第29話

 寝台に寝そべって、血を吐きながら縋るように原稿用紙に向き直り、時には人の手を借りる。

 まるで、屍人だ。

 私は、こんなものになりたかったわけでは、ないのです。地を這い、人の肩に凭れる姿を、晒すなど、私は求めていなかったというのに、自分自身の懈怠けたいのために、積み上げた孤高を崩し、壊して、踏み付けたのです。私の一番の敵は、ほかの誰でもない、私自身だったのだと、その時初めて気が付きました。

 いつでも私は、舞台の袖で、自分自身を凝視していました。踊り続ける道化を、拍手も非難もなく、ただ、じっと、死んだ魚のような眼で見詰めていたのです。時々それは、舞台上まで足を踏み入れて、私の仮面を剝ぎ取ろうと手を伸ばすのですが、死に物狂いで拒否し、懇願し、涙を呑みながら繕って、数えるのも億劫な回数、仮面を貼り直してきたのです。

 私は、私という男を、人間を、許せません。本来の、塗り潰され隠し通された、否定され続けた私もきっと、皇桜痴という存在を許していません。水に油とでも、言いましょうか。同じ体を使って、同じ環境下で息をして、同じ世界を見てきたにも拘らず、全く違う視点で世界を見ている。

 本来の私は、人を、人が編む行く末を愛していた筈なのです。

 悪意や善意は、思考というものが備わっている時点で、個人差はあれども大なり小なり持ち合わせた、謂わば個性に過ぎぬ一欠片だと、理解していました。それを、一身に受け取り、過敏に反応して吸収してしまったがゆえに、他者に対する恐怖を隠すために、人嫌いという余りにも自分勝手で、他責的な言葉を利用していたに過ぎません。初めから、知っていたのです。全てが全て、悪ではなく、その不器用な、絡まった糸のような思考、人間性のひとつひとつが美しく、何よりも人間らしいということも、判っているのです。ただ、それでも私には、悪い面ばかりが大きく、殊更強く視えてしまう。世間というものが、私が考えているほど、不幸ばかりが散らばった、地獄ではないのだと、誰かに諭されるまでもなく、理解しています。

 ひとつ、ひとつの幸福を、見て見ぬふりして生きてきました。掌に降り注いだ、与えられた幸福を、薄倖など、傲慢に過ぎないのです。皆、だれしもが、ちいさな幸福に恵まれているのですが、それでは飽き足らず、振り払い、自分こそが一番の不幸者だと嘆くのです。

 ただ、暴かれることが厭で、自分自身を隠すために厚い殻を何枚も重ね合わせて、一枚、また一枚と剥がされる度に、外界への抵抗が強まって、自分を偽って、演じ続けて、気が付いたら、自分すらわからなくなっていた。恐れていた、自分自身の喪失。今更引き返すこともできず、しまいには、それでも良いとすら思い、これこそが私の望んでいた到達点に過ぎないと、私をすら、偽っていたのです。いつか読んだ詩篇を、ふと、本当に突然、思い出しました。

 

 人を欺く者を座に着かせず。

 偽って語る者をわたしの前に立たせません。

 

 著しく低下していた体重も、点滴と病院食によってある程度改善され、自宅療養に移って良しと許しが出て、無事に住み慣れた自宅に帰ることができました。改善されたといっても、奇跡のひとつでも起きなければ完治は見込めないとまで言われてしまい、私は神に疎まれるべき、「人を欺く者」ですから、都合の良い喜劇が訪れることはなく、着実に、ゆっくりと這い寄る死を、自分でも驚くほど、穏やかな気持ちで見詰めていました。実感がないわけでは、ないのです。目の前に、確実な終着点が敷かれた事実に、この上ない安堵を覚えてしまったに過ぎませんでした。

 私は次第に、他人への恐怖心、警戒心というものを失っていきました。壁の黒い染みを虫だと勘違いして飛び上がることもありますし、一葉の写真に、みっつの点が見えれば、幽霊だ呪いだと騒ぎ立てることも、一般的な「思い込み」として周知されていますので、もしかして、私が今まで見てきた、裏側に隠された悪意などというものは、私が作り出した幻想にすぎないのではないかとすら思えてきて、そう考えると羽のように心が軽く、肩を窄めて泥棒のような気分で、ひっそりと生きてきた必要など、どこにもなかったのではないでしょうか。勿論、人の多面性というものは、当然の摂理なのですが、わたくし一人がそれに畏怖の念を感じて、精神を擦り減らして、このように憔悴しきっているのも馬鹿らしいではありませんか。私一人の我慢。道化。それが齎すもたらす結果など、湖に枯れ葉が落ちた瞬間の、数秒の波紋のようなもので、結局私は神などにはなれませんし、教祖というのも、ただの猿真似にすぎないし、崇められたいなどとたいそうな目標を掲げながら、何者になることも出来ない。どうしようもなく、人間なのです。たった一度、裏切られ、私の小さな自尊心を傷つけられただけのことで、重苦しい仮面を作りあげ、本来の自分では世間に顔向けできないと思い込み、その思い込みにさんざ虐げられてきました。世間とは、私を歯牙にもかけていませんでした。

 そのような殊勝なことを言って、どれだけ穏やかな、明るい気持ちで、本心からの博愛を掲げてみても、矢張り本来の自分を、丸裸にして晒すことは恐ろしく、桜庭と会うにも、坂内と話すにも、勿論のこと童辺の訪問に応じるのも、この演技は既に必需品と化していましたので、少しでもバランスを崩せば奈落に落下してしまう、命綱のない危険な綱渡りでもしている気持ちで対応していました。我儘なことに、このように気持ちの移り変わりがあっても、誰かに暴かれることに心底嫌悪を感じて、それが純粋な好意によるお節介だとしても、刃物を振り回し、善人を無差別に攻撃する気の触れた大悪党にすら見えて、まるでこちらが、大罪を犯して逃げ惑う指名手配犯のような気分で逃げ惑いました。

「本心を言ってくれ」

 などと、手放しに他人を信用してしまうような、この世の悪意というものを知らない白痴にとっての甘美な言葉は、私にとってなんの安らぎにもならず、それこそ、私の嘘吐きなど、可愛らしい悪戯に感じられるほどでした。隠したものなど、暴かなくてよいのです。目に見えるものだけを、信じて貰えたら、それで良いというのに、何故、態々、きっちりと閉められた暖簾を潜って、役者の舞台裏などを覗きたがるのか、皆目見当が付きません。

 どうか、触れないでください、暴かないでください。折角、隠したのですから。わたしが、こんなにも美しく偽ったのですから、暴かないでください。宙に手を伸ばして空虚を掴み、それで、これこそが皇桜痴の本心だったのだと満足していてください。本当の私など、何もない。駄作なのです。つまらないのです。何も持たない私を、見ないで下さい。

 笑顔、笑顔、笑顔。

 誰もが認める大天才に、時にお道化て笑われて尊敬されて、ゆるぎない「皇桜痴」であれ。そうすれば、私は「傑作」でいられる。

 傑作。そのために、腹の内ですくすくと養分を得て成長した、必要のない私の攻撃的な思想を、新しく芽生えた博愛に食わせて大事に養う。この世のなにより、美しい蟲毒でした。隠して育て上げた愛は、余すことなく、行き交う群衆に吹きかけて、それだけで満足していました。それが、唯一の、幸福でした。

 

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