のこと、だよね?
「だからボクは、なんでもするから両親の呪いを解いてくれって……鳳凰に仕える身になったってワケ」
ふう、とそこで一息ついた彼は、眉根を寄せた。
「鳳凰に神山昴の始末を任されて、それができたら呪いを解いてやるって約束やった」
じゃあ、わたしに近づいたのも、わたしのことを殺そうとしたのも……鳳凰に仕えたのも、全部全部、お父さんとお母さんを助けるためだったんだ。
わたしのお父さんはもう、小さい頃に病気で死んじゃったからいないけど、唯一のお母さんが、もしも別人のようになってしまったら……。
考えるだけで、胸が苦しい。
それからコンくんは、数十秒、無言の沈黙を作り出した後、絞り出すように「でも」と話を繋げた。
「父さんも母さんも、殺された。用済みだって」
「っ……!」
「で、それにボクが歯向かって感情のままに鳳凰に殴りかかって、さっきの有様や」
アホみたいやろ、なんて自嘲気味に言うコンくんの瞳からは、次から次へと大粒の涙がこぼれていた。
「コン、くん……」
「助けてほしい……スバルちゃん」
今にも消えてしまいそうなか細い声でそう言ったコンくんはもう、あの時のコンくんじゃなくて。
ただひとりの、わたしと同い年の男の子だった。
「……うん、当たり前でしょ」
コンくんのぶんまで、わたしが鳳凰のかたきを取ってくるから。
力強く頷いて笑って見せると、コンくんはそのまま、まぶたをゆっくりと閉じた。
心の底から安心したように。
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