第16話

 これらが起こった時期は、高校二年生の四月頃でした。父と母が突然自宅(とは言っても、父の別荘ですから、突然の来訪も父からすれば帰宅に変わりないのですが、一年暮らしていた私は、もはやこの家を自宅と認識していました)にやってきて、使用人を部屋の隅に追いやりながら、自分たちは悠々と居間に座り込み茶を啜っているのです。何度も電話口にて父の声は聞いていましたから、懐かしさなどは感じませんでしたが、ほとんど一年振りの二人の姿に、私の体は思い出したように震えあがり、足の震えが止まらず、鼻の先は熱くなるばかりで、懸命に思案していた「悪知恵」などは意味を成すことなく、言葉に詰まりました。

 父は私に対面するように促し、

「どういうつもりだ」

 父の声は鋭く、私は差し出された湯呑みに手を付ける事すら憚れて、膝の上で握った拳を解けずに俯き、なんと言おうか、それはもう賢明に考えてはみるのですが、目の前に恐怖の対象が居るのではそれすら上手く行かず、沈黙だけが場を支配していました。私は故郷を離れてから、すっかり忘れてしまっていたのですけれど、矢張り父の前となると意思の表示というものが出来ないようでした。意見を求められると、いけません。喉の奥に石でも出来てしまったように声が出ず、やっとのことで音を発したかと思えば、答えにもなっていないような謝罪が口をついて出るものですから、余計に相手の神経を逆撫でして、私も相手の機嫌を窺っては更に委縮して、悪循環に陥り、結局私が非を認めるというのが常でした。

 ですが、掴みかけた夢を自分自身の虚弱のために手放すことが出来ない、我儘な人間に育ってしまった私は、正常な道に正したいと願う父に従って機会を棒に振ることを拒みたく、ささやかな抵抗として、沈黙を貫くことにしたのです。

「作家など、狂人の職だ。否、職とも言えまい。遊びだ。優秀な成績を収めて跡を継がせるために、私はお前を……」

「すみません」

「形ばかりの謝罪など要らない。どう考えているのか、この先、何か考えはあるのか」

「このまま小説家になりたいと考えていて……」

「そんなものにするために、私達は汗水流し金を稼いで、毎月、安くもない金を仕送りに回していたのか。今は良くとも、必ず低迷する日が来る。作家とは、往々にして不良なのだ。何より、貴様にその様な気量も、才もあるはずがない。偶然に縋り付き人生を棒に振るな。路頭に迷い、縋ってきたとしても、私はなに一つ手を出さないぞ。家を出るとは、その覚悟を持って初めて成立するのだ。お前は、それでもそのような机上の空論を翳すのか」

 母は、泣いていました。このような場面では、母は良く泣き、父は声を荒げ、私の良心に訴えかけることが多く、私も単純ですから、実の親にこのような醜態を晒させる自分自身が醜悪な存在に見え、彼らの思惑通りに従順な息子を演じていたので、二人は恐らく、私が首を振り、二度と文筆家などと口にはしないと誓い、受賞ですら辞退するだろうと確信していたでしょう。

「高校は、きちんと卒業します。その先は、作家として生きます」

 父の呆れ果てたような、失望のような、あの空虚な瞳は、忘れる事が出来ないでしょう。

 幸いなことに、私同様に世間の目というものを過剰に気にする方々でしたから、親の責務であると、在学中の諸々の費用の負担は引き受けられました。その後は、全くの他人であると釘を刺され、実家の敷地に立ち入る事も、勿論この別荘も卒業と同時に出ていくことを命じられ、事実上絶縁という形になり、私は家族と引き換えに、作家になる事を許されました。

 

 宮木と佐倉の言う通り、私は作家として、文字を書き続けることとなりました。在学中にも数冊短篇小説を発表し、給料も安定してきたというところで晴れて高等学校を卒業する運びとなり、その結果も十分良いものでしたので、誰に咎められることもなく、私の心持ちとしては、降り積もった新雪を取り除いた後の疲労感と、高く積もった雪の壁に得た達成感。漸く重大な一仕事を終えた時のような安堵に胸を撫で下ろしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る