第25話
童辺の訪問に気が付いていた桜庭は、「迷惑に思っているのであれば、あるいは、自分がお伝えしましょうか」と気を回しましたが私がそれをお断りしました。決して、慕われているという事実に縋っていたわけでは、ありません。拒否されること。それが、人の心の楔を、簡単に断絶する恐ろしい経験になり得ることを知っていたので、自分自身が加害者になることを恐れたのです。
来る日も、来る日も、童辺は家に上げてほしいと強請りに来ました。厚顔無恥と称しても、まだ足りない。まるで自分自身が世話役を仰せつかったとでも言いたげな、誇らしげな顔に、仕方が無いと苦笑するしかありませんでした。部屋の片づけが追い付いていなければ、せっせと働き、夕餉の時間が近づけば、台所を占領するようになりました。人間の、普通の生活というものに、とんと才能のない私は、これ幸いとそのサービスを受けていたのですが、その対価に求められるのは、やはり堂々巡りの洗脳行為ですので、その時間が少しでも短くならないものかと、わざと童辺が持ってきた原稿をゆっくりと読み、赤い線を引いて、懇切丁寧に、これではいけない、まるで、蛇足で時間稼ぎをしているようである、などとそれらしい理由を、回りくどく書き足して、出鱈目な指導を施していました。
「先生、僕は小説家になりたいのです」
「ええ、まあ、君には才能がありますよ。少し、淡白で、怜悧な文が目立ちますが、発想は面白い」
「本当ですか? では、今年の文学賞に応募してみます。ああ、幸福です、先生に、才能があるだなんて」
恍惚とした表情、火照った頬を、両の手で包み込んだ童辺を、目に焼き付けて、駄目だろうなとぼんやりと、悟りました。確かに、童辺には才能がありましたが、あまりに、芯が揺らいでいるのです。それは、私との交流によって出来た弊害に過ぎないのですが、無責任なことに、彼の暴走を止める手立てを私は持っていませんでした。
「出すのであれば、一番初めに、私に読ませたものになさい、あれが、一等優秀です」
童辺は、それに従って、無事に入賞しました。
受賞者の発表までの期間を、彼の更生に費やさなくてはならない。悪戯に、若人を嘘つきの厭世家に育て上げてしまったツケが、一斉に返ってきた気分でした。人の言葉を切って貼って、繋ぎ合わせた不格好な厭世思想を、皇桜痴という大義名分に乗っ取って原稿用紙に書き連ねるこの男を止めなければ、私の立場すら危うい。放任して、好きにさせていた私に、何をしてくれたんだ! と怒鳴りたい気持ちでした。童辺は、想像以上に頑固だったのです。「あの時、先生はそう仰ったではないですか」などと反発されてしまえば、口を紡ぐ他ありません。確かに、彼は私の模倣品なのですが、どうにも、食い違う。心の底からの主張でなければ、刃こぼれが醜く、たいした芯も通っていないので、大抵つまらない。小鳥の囀りに耳を傾けるほうが、余程有意義に思えました。
出会ったばかりの童辺は、潔白なこどもでした。世の醜さというものを、なにも知らないものですから、揺らぐことなく私を蝕んできた凝り固まった鋭い思想を、そのまま信じてしまったのです。きっと、彼には光が見えていました。私が、その瞳に暗幕を垂らしてしまったという加害者意識が抜けず、「貴方の言葉には、芯がない」などと口にすることは簡単ですが、それでは、私が憎悪する志浦と変わらない。
「また、新聞に良からぬことが書かれている。私が病院に通うことが、そんなにも不満なのでしょうか。毎回、悪口を書いて、疲れないのかな。私はね、あの時、確かに迷惑を掛けましたけれど、外道だなんて書かれるようなことをしてきた覚えはないのですよ」
「こんなもの、目に毒ですよ。数字のために、あることないこと、勝手に捏造するんですから」
変な話題に花を咲かせていないときは、酷く穏やかでした。雑誌を手に取って、読み流していると、時たま思い出したように、小さな見出しに私の名前が載っているのです。たいして喜ぶことも悲しむこともなく、ただただ寂しく、ぽつり、呟くと、童辺はそれを取り上げて、資源ごみの山に置いてしまいました。
「外道だとしても、人を踏み躙るようなことを吹聴して回る人間のほうが卑劣で、余程非人道的です」
「そうだねえ。でも、君はひとが嫌いなんだろう?私のことで、そんなにも怒らなくてもいいじゃないですか」
はっとして、もごもごと、幼子のように口籠ったので、これは絶好の機会と言わんばかりに、畳み掛けることに決めました。
「君は、初めて会った時から変わりませんね、優しくて、人懐こい博愛主義だ。羨ましくすらあります」
「でも、先生は……」
「私の人嫌いは、貴方とは、違います。恐ろしいのです、理解できないものは、恐い。理解されないことも、嫌だ。私のなかの孤独は、私だけが知っていれば、それで良いのです。私と、同じ考えを持っていなくても、君はいずれ、隣に並び立ちますよ」
「わかりません。僕は、先生の真似をしていたけれど、やはり、不幸も幸福も、代わる代わるやってくるものに思えます。なぜ、そんなにも怯えているのですか?」
「許されるひとと、そうでないひとが、居るのですよ。私は、許されなかったのです」
「何故?」
「日陰者ですから」
「やっぱり、わかりません」
「そうでしょうねえ」
次の日も、童辺はやってきましたが、徐々に、緩慢な時間の流れを経て、いつの間にか、私の模倣はやめていたようです。私の、呪詛にも思える世界への苦言に賛同も否定もせず、困ったように苦笑を浮かべるようになりました。肌に合わない主張をしていたと、気が付いたようでした。
予測できない来訪者から逃げる為に、近場の酒場に逃げる事を覚えていた私は、童辺との蟠りが解けたあとも、それが習慣となって、筆が乗らない時は逃げるように入り浸る様になっていました。
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