第11話 黒幕の登場

「——やっぱり、あの術を使うしかないんじゃねえのか?」

「ダメだ。……危険すぎる。それに……」

「それに?」

「明日は、満月の日なんだ——」


イチくんとタイガくんの、焦りを含んだ声で目が覚めた。

視界には、見慣れない古い木目の天井があって。

あぁそっか、今、わたしはキャンプに来てたんだった。と、ぼんやりした頭の中で、そんなことを考える。


「……最悪、を使うことになったっていい」

「っ、バカ言うな!そんなの——」

「オレはいいんだよ!」


「イチ……くん……?」

今までに聞いたこともないようなイチくんの怒声に、わたしは不安になって思わず名前を呼ぶ。

なんの話をしてるの……?タイガくんもイチくんも、なんでそんなに怒ってるの……?

いまだぼんやりしていて、回らない頭の中で、ぐるぐるとそんな疑問たちが渦巻く。

ゆっくりと首を横に向けると、そこにはやはり、イチくんとタイガくん、二人の姿があった。

「スバル……」

「どうしたの……?」

わたしを見た瞬間、苦しそうに眉根を寄せたイチくんは、すぐにわたしから目を背けた。

「でかい声、出して悪かったな。……体、大丈夫か?」

「あ……うん……」

慌てて笑みを浮かべてわたしの心配をしてくれるタイガくんの頰には、切り傷があって。それを見ると、わたしの頭の中で、さっきまで起こっていた記憶が一気に蘇った。

そうだ……!あの時わたし……っ!

「コンくんはっ!?」

一気に目が覚めて、ドクンと心臓が大きくひと鳴りする。

ガバリと勢いよく起き上がったわたしのこめかみに、冷や汗が浮かんだ。

「……悪い、逃した」

わたしが横になっているベッドから少し離れた位置で俯いているイチくんが、ぼそりとそう言った。

銀色の髪は、こころなしかいつもよりも輝きを失っているように見えて。その髪が、彼の表情を隠していた。

「……イチくん……?」

なんだか、様子がおかしい。

ギュッと拳を握りしめて突っ立っているイチくんは、わたしが名前を呼んでも返事をしてくれなくて。

代わりに、わたしとタイガくんに背を向けた。

「……外、行ってくる」

「え……い、イチくん、待っ——」

今まで、彼がわたしを無視するなんてこと、絶対になかった。名前を呼べば、嬉しそうに首を傾げる。ピンチの時は、いつも助けに来てくれる。わたしのことが大事だって、痛いほどに伝わる。

それなのに、今は。


——バタン。


わたしの言葉を途中でさえぎるように、部屋の扉が閉まる音がした。


イチくん、本当にどうしちゃったっていうの……?

