第15話
愛とは、毒である。私が綴った言葉が、私を刺しました。彼女の愛を生涯抱え、嚥下することでしか許されぬ。そんな錯覚をすら覚えるほど、彼女の一言、所作が、私を蝕んでいました。
呪いのように書き続けましたが、それは佐倉と一緒に舞い上がって投稿した新人賞のことなどすっかり忘れていました。そんな頃に、ひとつの報せが届きました。夕刻、帰宅すると、
「電話が入っていましたよ。出版社から」
と告げられ、何のことか分からないまま折り返すと、どうやら私の作品が認められ、最終候補に至ったという報告でした。作品について事務的な確認をするための電話だったのですが、私にとっての一大事は、受賞したことよりも、この電話を私以外が、初めに取ってしまったことだったのです。
当然のように問い詰められ、芋づる式に私の執筆活動も知られる事となり、この事実は、私が恐れていた、両親に報告される形となってしまったのです。
佐倉の失踪によって、私も多少の精神が不安定に揺れていたのですが、それに加えて実家からの攻撃とも言える説得は、電話越しであろうとも私を委縮させました。打ち合せと銘打たれた日程が近づき、黎明を見届ける度に腹の奥に蝮でも飼っているような、今にも胃の内容物を吐き出してしまいたいような異物感が襲い、嗚咽を上げる夜を越しました。隠れてひっそりと物書きに興じるほうが余程、私の罪悪感は軽く、いっそ逃げ出してしまおうかしら、そうすれば、使用人にこんな卑劣な告げ口をされることなどなく、もしや、佐倉の戯言すらも忘れてしまえたのではないかしら。そんな傲慢が、勝手な妄想を作り上げていたのですけれども、私のような臆病者にそのような器量があるはずもなく、悪戯に時間を費やしました。
隠れん坊をしているときのような、ぞわぞわとした、焦燥感。覚えがあるでしょうか。足元が覚束ない、酩酊しているときのような千鳥足で、今にも崩れ落ちそうな足場に立たされている時のような不安感が私を支配していましたが、その足できちんと、新宿の喫茶店に向かい、何時の間にか「担当編集者」となる男と対面していました。
その男は桜庭と名乗り、随分若く見えました。素朴な容姿で、これと言って特筆すべき特徴もありませんが、はにかんだ笑顔が印象に残る男でした。演技と言うものを知らぬ、心の清らかな人間であれば、彼に好意的な印象を持つのでしょうが、私にはどうしても胡散臭く、一枚の皮を被っているように思えて(疲弊していた私は、人の笑顔が、いやらしいものに見えて仕方が無く、彼との仕事が始まっても、しばらくの間は桜庭君への不信感が拭えずにいました)私は完璧な道化を演じて、彼と対面しました。私がこれほどまでに警戒し、一挙手一投足に力を籠め、瞬きの瞬間すら意識した道化は、実に数年ぶりのことでした。
受賞作の世辞もそぞろに、事務的な業務連絡の最中も傾聴の姿を見せながら、如何に父母から逃げ切るか、そればかり考えて居ました。
私は、私が考えている以上に、命というものを軽く見ているのやもしれません。すっかり、佐倉の死は意識から抜け落ち、目の前に垂らされた「小説家」という餌を逃すまいと微塵も考えられず、不安に怯えお断りでもしようかと考えを巡らせていた自分を叱りつけてやりたい気すらしていました。どうにかして、この道に進まなくてはならぬと悪知恵を働かせ、頷かせてやろうと目論んでいたのです。
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