第2話 霧の迷い子へ

深い深い霧がフィリップと馬を包んでいた。視界不良にも程があり、ミルクの中を進んでいる気分になる。

鳥の囀りも風の音も聞こえない。耳に届くのは馬の足が草や土を踏みしめる音や、自分の服の衣擦れ。そして自分と馬の呼吸ぐらい──というわけでもなく。

「はてさて。魔女でも居るのかね」

『そしたら霧から獅子が飛び出てくるかも』

『いいえ、それだと些か最近の話だわ。出てくるならきっと赤と白の竜よ』

『いいえいいいえ、猪が全て踏み荒らしてしまうのよ』

フィリップには賑やかな姉達がついていた。


「魔法使いの予言でもあるまいに」

相変わらずお喋りな姉達も、声はすれども姿は見えず。というより、単に姿を見せてもフィリップが見えないので無意味と判断したからだろうか。


(然し、こうも不気味だと姉上達のお喋りも気晴らしにはなるな)

ついこの前、フィリップは祖母アリエノールと叔父ジョンからあることを頼まれていた。


それはリチャードⅠ世亡き後、いまだ落ち着かぬ国の世相の調査である。フィリップは私生児ではあったが、扱いは酷いものでもなく王位継承権がないことに目を瞑ればかなり良好。それはフィリップ自身も思っていたことだし、なんなら周りからよく可愛がってもらった。

特にアリエノールにはよくしてもらっている。


おかげで立場はそこまでではないが、顔も広く諸侯とも友好関係があり、かつ自由に動けるフィリップは派手に他のプランタジネット家の者が動けない場面で重宝された。

「御伽噺のような魔女の仕掛けかは兎も角。ここらで起こっている事件は野放しにはできないので進みますがね」


愚痴をこぼすようにフィリップは微かに薄くなってきた霧の先に目を向けた。


大婦人と国主の命令を遂行すべく、イングランド北西部まで来ていたフィリップ。彼が領主の屋敷に世話になっていたその矢先、奇妙な噂を耳にした。なんでも夜な夜な化け物が出ては家畜をさらっていくのだとか。

最初は野盗の類だろうとフィリップも思っていたので、この領地の兵士達に任せていたが一向に事態は収束しない。なんなら対処に向かった兵士が真っ青な顔で戻って来て「化け物が居た」とだけ言いそのまま寝込んでしまった。