なんだか、今までずっと一緒にいたはずのイチくんがイチくんじゃなくなったみたいで。わたしのことを忘れてしまったみたいで。

気づけば、視界が熱い涙でぼんやりとしていた。

「……スバル」

タイガくんが、眉を下げて悲しそうに私の名前を呼ぶと、ベッドに腰掛けた。

「神山流派術は……四つじゃない」

「……え……?」

タイガくんは、手をパーにして、私の前にかかげて見せる。

「五つ、だ。五つ目の術があるんだ」

私をまっすぐに見据える彼の瞳は、真剣で。

どうやら、本当のことみたいだ。

「でも、五つ目の術を使うには、ある二つの条件を満たさなきゃいけない」

「条件……」

"きっとそれが、イチロウを苦しめてるんだと思う"……そう寂しそうに呟いたタイガくんは、さっきのイチくんのように、ギュッと手のひらをキツく握りしめた。

「イチロウは、オレより、あのコンってヤツより、圧倒的に強い。チカラも、知識も、戦い方も……アイツは、逸材だから」

わたしは、イチくんが出て行った扉の方向をぼんやりと見つめる。

逸材のイチくんと、運動神経はド底辺、学力もフツーなわたし。そんなわたしに、どうして呪いを清められるチカラが与えられたんだろう。なんて、そんなのわかんない。

タイガくんは、「でも」と話を続けた。

「今回の敵は……魔物は、イチロウだけじゃ、倒せない」

必要なんだ、と、彼の目がそう告げていた。勉強があまり得意じゃないわたしでも、タイガくんが言いたいことはわかってしまう。


きっと、魔物を倒すためには、五つ目の術を使う必要があるんだ……。


タイガくんは、ごくりと唾を飲み込んで頷いたわたしに、ポケットからあるものを取り出して手渡した。

「ひ、でんしょ……?」

古びた茶色くて分厚い本。間違いなくこれは、ウチの地下室に置いてあった秘伝書そのものだった。

首を傾げたわたしに、タイガくんは人差し指を唇の前に持ってくる。

「イチロウが全部、解読してた」

「えっ……!?」

「まあ、オレは文字が読めねえから、さっぱりだったけど」

勝手にアイツから盗んできた、なんて、サラリと衝撃を口走ってしまうタイガくんは、意外にも笑ってはいなくて。

「オレにわかったのは、五つ目の術の効果だけだ」

泣きそうな、苦しそうな。

そんな表情だった。


「その術を使わなければ、魔物は倒せない確率が高い。……でも、その術を使ってしまえば……」

張り詰めた室内の空気に、わたしの手も、いつのまにかシーツをギュッと握りしめていて。

普段なら気にならないはずの時計の秒針音さえも、耳を刺激されるような。

でも、次の瞬間、彼の口から並んだ言葉たちは、わたしには信じられないもので。


たちまち、時間が止まったように感じた。



——イチロウの命は、保証できない。



***



それから、何分が経過しただろうか。部屋の中には、一定のリズムで刻まれ続ける秒針音と、かすかに荒くなった私の息遣いだけ。

手に力が入らなくなって、思わず秘伝書を落としそうになってしまった、その時だった。


ぐわん。


「……っ、え」

「スバル!」

突然、視界が回転するみたいに、空間がぐにゃりと歪んだのだ。

わたしの体はどこを向いていて、どちらが上か、どちらが下か。それすらもわからないまま、わたしの体はベッドから落ちる。


それとともに、焦ったような声でわたしの名前を呼んだタイガくん。


……あれ?


「タイガくん……?」

「どうしたっ、何があった……!?」

「見えない……」

「はっ!?」

どういうことだよ、と声を荒げるタイガくん。そんなの、わたしだってわからない。何が起きてるのか。

目の前が暗く霞んで見えないの。

タイガくんの声は聞こえるけど、暗くて視界がパッとしないの。

タイガくんには見えてないの……?黒い霧のような、全身にまとわりつくコレが。


ただ、それが強力な呪気であると気がつくまでは。


「何か……いる、の……?」

「おい、スバル!?」

「タイガくん……!イチくんと、行かなきゃ……っ」


こんなにも強い呪気、初めてだ。まるで水の中にいるみたいに濁っていて、黒くて、重い。

間違いない。

——きっとこの呪気の正体は。


「魔物だから」


いまだふらつく体をなんとか起こして、タイガくんの肩を借りて外に出ると、とっくに日は落ちていて。星の代わりに、そこは呪気で充満していた。

遠くで、キャンプファイヤーをする生徒たちがぼんやりと見えるけれど、魔物らしき姿はないみたい。

「スバル……?」

「っ、イチくん……!」

驚いたような声に振り向くと、そこには壁に寄りかかるようにして立っていたイチくん。

よ、よかった……まだ遠くに行ってなくて……っ。

さっき、イチくんの様子がおかしくて少し気まずいだとか、そんなのは今どうでもいい。


「イチくんっ、いるの……!魔物がっ」


わたしのその言葉だけで、今何が起きているのかをイチくんは理解したらしい。イチくんは、すぐにオオカミの姿に変身すると、わたしを軽々と背中に乗せた。

空は、呪気で覆い尽くされていて、星も月もない。ただただ、真っ黒だった。


「オレも一緒に行くぜ」

「タイガくんっ」

タイガくんも、いつの間にやらホワイトタイガーに変身していて。

瞳孔を丸くさせて、前脚で軽く地面を叩いた。


次の瞬間。


イチくんの耳が、何かをとらえた。ピン、と、ある方向に気を示すと、たちまち、その場には竜巻のような風が起こった。

ビュンッ!と、風を切るどころではない、風すらも一緒に向かっていると錯覚するくらい、速すぎて、気を抜けばすぐにわたしが振り落とされてしまいそうなイチくんのスピード。

もはや周りの景色までもが見えない。


——この近くに、魔物がいるんだ。


世の中の動物に呪いをかけている犯人が。コンくんが仕えている「あのお方」が……っ。


"イチロウの命は、保証できない"


ふと、魔物を倒すために払わなければいけない犠牲が頭によぎる。

残酷すぎるその犠牲は、信じられないもの、信じたくないもの。

イチくんはきっと、最初からそのことを知っていたんだ。


ぎゅっ、と、彼の背中に抱きつく。サラサラで銀色の毛並みも。まるで宝物に触れるかのように、いつもわたしの体に巻きついてくるふわふわのシッポも。撫でてあげると嬉しそうに「くぅん」って鳴くのも。


全部全部、捧げなきゃいけないっていうの……?


