第2話 背景で死ぬはずの男
アッシュが火と死の匂いが残る戦場で拾われてから、数年が経っていた。
色々な事が出来るようになったアッシュは、傭兵団【灰狼の牙】の雑用係として、日々を過ごしている。元は戦場に捨てられていた赤子。血筋も素性も不明。それでも団の者たちは彼に飯を与え、寝床を与え、ときには生意気な口をきくガキとして叱り飛ばした。
だがここの生活は悪くはなかった。
「おう、アッシュ。湯が湧いたか?」
「ほら、あんたの好きな干し肉残しておいたよ。食べな」
そんな言葉が、何気なく投げかけられる。
口は悪いが世話焼きな古参兵、文句を言いながらも気遣いを見せる女傭兵、口論しながらも肩を並べて笑う若者たち──
あの日拾われてから、アッシュは彼らの輪の中にいた。年齢も、生い立ちも違う。けれど、確かにここには家族のような温もりがあった。
戦場を駆ける日々の中で、死と隣り合わせの中で、それでも皆はその日を笑い、食べ、眠る。
アッシュはそれを、心の底から大切だと思っていた。
一宿一飯の恩ではない。赤子の頃、命を拾ってくれた彼らへの恩義。そして今は、自分もその一員としてここにいるという誇りが、アッシュの背中を支えている。
だからアッシュは、どんな雑用でも黙ってこなし、誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで動いていた。全ては、己の意思で立つ場所を確保するために。
(強くなる。いつか、この人たちに恩返しができるように)
ここは傭兵団だ。恩を返すならともに戦わねばならない。だが強くなければ、次の日には地面の上に死体を晒すだけである。今はまだ戦場には立つことはないが、来たるべき日の為に強くならねばならない。
そうして忙しくも穏やかな日々は更に続き……。夜明け前の冷たい空気の中、アッシュはいつものように雑用をこなしていた。水を汲み、鎧に油を差し、刃を研ぎ、鍋を磨き、干していた装備を取り込む。仲間たちが眠る間に、アッシュは団の一日の始まりを整えていく。
戦場に立てぬ代わりとはいえ、まだ小さいアッシュには重労働に違いない。それでももはや日課といえる程には生活の一部になっている。
始めこそ時間がかかっていた雑用も、ここ二、三年でかなり手際良く終わるようになってきた。そうして余った時間にアッシュは、野営地の外れで木刀を振るうのだ。
木剣ではなくわざわざ自分で削り出した木刀で――ただ一心不乱に、己の知っている型をなぞる。前世の知識にある武道の経験を頼りに、己の新しい身体へ基礎を叩き込んでいく。
それが終われば、今度は座禅だ。脚を組み、背筋を伸ばし、静かに目を閉じる。
ゆっくりと呼吸を繰り返し、体内にある穏やかな流れ――魔力を感じる。
体内の魔力を静かに意識する。ちろちろと揺れる炎のような感覚。それを魔力操作によって一点に集め、回し、広げ、収束させる。
最初は数分も集中できなかった。だが今は違う。生まれてから毎日……。そしてこの修行の形に落ち着き、本格化させてからはもう二年は経つ。
はじめは全く出来なかった魔力操作だが、今のアッシュには体内の魔力の流れが手に取るように分かる。それどころか僅かに熱を帯び、粒子となって皮膚を通して体表へと広がる感覚すら、捉えられるようになった。
一通り己の体内で魔力を操作したら、そこから次は干渉へ移る……のだが、
(重っ……魔素重すぎだろ……)
体外へ魔力を干渉させようとすると、恐ろしいほどの密度の魔素がそれを阻む。何度試しても、巨大な岩のように重く動く気配がないのだ。
思い出すのは以前、魔素干渉のコツを聞いた時に言われたことだ。
――干渉? 紋章の補助みたいなもんだろ。
――紋章を発動させるのが操作と干渉じゃねえの?