日は経っても一向に解決の目処もない。住民達の不満は募り、兵士達も流石に気味悪がって行くのをしぶり出す始末。

そこで領主がフィリップに頼んだのだ。どうか何があったのか調べて来てくれと。彼としても断る理由はない。

そもそも何処で何があったか民の暮らしはどうかなどを調べるのがフィリップの役目だ。

屋敷でも世話にもなっているし、なんならこれで領主のプランタジネット家への心象も良くなるかもしれない。


現在もジョン王に対する評価は揺れている。フィリップとしても、せめて国内のことは安定させておきたかった。


「ここが例の村か……」

かなりマシになってきた視界。最初に見えたのは柵で、その奥にポツリポツリと家屋が見える。

柵の途切れた部分から村へ入ると、一人の女が立っていた。

「ん、旅人か。よくあの霧を抜けて来れたな」


日差しが強まり、薄くなっていた霧も散ったことで女の姿ははっきり見えた。

長く赤い髪をした派手な顔立ちの佳人である。


フィリップは下馬し、話しかけてきた女に応じる。

「途中までは酷くなかったんだ。俺がこの村と距離を詰める度に濃くなって参った。だが、村に辿り着いたら一気に晴れる。まるで年頃の乙女を相手にしているようだ」

「はははっ、ほんとうに年頃の乙女のように可愛らしかったらどれ程どかったろうな。残念だが、今は毒気にやられて悪魔の手先だ」

女は肩を竦めて、皮肉めいた視線を村の奥へ向けた。まだそちらは濃い霧に包まれている。


「ふむ。よければその話聞かせてもらえないだろうか」

「聞かせてもいいが、居座るのは良した方がいいぞ。アタシも一応旅人なんだが、もう今夜抜け出すつもりだ。厄介なお仲間も忘れずに引き連れてな」

「なんだ。貴女は旅人か」

てっきり村人かと思って話しかけたが違ったらしい。女もフィリップ同様、この村では余所者ということか。


「そうだ。訳あって旅してる。腕っ節は頼りにはならんが口は回る自称紳士とじゃじゃ馬娘をお供に珍道中さ」

「成程な。ところで何故そんなに急いで出立を?矢張り「化け物」が出るという噂は本当か?」

「なんだよ。知ってたのか」

女は面食らったように目を丸くした。


「知ってて来るなんて奇特な御仁だな」

「父の奇特さには敗北し続けている普通の男さ」

フィリップもまた肩を竦める。

「ふぅん。まあ、いいさ」

女は不敵に笑い、フィリップをじろりと上から下まで眺めた。

「野盗のような悪党と暇潰しをするよりは面白くなりそうだ」

「野盗?悪党?あいにく俺は甘党でね。酒も甘いのをくれ」

フィリップは冗談めかして片目をつむりながら、右手で杯を掲げる真似事をする。



「アタシの名前はウィアトリクス・ヴェントット。ヴィーチェとでも呼んでくれ。友人はそう呼ぶんでね。酒はないが、話なら振舞ってやるさ。伊達男」


馬を繋いだ後。フィリップは彼女が宿泊しているという家に連れて行ってもらった。


この村は家屋と住人の比率が合っていない。

元々空き家が多く、旅人に貸し出しているという。事前に調べていて分かっていたことだが、実際に目にすると利には叶った仕組みなのだろう。

旅人は雨風を凌げるし、運が良ければ旅人から宿泊料やそれに値するものを貰える。


フィリップが村の敷地内の諸々を頭に入れている内に、ヴィーチェは宿の扉を開ける。そこには──

「いやあ、驚いた。驚きましたねこれは。珍しいお客人だ。ところで私、まだ生きてるはずなんだがな?ここは村の形をした宿泊施設ではなく、煉獄であったか。確かに美しい女はいるが性格に難がある。いざとなったら見捨てられそう。我が師もいないし。ふむ、では現世だな。なんか最後に会った時より若返ってるし………………ということは幽霊……見えちゃった?」

「おじさんまた変なこと言ってる〜」

「お兄さんと呼んでくれたまえ。これは自慢だが私は歳を取らない性質たちなんだ」

「やだ〜オソロ〜イ」

「え?それって肯定だよね。否定じゃないよね」

ヴィーチェと同い歳程の男と、少女がわちゃわちゃと喋っている。

「おい、客だ。落ち着けお前ら」

「え〜と……」

フィリップもこれは予想外。反応に困った。何かと濃い性格をした身内達もこれほど奇想天外な会話はしない。

ヴィーチェの反応からして、彼女の言う「お仲間」なのだろうが──


驚いて固まっているフィリップに、男がつかつかと靴音を鳴らして近づく。躊躇いはない。

「いやしかし似ている。世界には自分と同じ顔をした者が三人居ると言うが、まさか彼のそっくりさんと出会うとはね。本当によく似ていて……」

「あ、あの。すまないが俺は貴方の知り合いにそんなにも似ているのか」

口を引き攣らせながらも、平静を保とうとするフィリップ。

そんな彼を気にもとめずに男は口を止めることはない。

「ああ、そうそう。そっくりだよ。懐かしいな。彼はもう死んでしまったけれど。今でもひょいと現れるんじゃないかと思う日々」


そして男は、まるで舞台に立った役者のように腕を広げ胸を張るとこう言った。




「そう!かの獅子心王に!!」



「……え」

フィリップは思わず気の抜けた声を出した。父の話になるとは思っていなかった。

もしや彼は父に仕えた者の一人か、はたまた何かしらの交友関係があった者か。

頭をできる限り回してみても答えは見つからない。そもそもフィリップは年中、リチャードに付いて回っていたわけではないので父の交友関係の全てを知っているわけでもない。


「ああ、驚かせてしまってすまない。挨拶が遅れたね。私の名前はサンジェルマン。伯爵でもあるが、時と場合と世界によっては、爵位というより愛称みたいなものになるかな。まあ気軽にサンジェルマンと呼んでおくれ。私も十字軍に参加していたし……君も反応からし……て」

