第14話
久方振りにやってきた佐倉は、いくらか痩せ、髪の艶も落ち、目の下は窪み、以前の美貌を失っていましたが、その哀愁にはどこか危険な魅了がありました。変わらない様子で一日を過ごし、さて帰宅と腰を上げた私に、図書館に行こうというのです。断る理由もなく、何より彼女の不調が、顔を見れば判るほど顕著でしたから、拒否することも憚られて、二つ返事で了承しました。
「ずっと書いていて欲しいな。愛は毒である。あのラスト、私好きだった」
「何ですか、突然。なにか悩みでもあるんですか?」
佐倉は、答えませんでした。
「私も、誰かの中に残り続けたい」
それから、彼女は何も発さず、私も、今の彼女に声を掛ける事は余計なことのように思えて、早々に荷物をまとめて学校を出ました。彼女と過ごす放課後で、最も短時間の滞在でした。
どうにもその日は眠る気にも、書く気にもなれず、いつか出した新人賞の結果にばかり思いを馳せていました。「ずっと書いて欲しい」という彼女の願いは、勿論彼女が願わずとも叶えるつもりでしたが、他人に願われると、そうしなければならないのではないかと強迫観念に襲われてしまうのです。私は普段が嘘ばかりで、その嘘の帳尻を合わせる為に奔走することも時折ありますから、他者の期待に応えるために無理をしてまで現実にすることも、また多くありました。
誰かの心に残りたいと宣った佐倉は、その日から学校に姿を現すことはなく、どうやら、一夜のうちに家族全員で逃げ出してしまったようでした。子供というものは残酷で、夜逃げという事実に尾ひれがつき、暫らくすると、一家心中やら、精神科やら、留置所やらと、彼女にとって不名誉な噂が流れましたが、どうやら一家心中という線が一番有力だったようです。まるで良い餌が来たといわんばかりに教室中はその話題が充満して、それは大抵嘲笑と悪口が占めていました。その中には当たり前のように、彼女と親しくしていた女子生徒の声も混ざっていました。たまに臭った、話がつまらなくて不快だった、上から目線でずっと嫌いだったと、口々に罵るのですが、教師や、仲の良かった私たちが教室に入ってくると口を噤み、へたくそな、醜悪な笑顔を携えて、落ち込まない様に、と肩を叩くのです。
人の下劣な部分をまざまざと見せつけられ、吐き気すら催すようでした。こんなことが起きて、私は益々文学に心酔していきました。書き続けろという彼女の最期の願いのため、なんて大義名分を
「ずっと書いていて欲しいな」
と笑った、あの声は未だ忘れられず、この先も忘れられそうにありません。彼女の、誰かの心に残り続けたいという願いは、私一人が背負うことで、簡単に叶ったのです。
覆水盆に返らずとはよく言ったもので、私達がどれほど嘆き、なにかしてやれたことがあったのではないかと頭を捻ろうとも、自己陶酔の懺悔にしかならず、次第に皆それにも飽いてしまって、校内を賑わせていた佐倉の話題も、まるで初めから彼女が居なかったかのように風化していき、彼女の席は、進級するまで空席のままでした。
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