第18話
私も、よせばいいというのに、何がどのように父に映っているのか。気になってしまって仕方が無く、恐る恐る覗き見ては、やはり親からの人格の否定に心を病み、自分自身への嫌悪と同時に父親への憎悪が募り、私にはこんなにも強い攻撃性が隠れていたのかと驚愕し、哀しくすらありました。母からの便りは、相変わらず、ひとつもありません。
どだい、あの人は高圧的でいけません。上に立つものが備えるべき威厳を、威嚇と勘違いしているのです。あれではまるで、幼子と大差がありません。それこそ、獣、怪物と言って差し支えない。
そんな男ですから、仕事上の付き合いでの付き合い以外これと言った交友関係を築くことができず、仕事仲間も上司ですから、彼の高慢を指摘することもできず、醜いおべっかを発揮して父の機嫌を取りますから、良い気になってしまって歯止めも効かず、意に反すれば烈火の如く怒り、親の仇でも取るかのように虐め抜くのです。
いつ届くのか、分からない便り。それは私の心を、一日一日と浸食するように汚し、今にも命を投げ捨ててしまおうか、などと考えてしまって、創るものも重苦しくなり、私自身の気分を落ち込ませていたのですけれども、しかし意外なことに、そちらの方が世間の評価は高いらしく、仕事においての苦労は幸いなことにありませんでした。
人というものは、他者の不幸を甘く啜り明日を生き抜く糧にするのです。既に、痛いほどわかっていたことですから不満などはありませんが、私自身の不調のおかげで上手く机に向かうことが出来なくなり、一日、冷たい畳の上に寝転がり、構想を思案してはこれではいけないと首を振ってみたり、ふらりと外に出て酒を飲んでみたりと、「悪いこと」に興じてみるのですが、物が書けない罪悪感に押しつぶされるようで、それすらも長続きせず、早々に帰宅するのですが、筆を取る気にもならない。
戦意喪失。
灰になって消えてしまいたい。願わくば、生れて来てしまった、その事実すら、どこかに消えてしまわないかしら。何度、思ったことでしょうか。
それでも、訪ねてくる担当編集者に悟られるわけにはいかないと、短いものをいくつか書いてみるのですが、どうにもくだらないものばかりで、あれらも、どこにいってしまったのやら、それすら記憶に残っていません。
二月の折、昼夜問わない気温の低さ、鼻孔を擽る冷気が、寂寥を増長させました。その日は生憎の雨で、湿気で原稿用紙が丸まってしまっていたので、余計に書く気が失せてしまい、かと言って外はしとど水滴が降り注いでいるものですから、冷えた居間で何をするわけでもなく項垂れていました。
珍しいことに、正午付近に呼び鈴が鳴りました。
はて、誰だろうかと首を捻り、頭を擡げたのを、良く覚えています。その日は来客の予定などなく、律儀な桜庭は自宅を訪ねて来る前に必ず一報入れますから、突然の来訪に間違いはないのです。
人気の作家ともなれば、時折人が押しかけて、やれ愛読者だの、やれ弟子に、などと騒ぎ立てるようですが、作家としても、はたまた人間としても若輩者の私に、そのような熱心な者が居るとも思えませんし、なにより自宅の住所を知られるほど、世間で大きな話題になったこともありませんから、全く持って来客の見当がつかず、不審に思いながらも玄関に向かうと、一人の男が立っていました。
私自身、それなりに上背があるほうだと自負していますが、その男もなかなかの長身で、線は細く、しかし、私のような不健康な体つきとは違う。筋肉質とでも言いましょうか、健康的で鮮やかな色を持った指先は、気温の低さゆえか、雨に打たれたことが原因か、淡い紅色に色づいていました。深く被っている帽子の鍔は、極小の水滴で軽く濡れていて、男は視線を弾くように緩慢な所作で鍔を一度撫でて雨粒を払いましたが、帽子を脱ぐことはなく、その人相を確認することは出来ませんでした。
それでも、私の知る人物ではないことだけは分かって、その上私が扉を開けても一言も発さないものですから、たっぷりと時間をかけて足元から頭の頂点までを見て、矢張り知らない男であると判断し、どうしたものかと再び頭を悩ませました。
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