8、心細さについて
電話線を通じて、私の声は一度記号に分解されるはずだった。分解された記号は、変換装置を介して再度また、音声として再構築され、あたかも今私が話した声が、遠く離れたあちら側まで響いているような錯覚、現実を作り出す予定だった。電話のベルはなっているはずだった。サイレントモードになっているのかもしれなかった。私はあきらめずに、逢瀬のときを待った。最初のトゥルルル。二度目のトゥルルル。三度目のトゥルルル。辺りは、深夜の公園の雰囲気を醸し出していた。それは、トリュフがその芳醇な香りを醸し出し、食べる者を魅惑するような種類の、好ましい意味での香りではなかった。誰かが僕のことを見ていた。もう一度、ベルが鳴る。トゥルルル。もう飛び立った二羽のカモたちは、いなかった。それらは、何か幸福の徴(しるし)のようにも思えたが、今は遠い空の向こうから、その奇妙な、冷たい空間に響く声を微かに予感させるだけだった。
誰かが、私のことをどこかで見ているような気がした。衆電話の窓に映る自分の顔は、私が知っている自分では既にないように見えた。私の中の大切な部分は、フーリエたちと一緒にまだあの車の中にいて、たのしくおしゃべりをしているのかもしれない。私を見ているのは、私自身であるようにも思えた。それは外にあると同時に、私の中にもあった。
あと、三回ベルを鳴らして、出なかったら、ここから立ち去ろうと思った。心細くて、誰かが傍にいてくれたら安心なんだけどなんて、思ったのは大学生の頃が最後だったのかもしれない。夜、目が覚めて、一人で寝ていることに気付いたとき、私は私のことを見ていた。自分の置かれている場所が、ベッドの上で辺りは暗く、人の気配がしない部屋に、一人でいることに気付き、心細かった。そんな昔のことを思い出した。
また、カモの鳴き声が予兆となって、微かに聞こえてきた。あの時見たカモは、つがいだった。私が近づいても逃げなかった。夜の公園は、循環の中にあった。建物も、道路も、電灯も、電話ボックスも人が設計したものは、雨風の浸食を受け、再び自然に戻ろうとしていた。
「こちらは留守番電話サービスです。メッセージのある方は、ピーという発信音のあとにメッセージをどうぞ」
録音され、無限に再生されるメッセージ。音声は、本来の発話者から遠く離れ、電子記号に変換され、増幅され、固有名をことごとく、はく奪されていた。女性の声による業務的なアナウンス。このような展開を予想しておらず、私の頭の中は真っ白になった。
その白さの中に、公園のLEⅮライトの人工的な青白さが重なり、青みがかった。暗い空の中にも、白い雲が月明かりに照らされて、その白さを際立たせた。どこかに取っ掛かりがあるのかもしれなかった。その人工的なライトの白さと、月の作リ出した、古来から変わらない自然の白さとの間に、私が言うべき言葉を見つけ出そうとした。
「ふざけてしまってすまない」電話ボックスに映る私ではない私を見つめながら言った。「あのとき君が着ていた、白のワンピースはとてもチャーミングだったよ。君の名前を教えてほしいんだ。僕の名前は、浩一。城田浩一と言うんだ。どういうわけか知らないが、僕は今とても心細い。でも、もし真夜中に目が醒めたときに、君が隣にいてくれたら、僕は救われる気がするんだ。」
そう言うと、僕は受話器を置いた。
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