いやだ。そんなのいやに決まってる。だってイチくん、あんなにも強いんだよ……?五つ目の術を使わなくたって、負けないに決まってる。

他に何か、解決策があるはず。いや、絶対にある。あるに決まってる。


そうじゃなきゃ……っ。


ツン、と鼻の奥が刺されたように痛む。カッと熱くなる目頭。

絶対に、イチくんを奪わせたりはしない……っ!


***


わたしは、目の前に広がるその光景に言葉を失った。

「グワアッ!」

「ガァァァァァッ」

「グルルル……」


「え……?」

わたしたちがキャンプしていた山とは別の山……ここらで一番高い山の頂上にて。

木々が生えていない開けた土地に、それらは居た。


闇夜にハッキリと光る、真っ赤な両目をギラつかせた動物。カラスに、クマに、ウサギに、ヘビに、シカに、イノシシ。

大量の動物たちが、ある一点目掛け、集中攻撃をしていた。


そして、その中心。目をつけられていたのは。


——コンくんだったから。


「おいおい、嘘だろ……?なんだよ、これ……」

隣で呆然としたように、タイガくんが呟く。もちろん、その視線の先にはコンくんがあって。

砂や土で、綺麗な金色だったその髪は、薄汚れていたけれど。それはたしかにコンくんで。

踏みつけられたり、クチバシやツノで突かれたり。

見るにも痛々しい傷たちが、彼の体には増えていった。


どう、なってるの……?


コンくんは、魔物の味方じゃ……。でも、わたしにはそんなことを考えている暇はない。

「コンくんっ!」

気づけばわたしの体は、彼を守るために声を上げていた。

しかし、その瞬間、ギロリと赤い目たちが一斉にこちらを向く。動物たちのターゲットが、こちらへと切り替わったのだ。


「チッ……なんで来んねん……バカどもが……」

苦しそうに息を荒くさせたコンくんは、駆けつけたわたしたちの姿を見ると、そう呟いた。まるで、わたしたちに来て欲しくなかったような、全てを諦めかけていたような、そんな声色。


「イチくん、コンくんのこと、助けよう」


イチくんの背中に乗ったまま、わたしはイチくんにそう耳打ちする。

ぴくり、と彼の耳が反応した。もしかしたら、イチくんはそれに反対かもしれない。それでも。

「何しとんねん、さっさと逃げろや!死ぬぞ!」

「コンくん!今、助けるからっ」

「はぁ……!?」

わたしに必死に訴えるコンくんは、今までに見たことがないくらい必死で。いつもの涼しげな表情は、もうどこにもなかった。


「チッ、囲まれた……」


イチくんの隣に並ぶタイガくんが、威嚇をしながらそう呟いた。

そう、コンくんを攻撃する動物がいなくなった代わりに、その動物たちがわたしたちへとターゲットを切り替えたのだ。

赤い目たちが、わたしたちを囲んで、ジリジリと近づいてくる。


このままじゃ、コンくんのことを助けにいけない……っ。


ギリ……と歯を食いしばった、その時。


広場の中心に、ひっそりと立っていた小さなほこらから、ぶわっ!と、真っ黒い呪気が溢れ出すように激風を吹かせた。

呪気が目に見える粒子となって、広場の中心でぐるぐると渦巻くそれは、竜巻へと変化して。

「うっ……」

思わず吹き飛ばされそうになったわたしは、慌ててイチくんの背中にしがみついた。

何が、起きてるの……っ!?

とてつもない嫌な予感に、わたしの神経は逆立っていく。


そして次の瞬間、渦巻く呪気の中心で広げられたモノを見た。


——まるで血に濡れたように、光をも吸い込んでしまいそうな、赤黒い翼を。


「なに……あれ……」

ブォンッ!ブォンッ!と、一定のリズムで起こる風、それは、呪気が勝手に風を起こしているのではない。


翼が、起こしていたんだ。


そして、その翼によって払われていく呪気から、どんどんソイツの全身があらわになっていく。

「——鳥……?」

赤黒い毛を持つ全身と、まるでアクセサリーのように、風に吹かれて揺れる長い長いシッポ。

その目は、今まで見てきた呪いにかけられた動物とは違って、真っ黒で。


一瞬でわかってしまった。

——これが、わたしとイチくんの倒すべき最後の敵……魔物であるということを。



「あぁ、まだ死んでいなかったのか」


魔物は、漆黒の瞳で、すぐそばに横たわるコンくんに目を向けると、そんなことを口にした。この世で一番低い声、聞いているだけで吸い込まれてしまいそうになるくらい、真っ黒な声だった。