干渉も操作も紋章ありきという信じ難い事実。それを跳ね除けるために、こうして何度も繰り返しては、また彼らの言っていた事を思い知らされる毎日。
それでも、修行は止めない。
それはこの世界の誰もが持つ、魔力操作と魔素干渉しかアッシュにはないからだ。
本来なら人々は紋章を通じて魔法を使う。らしいのだが……アッシュには、やはりというべきか、紋章が発現しなかった。
ちょうど二年ほど前、アッシュは薪集めの途中で出会った村の少年が、小石に向かって小さな火球を放つのを見た。当時の自分と変わらぬ年頃の少年が見せた魔法。
あの日、アッシュは再確認したのだ。
――祝福を剥奪されし者。
自分の称号の重さと意味を。
思い起こされるのは、傭兵団の仲間に向けられた同情じみた瞳だ。紋章のない人間は、神から見放された汚れた存在として扱われる事もあるのだという。
(紋章がない他の人間は知らねぇが、俺は祝福を〝剥奪されし者〟らしいからな……)
与えられないのではない、奪われたのだ。つまりどう足掻いても、この世界の理には組み込まれない。そう悟った瞬間から、アッシュにとって生まれ持った二つのスキルは、唯一無二の命綱となった。
(やってやる……。ゲーマー舐めんなよ)
紋章や聖痕がないから、と打ちひしがれている暇はアッシュにはない。この二つしかないなら、この二つを完璧に極めるしかないのだ。
今もまた寒さと眠気がアッシュを容赦なく襲う。それでも魔力の流れを止めず、ただ黙々と感覚に集中する。
そうして長い長い坐禅が終われば、まだ暗い中狩りに出る。磨き上げた魔力操を操作、実戦で以て己の身体に浸透させるのだ。
紋章がなくとも、魔力操作による一時的な身体能力の向上は可能だ。鍛え抜いた魔力操作により、アッシュは軽く感じる身体で、暗い中を駆け出した。
瞳に集中させた魔力で、一時的に視力が向上する。遠く、視界に捉えたのは、木の上で羽を休める鳥だ。
アッシュは駆けながら小石を拾い上げ、駆ける勢いを助走にしつつ狙いを定める。
狙いがついた瞬間、アッシュは左足を踏み込んだ。
助走の勢いを足から腰、背、肩、右腕と伝播させ――
魔力でそれらを増幅させて、右腕を振り抜いた。
風切音を残した小石が、遠く休んでいた鳥を撃ち落とす。
「――っし!」
ガッツポーズとともに、今日の戦利品を回収するためにアッシュはまた暗い木立の間を駆け抜けた。
「大分馴染んできたな」
前世の知識による身体の動かし方と、新しい身体の感覚。そして魔力という今までにない力の使い方。聖痕も紋章もないアッシュだが、戦う術は着実に身につけている実感はある。
獲物はその場で捌かれ、アッシュの血肉となる。
腹を満たしたアッシュは焚き火の始末をして、もう間もなく目覚める団員達に合流するために再び野営地へと戻っていく。
日課を終えて野営地に戻ると、団長のグラムが一人、夜明けの空を眺めながら武具の手入れをしていた。
「……よぉ、アッシュ。また修行ごっこか?」
「うっせ。ごっこじゃねぇよ」
不満げに鼻を鳴らすアッシュに「紋章もねぇのに、よくやるぜ」とグラムは軽口を叩くのだが、その目は馬鹿にしている者のそれではない。
「紋章がねぇから、だよ」
再び鼻を鳴らしたアッシュは、グラムの隣に腰を下ろしてふと彼の手元に視線をやった。グラムが手入れしているのは、彼が愛用している大剣だ。
「親父こそ……珍しいな。こんな時間から手入れたぁ」
「おう。次のヤマが決まったからな」
ニヤリと笑ったグラムが、「その前金でな……」と嬉しそうに呟きながら、ゴソゴソと近くの鞄をあさり、折りたたまれた布を取り出した。
「ンだよ、コレ?」
眉を寄せるアッシュに「まぁ開いてみろ」とグラムが笑う。いまいち要領を得ていないアッシュだが、グラムに言われるまま折りたたまれた布を開いた――。
そこに描かれていたのは、黒地に牙を剥く灰色の狼の姿であった。
(……ん?)
