6、合成着色剤の色

 そのとき僕の目の中に飛び込んできたのは、一人で夜の桜の木の下でぽつんと立っている電話ボックスだった。雨に濡れた桜の花びらは夜風に吹かれて散り始め、その内のいくつかは煌々と光るボックスの透明な壁にへばりついて、寒そうだった。ボックスの中には緑色の電話が一つ。NGTと書かれた文字の上には、見慣れてはいるけど、どんな形かと問われたら、すぐには思い出せそうにもないロゴが書かれていた。もしかしたら、LEDライトのせいかもしれないなと思った。電話ボックスの奥に見える公園へと続く道を照らすライトと同じ種類の光だった。目を閉じても、瞼の裏側に残る残像があった。ひと昔の蛍光灯よりも青白く強い光が、闇の中に浮かび、その周りの地面に落ちて散らばっているピンク色の桜の花びらを透明に色付けていた。

緑色の電話電話だと思った。あのとき僕も緑色に変わった。合成着色剤の色だ。キスをしたとき、僕の顔を見て不思議そうにしていた。どんな味がしたか彼女は聞いた。

「どんな味がした」と彼女は言った。

「合成着色剤の味かな」

「私のことが好きなの?」

「うん、結婚したいと思っているよ。」

「あなた、相当アホね。物事には順序があるの。だから、もし本当に私と結婚したいなら、プロポーズの言葉は最後の最後に取っておくものよ。」

「でも、僕はチュッパチャップスが好きなんだ。それに君のこともね。だから、たくさん君と子どもを作って、みんなでチュッパチャップスを食べるんだよ。そうすれば、きっと色々な辛い世の中だけど、僕らは、少しは報われるのではないかと思うんだ。」

僕はそういうと、彼女の手を握ろうとした。腕には茶色のヘアゴムが一つ巻かれていた。髪を結んだ彼女のことを想像すると、余計に好きだと言う感情が高まった。

「私は猫が好きなの。だから、子どもというよりは、猫ね。だから、必要なのは飴というよりは、キャットフードよ。」

 彼女はそう言うと、今度は僕の頬にやさしくキスをしてくれた。このキスがあれば、たとえ海王星で独りぼっちになったとしても、しばらくは生きていくことができるような気が、僕はした。彼女は別れ際、僕に携帯電話の電話番号を教えてくれた。5×5—〇5〇5—5×5×だった。

「ほとんどが、5だね」と僕は驚きながら言った。

「そうよ、ほとんどを5にしたの。でも、本当にかけてはだめよ。知らない人に電話がかかってしまっても、私には責任は取れないわ。」

「ありがとう。もしよければ、来週の週末に映画でも観に行こう。レオスカラックスが今、来日しているんだよ。僕はぜひ、君と僕の人生をコラージュしたいな。」

「面白いことを、あなたは言うのね。それじゃ、またね。」

そう言うと、彼女は土手を一人で下っていった。僕は放り投げてしまった、自転車を回収しに行かなければならなかった。しかし、その自転車も結局重すぎて、結局はそのまま今もきっとあの場所にあるのだろうと思う。


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