第三話 足音の響く通学路


 数日前に入ったばかりのマンションで、慣れない朝を迎えた。


 花梗高等学校の生徒は学校の用意した学生マンションに住まなければならない。






 窓の外では鳥が囀り、カーテンの隙間からは薄く光が差し込んでいる。




 覚えていないが、いい夢を見ていた気もする。




 ゆっくりとベッドから降り、全身を使って大きく伸びをする。




 洗面台に向かい、冷水で顔を洗って、歯磨きをする。




 部屋に戻り、カーテンを開ける。




 米をよそって、ふりかけをかけて食べる。




 朝はできるだけ手間のかかる料理はしたくないのだ。




 ふりかけご飯を食べ終わったら食器を洗う。




 その後、また洗面台に行き、うがいをして、寝癖を直す。




 少しの寝癖を残しながら、制服に着替える。




 一日のスケジュールを確認し、持ち物を準備して靴を履く。




 靴を履いたら、家の電気が点いたままになっていないか不安になって、一度靴を脱いで家の中を確認しに戻る。




 確認が終わり、心の安寧を取り戻したら、もう一度靴を履き玄関のドアを開ける。




 玄関を出て、オートロックが作動したことを確認したらエレベーターに向かって歩き出す。




 一階に降りるため、エレベーターに乗り込む。




 同じ制服を着ている人が、すでに下の階行のエレベーターに乗っている。




 エレベーターに乗り込み、一階に降りる。




 一階に到着し、エレベーターから脱出する。




 マンションの出入り口を通り抜け、外の空気を目一杯吸い込む。




 学校に向けて歩み始め、初登校の朝を存分に味わう。




 こうして希望に満ちた春が始まった。




 マンションから学校までは徒歩十分ほどの距離なので、朝焦らなくても良いというのは、かなりのアドバンテージだ。


 天気は快晴、通学路には桜並木。


 鳥の鳴き声、風が吹き抜ける音、木々のざわめき、新入生たちの足音までもがよく聞こえる。




 それもそのはず、この花梗高等学校の新入生は「生徒会則」により入学式が終わるまで、生徒同士で会話することを禁止されているため、生徒の話し声はなく、他の音に対しては、鼓膜が過敏に反応してしまう。




 この「生徒会則」は、陽キャにとっては窮屈に感じるかもしれないが、オレみたいな人見知りにとっては人と話さなくて良い理由を与えてもらっている気がして、悪い気はしない。




「きゃっ‼」




 気持ちよく歩いていると、後ろから女子の声が聞こえた。


 面倒ごとの匂いがしたが、反射的に声の方向を向かずにはいられなかった。


 足を止めて後ろを振り返ると、そこには、何かに躓いてしまったのか、オレと同じ高校の制服で倒れている女子がいたが、周囲はその女子を見て見ぬフリをして通り過ぎていた。




 オレもその女子を助けない理由を考えてみた。


 


 頭に浮かんだのは「生徒会則」だった。


 しかし、生徒会則が禁止しているのは、生徒同士の会話だけで、言葉を交わさないコミュニケーションは禁止されていないはずだということを思い出した。




 これはただの好奇心だ。




 オレは、倒れている名も知らない女子の元に近づき無言で右手を差し出した。




 断じて、この子に好かれたいと思っている訳ではない。


 そう、「生徒会則」の穴をついてみたいと思っただけなのだ。




 近づいてみたものの、どんな表情をすれば良いのか分からなかったので、精一杯の無表情を決め込んだ。


 その女子は顔を上げ、オレの顔を三秒ほど見つめ、差し出した右手を掴んで立ち上がった。


 相手も、生徒同士の会話禁止ということをしっかり把握していたのか、声を出すことはなく、代わりに感謝を示す笑顔を見せてくれた。


 その笑顔は、オレが見てきた中で一番かわいかった。まじで。


 二次元なら、ここから始まる恋があったっていいが、生憎、オレは歴代最高の美少女とのコミュニケーションに緊張してしまってそれどころではない。




 こんな可愛い子と同じクラスになれたらいいなと思いつつ、身振り手振りで足に傷がないか聞いてみた。


 周囲から見ると、身振り手振りの下手さが相まって、不審者に見えているのだろうか。




 目の前の美少女は少し困惑した表情を見せつつも、オレの言いたいことが伝わったようで、急に小悪魔のような表情に変わり、傷の有無をオレに伝えるために、スカートを少し上げて太ももとふくらはぎを直接見せてきた。




 予想外の行為にびっくりして、一瞬目を逸らしてしまった。


 無表情を作ることができているかを確認し、一深呼吸を挟んで美少女の足を凝視した。


 


 土一粒も付いていない綺麗な足だった。




 どうやら、ケガはしていないようだ。


 オレは、この女子と一緒にいると自分のリズムが狂わされる気がしたので、早く離れるのが吉だという結論を出した。


 オレは、確認が済んだらすぐに進行方向を向き直して再び歩き出した。




 ふぅー、何事もなくイベント終了だ。


 それにしても可愛かったー。


 あと数十秒一緒にいたらつい告白してしまったかもしれないな。




「トントントントン…」




 ん?すぐ後ろから足音が聞こえるような。




 偶々だろうと思い、そのまま歩き続けても、その足音はオレとの距離を一定に保ったまま鳴り続けていた。


 まさかと思い、足を止め、後ろを振り返った。


 


「ふふっ…」




 さっき助けた女子が、オレから一歩半の距離に笑顔で立っていた。




 もしかして、惚れられたのか!?


 いや自惚れるな、こんな美少女がオレを好きになるわけがない。


 


 何も見ていないかのように前を向き直して歩き出した。


 あの女子に出会う前の清々しさは消え失せ、今は緊張で新たな学び舎を堪能する余裕すらない。


 心臓の鼓動が自分に聞こえるほどに焦っている。


 


 あれやこれやと考えていると、気づけば校門を通り抜け正面玄関の目の前までたどり着いてしまった。


 結局、後ろから付いてくる女子は正面玄関の前まで、オレとの一定の距離を崩すことはなかった。


 正面玄関に入る直前に、その女子はスキップでオレを追い抜き、「またね」と言わんばかりの笑顔を見せて校内に姿を消した。




 なんだったんだろう、あの女子は。


 でも、またすぐ会える気がする。




 オレは気を取り直して玄関に入り、校内を見渡した。




「うわー!すげぇー‼」




 校舎の中に入って初めて、学校の綺麗さを実感した。


 心の声を表に出すことは滅多にないが、出来たばかりの校舎に感動の言葉を出さざるを得なかった。


 


 こんなにも良い校舎に学費無料で通えるなんて、姉には感謝しなければならない。




 長かったような短かったような通学路を歩き切ったし、入学式に向かうとしようか。


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