不意にアッシュの脳裏に、違和感がよぎる。
「どうだスゲぇだろ! そろそろ団としてもマトモな旗が欲しくてよ」
嬉しそうに語るグラムだが、アッシュは話半分で「ああ、スゲェな」と生返事だ。
(灰色の狼。どこかで……いや、まさか)
気づいた瞬間、アッシュの全身から血の気が引く。そんなはずはない、勘違いだ、とアッシュは必死に脳の奥底に沈んだ「前世の記憶」を手繰り寄せる。
(ゲームの……思い出せ……)
『神聖戦記レグナス』――
彼がかつて没頭したゲーム。
聖痕を宿した少年少女が、学園で友誼を深め、後に勃発する大陸を覆う戦乱の中で、仲間たちと時にぶつかり、愛し合い、世界を救う物語。
ギャルゲーの皮をかぶった、骨太のシナリオ。
綿密な戦闘バランスと、重厚な世界観。
最初は知る人ぞ知るマニアゲーだったが、やがて口コミで広がり、ついには翌年のゲーム大賞へ特別選出されたほどの名作。
聖痕どころか紋章すらないアッシュだが、この世界があのゲームと同じ世界観を有していることに、今は疑う余地もない。それは地形や人名、魔法の理論が、彼の中の記憶と一致しすぎているからだ。
もちろんアッシュは、〝アッシュ〟だなんてキャラは知らないし、間違いなく自分はゲームではモブだと自覚している。
別にそれでも良かった。選ばれなかった者で何も問題はなかった。……だが今のアッシュの脳内を席巻しているのは、ゲームのプロローグで流れるオープニングムービーだ。大陸の戦乱がいかに激化しているかを示すシーンがあるのだが、問題はそこで流れるナレーションである。
『――苛烈を極める両国の衝突に、国境線では名も無き傭兵団がいくつも露と消えていった』
燃え盛る村。
ぶつかり合う騎士達。
そして――泥に塗れ、無数に転がる死体と共に、地に突き刺さり折れたいくつかの旗。
その中の一つに描かれていたのは――
(灰色の……狼……)
完全に記憶と一致した瞬間、アッシュの全身から一気に汗が噴き出した。
無もなきいくつもの傭兵団は、もちろんゲーム内でも公式発表でも語られることなどなかった。ただ、数多の死体と共に映るいくつかの旗が、一部のマニアにのみ記憶されていたに過ぎない。
それでもアッシュは覚えている。何周もしたゲームの背景にしかないあの旗印を――。
つまりアッシュはゲームで言えば、スタートよりも前に壊滅し、ナレーションの後ろで死屍累々を築く、背景の一部の男ということになる。
「どうした、アッシュ。顔が真っ青だぞ」
「親父……。ここはどこだ?」
アッシュは震える声を必死に押さえつつ尋ねた。
「ここか? ここは王国との国境線近くの緩衝地帯だな」
(王国との緩衝地帯って――)
先程思い出したプロローグでは、その緩衝地帯が戦場になり、多くの傭兵団が壊滅するのだ。
つまりそれが、この【灰狼の牙】の運命。それが、自分を拾い、育ててくれた「家族」の、確定した未来。
(マジかよ……)
呆けるアッシュの瞳には、太陽を遮りボンヤリと浮かび上がる山際が映っている。それでも少し離れた野営地では、起き始めた仲間たちの笑い声が響いている。
光のささぬ世界でも、皆こうして毎日を生きている……いつも通りの、温かい日常を。
(光なき世界……選ばれざる者……)
それどころか背景で死ぬ者らしい事が確定したアッシュは、絶望的な運命を跳ね除けようと奥歯を強く噛み締めた。
「親父、今は何年だ?」
「何年って……」
「星暦。何年だ?」
必死なアッシュに眉を寄せるグラムだが、「確か九九五年だったか?」と思い出すように呟いた。
(ゲームのプロローグまであと一年……スタートまでは五年――)
ようやく山の縁から顔を覗かせた太陽を睨みつけ、アッシュは小さく、だがしっかりと口を開いた。
「親父、頼みがある……」
「珍しいな。玩具でも欲しいのか?」
からかうようなグラムだが、アッシュは太陽を睨みつけたまま微動だにしない。
「次のヤマに、俺も連れて行ってくれ」
イクリプス・オーダー ~最弱のモブ、ゲームシナリオの『裏』を攻略していたら、いつの間にか神々すら恐れる組織の長になってた件~ キー太郎 @--0_0--
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