油でも塗っているのかと言いたくなるほどに回る口が急に止まる。

そして次に動いた時にはサンジェルマンが神妙な顔付きになっていた。

「君の母親はアキテーヌの貴族じゃないかい?」

「そ、そうだが。あの、ち、近い」

あまりの近さにフィリップは後退った。助けてくれとヴィーチェに視線を送るも苦笑いされて終わる。


「そして君の妻の名前は「メアリ」だったりするか?」

「それも、合ってる……」

「叔父の名前は「ジョン」」

「あ、合ってる……」

そこまで聞いて納得したように離れてくれたので、フィリップはホッと胸を撫で下ろす。

「父親の名前は?」

「……リチャード」


「成る程ねぇ」

天井を見上げるようにしてサンジェルマンが静かに呟いた。

「そうか、君が……彼の息子か」


数秒押し黙ったかと思うと、サンジェルマンはにこやかに笑いまたその口を開いた。

「よぉし!若獅子よ!いや、獅子というより雀のようだ!あ、馬鹿にしているのではないよ?君ってなんか騒々しい気配がするから……ああ、それにほら。異国じゃ、エニシダを表す言葉に雀を表す文字が入るんだとか。うん、ぴったり。多分」

「え?騒々しい……」

心当たりしかないフィリップ。ふと、視線を斜め上にやると姉達の姿があった。だが、無表情であり、いつものように揶揄いの言葉もない。

おかしいな、とフィリップが首を傾げた時。

ヴィーチェと少女からとんでもない発言が飛び出す。

「フフ……中々、どうして大変そうだな。そうか、アンタが獅子心王の私生児か。これまたえらいのを連れていやがる」

「そうだよねぇ。なんか取り憑かれてるもんねぇ」


フィリップにとってあまりにも意外な言葉に思わず、大きな声が出た。


「ま……まさか見えてるのか!?」

今までどれ程の者に会っても姿も声も、気配すらも感じ取られなかった姉達が認識されているという事実。一種の感動すら覚えた。


「あっ、私にも見えた。あれ?なんか時間差があるな。え?なんで私だけ時間差で?」

「見えてるというか、見させてくれてるって感じだな。気紛れなんじゃないか?」

「普通の人には見えないし、普通じゃなくても見るのって難しかったりするんですよ」

それぞれ三者三様で返答する。


「彼女達は父の娘達。つまり俺の姉達なんだが……」

「あ〜、あったなそんな話。え?マジなやつだったのか。てっきり私も説教の為の創作かと思っていたな。これは驚き桃の木山椒の木」

「娘達ねぇ……まあ、予想はつくな」

「多分、血筋に憑いてるんだねぇ」

いきなり長年の問題に光が差し込んだ興奮を、なんとか押し殺しながらフィリップは訊ねる。


「血筋……というと、矢張り水妖伝説が関係しているのだろうか?」

プランジタネット家は水妖の血を引いていると言われている。他にも同じ話を持つ家はあるが、フィリップはこの話に何かあるのではないかと考えていた。

「確信は持てないけどそうなんじゃないかな。フィリップお兄さんは霊媒体質で自分の血に潜んでる魔性を認識できる才能があるんだと思いますよ」

「こういう霊媒体質は初めて見たけどな」

「珍しいよね。私も長く生きてるけど特殊な霊媒体質の中でも更に特殊かも」


「でも気をつけた方がいいぞ。アンタの姉達は間違いなく魔物だ。少なくともアンタ自身が人でなくなる可能性もなくはない」

人でなくなる可能性。いきなりそんなことを言われてもフィリップだって困る。

「だとしても大丈夫。気にすることありませんよ。案外そういう人達って楽しくやってますもん」

少女がヴィーチェを見てにっこりと微笑む。

「まあな。とはいえ、アンタが人として生きようと足掻くなら問題なさそうではある」

「病は気からということで、ね!」

深刻な話ではあるだろうに、どこか呑気な三人。そんな彼らを見ていたら、ここまで付き合い続けてきた自分も中々ではないかという自信がフィリップに湧いてきた。

「はは……病扱いか。まあ、病みたいなものである」


突然の出会い、突然の答え。


解決にはなっていないが、一人で悩んでいた頃より楽にはなった。

「仕方ない。姉上達とはまた暫く付き合おう」






「よーし!なんだか纏まって良い雰囲気なので、このまま仲良くお茶でもいかがかな?」

「お菓子も出して!」

「私ってば人前で食事は取らないけれど、何かを作り出すのは得意だから実は料理が大得意。というわけで秘蔵のお菓子がコチラになります」

「わーい!」

やいのやいのとはしゃぐサンジェルマンと少女を横目に、ヴィーチェが改めてフィリップに声をかける。

「……悪いな、騒がしくて。で、騒がしくていいならこのままこの村の件について話すが……いいかい?」





「ああ、いいとも。むしろ陽気な騒がしさは人生の波の中に必要だ」

「同感だ」

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金雀児の騎士 猫本禄 @rurineko

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