第20話
朝も、夜も、敵のようでした。それどころか、世界のすべて、私に刃を向けているのではないかとすら考えて居ました。
陽光が憎くて、雨戸を閉め切るようになりました。かと言って、暗闇は、その奥からなにか、恐ろしいものが出て来るかもしれない。眠っている間にも、神聖な性向を持つ人間は
深夜の静寂が
父の言う通り、私には文学の才などなかったのではないかとすら思え、このまま、筆を折ってしまうか、そればかりが頭を占めていたのですが、私は、自身の脆弱性を晒すことを悪と認識していたために、その、愚かな自尊心のために桜庭に現状を打ち明けることもせず、眠れぬ夜をなんとか、その日暮らしで乗り越える日々でした。
夜は、魔物が
縊死は、嫌でした。最期まで、美しくいたかったのです。では、薬ではないか。文豪と呼ばれる作家は、モルヒネやらに手を出して、過剰摂取で死んでいくことが多いですし、何より、近頃の私は、定期的に睡眠薬を処方されていますから、致死量の入手は、容易いでしょう。
ぐるり、ぐるりと、思考を巡らせて、結局、入水に決めました。私には、ともに沈んでくれるような方はいませんが、それが作家として正しい死だと思ったのです。
自殺。それが、立派な作家の末路なのかもしれません。世界のすべてに辟易して、書く事も出来ず、己の舞台に幕を下ろす。それが、一番の「作家」なのかもしれません。「皇桜痴」という作品を、終わらせることが出来るのだ。そう考えると、どこか心は軽く、決行の日に向けての準備に取り掛かりました。
入水には、意識の混濁が必要ですから、薬が必要らしく、しかし私に処方されたものなど軽いものに過ぎず、すこしの浮遊感、微睡みに誘われて、とろとろと眠りにつき、数時間後には覚醒してしまい、その後は眠る事も出来ないような代物で、そんなもので成功するとも思えません。死に至るほどの劇物を求めるのであれば、まず、医者をあざむかなくてはなりません。
幸い、それは私の最も得意とする行為でした。
「あれでは、ちっとも眠れないのです。毎夜、数時間ごとに悪夢に起こされてしまって……」
涙を滲ませ、時々、ぼんやりと、遠くを見つめ、ほう、と一つ溜息。それだけで、量も強さも簡単に増えてしまって、こんなものかと落胆すらしました。
一度切りの犯行を完遂させるには、それなりの質と量が必要なことは、これまで自死など想像もしていなかった私にもわかります。完全犯罪のためには、頂いたものを、服用せずに貯めておく必要がありますから、睡眠薬の使用頻度はめっきりと減りました。数日に一度、あまりの睡眠時間の不足に、割れるような頭痛が思考能力を奪い、立ち上がる事も困難になった頃合いを見て、その夜は泥棒でも働くような罪悪感に苛まれながら、こっそりと服毒するのです。そんな、気の狂ってしまいそうな夜を、何度も越しました。
私の家の近くには、立派な寺院があるのですけれど、そちらの立派な柳の香が、どうにも夜の静けさに溶け合い、私の寂しさを刺激して、眠る事ができない上に哀しく、心細く、わけもなく涙がこぼれてしまって、そうなれば小説どころの騒ぎではない。どうにかこの、行き場のない人肌恋しい心を埋めなければと、今度は酒に手を出しました。
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