第28話
暫らく私が店に顔を出さないので、会合に飽きてしまったとでも考えたのか、坂内が態々家まで訪ねて来て
「病人の顔だ」
と開口一番、大真面目な声で呟くものだから、なんだかおかしくて、声を上げて笑ってしまい、坂内もそんな私を不服そうに眉を顰めて訝しんでいましたが、拍子抜けしたように肩を落とし、ずかずかと部屋の中まで入ってきて、一杯やろうなどと気軽に誘うので、病気を隠して付き合うことにしました。
「お前が中々来なくなってしまったから、まさか飽きてしまったのか、いや、お前は変に律儀だから、厭々でも顔を出すだろうと分かっていたから、変な気を起こして死んでしまったかもしれないと思って訪ねてきたんだが、どうやらそうでもないらしい。部屋の有様を見れば判る。仕事に追い詰められて、それどころじゃなかったんだろう。全く俺たちのような仕事は、満足に遊び歩くことも出来なくて、困る。仕事を遊びにしていると見当外れなことを言うやつも居るが、あれは大間違いで、遊びだったはずのものが、仕事になってしまった苦しさが、わからんのだ」
などと、得意の推理を働かせて、自信ありげに語るので、相槌代わりに咳をしつつ、それすらも飲み込もうとウイスキーを流し込みました。それでも、器官が馬鹿になっているのか、異物感が癒えなくて、次第に坂内の話よりも、どうにかしてこの違和感を取り除かなくてはと躍起になって酒を呑み、そうすると咳はひどくなるばかりで、とうとう口を覆ったハンカチに赤い花辨を数枚描いて、然し坂内に勘付かれる訳にはいかないので、汚れた面を机の下でいそいそと折り畳むという子供だましの小細工に挑みました。
「それにしても、酷い咳じゃないか、風邪か? 駄目だな。拗らせると、締め切りどころの話じゃないぜ。薬は貰ってるのか?」
「風邪では、ないのですが。ええ、本当に、書かなければと頭は分かっているのに、だめですね、身体が動かなくて」
「それは重症だ。酒なんて飲んで良いのか? 最近は、やけに高頻度で本を出しているじゃないか。あんなに働いたら、体に毒だ」
酒なんて、と言いながら、もっと空いたグラスに酒を注ぐので、久々の友人との晩酌ですし、なによりも忘れていた酒による、強制された高揚感に私も調子に乗って勧められるがままに飲み、そのお陰で体の節々に感じていた痛みも麻痺していたので、やはり、酒が最も効く薬に違いないと確信し、坂内との居酒屋での交流が再開しました。
坂内の言う通り、この身体に限界が近いと分かるとすらすらと文字が浮いて出て、何本も短篇をまとめて出版していました。長いものを書けるほどの体力は、残っていませんでした。夜通し作業を進めて、その間も真面に服薬などはしていませんでしたので、身体は悪くなるばかりで、ついに喀血と同時に倒れてしまったようで、私が渡していた合鍵を使って部屋に侵入し、病院に搬送されてしまい、放置していたことを叱責された上に、入院必須と告げられて、何度か頼み込んでみたのですけれど、信用がありませんから、自宅療養は拒否されてしまいました。
病室での生活は、退屈でした。随分進行しているので、もう医者も手を付けられないようで、暫らくの入院生活も悪戯に寿命を延ばすための治療に過ぎず、そんなことなら、さっさと家に帰って仕事に取り掛かりたいとばかりが頭を占めていました。
どうにも、病室では落ち着けないのです。この時間に、点滴を変えに来ます。採血に伺います、と予告されていると、それまでの時間、そわそわとしてしまって物書きどころではなく、一文書くと時計に視線をやって、また原稿用紙に向かうのですが、頭の片隅から時間に追われているという意識が抜けず書いたものも碌な出来でないので、さっさと仕事道具を片付けて迎えが来るまで大人しくしているほうが多くなりました。
倦怠感も抉るような鋭痛も、確かに身体を蝕みこの身を起こすこともだるくて仕方がなく、時には一日中寝そべっている日もあるのですけれど、それよりも遥かに創作意欲が著しく膨れ上がってきて、診察が休みの日などは摩耗した体に鞭打って体を起こして筆を取るのですけれど、そんな状態ですから時折、自分の字も出鱈目になり、後から読み返して解読出来ず、それでは桜庭が理解できる筈がないので、余りにも酷いときは代筆をお願いする有様でした。
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