「はっ、アンタのそばで仕えられるくらいには、頑丈にできとるからなぁっ」

コンくんは、荒い呼吸を繰り返しながら笑みを浮かべると、震える体をなんとか起こして立ち上がった。


「……ひとつ、勘違いしているようだから言っておくが、オマエはワタシの数あるうちのひとつのコマに過ぎない」


魔物は、退屈そうにクチバシをカチカチと鳴らすと、高く飛び上がった。


「オマエなどもういらん。所詮、使い捨ての無能なのだ」

「チッ……クソッタレが……っ!」


その瞬間、こめかみに青筋を浮かべたコンくんが、タイガくんにしたように、指の先に光の玉を集めると、魔物に向かって、ビュンッ!と飛ばす。

光の玉が、魔物に当たった瞬間に爆発する。その風圧が、地上にいるわたしたちにまで強く伝わってきた。

……そのはずなのに。


「ふん、無駄な悪あがきを。……もういい、ひとおもいに始末してやる」


と、次の瞬間。身構えたコンくんの守りは、やはり一足遅く。

ブォンッ!と、魔物の赤黒い翼がとんでもなく強い風の塊となって、コンくんを襲った。


「っ!」


イチくんは、わたしを乗せたままとっさに岩の影に隠れたから、被害は最小限に済んだけれど。

コンくんが吹っ飛ばされていたさっきの瞬間が、頭にこびりついて離れなかった。


「っ、コンくん!」


わたしは、無意識のうちに、イチくんの背中から飛び降りると、ぐったりと横たわるコンくんに、一目散に駆け寄っていた。

見るにも耐えないくらい、ボロボロな姿のコンくんは、意識を失っていた。


「なんで味方にそんなことができるのっ!?」


わたしは、コンくんの前に立ちはだかって、闇の空に浮かぶ影を睨みつけた。

仲間をこんなに傷つけて……なんで……!?


「ふむ、邪魔だな」


魔物は、まるでわたしの声なんて聴こえもしなかったかのようにそう呟くと、クチバシの先で、炎のような光を集めた。

コンくんと似たその動作に、わたしの頭の中で警報が鳴り響く。それなのに、体が動いてくれない。鉛がぶら下がっているみたいに。地面に足がくっついたみたいに。


ボゥッ!と、勢いよく火の玉が、わたしに向かって放たれて。

ダメ……!逃げられないっ……と、目を瞑ったその時だった。



「ウォォォォォンッ!」



高くて、済んだ遠吠えが、あたりに響き渡った。まるで地球の裏側まで聞こえてるんじゃないか、と疑ってしまうほど透き通ったその遠吠えに、わたしは瞑っていた目をおそるおそる開く。


——やはりそこには、イチくんの後ろ姿があって。


イチくんの遠吠えは、魔物の火の玉を消滅させたらしい。跡形もなく消えていて。

あたりが、シン……と静まり返った。そして魔物は、クチバシをカチカチと鳴らすと、思い出したように声を上げた。


「……おぬしら、もしや……神山一族だな?」

「っ、……」

「図星か」


魔物は、わたしとイチくんを交互に見ると、少し考え込むようにしてから、言った。


「憎たらしいほどに似ておる。あの女と!」


その瞬間、ぶわりと再び魔物から溢れ出す真っ黒な呪気。

それが怒りを表しているなんて、誰が見てもわかる。なにが魔物の逆鱗に触れたのか、詳しくはわからない。

けど……っ。


「おい、イチロウ!スバル!一旦引くぞ!」

「わかった!タイガくん、コンくんをお願い!」

「おうよ!」


さっきよりも二倍ほど大きくなった魔物の姿に、勝てる気がしない……つ!

ドクドクと太鼓を打つように大きくなり続ける心臓が、今にも口から出てきそうだ。


「はははっ、たとえ逃げようとも、心配はいらん!」


イチくんの背中に乗ったまま、後ろを振り返る。

やはり、闇の空をバックにした魔物は、こちらを見ていた。でも、追いかけてくる気はなさそうで。



「明日、この世界を呪いへと変えるのだから!」



ざわり、と、わたしの胸の内側が、一気に不安に包まれた。

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