金雀児の騎士
猫本禄
第1話 三人の姉達
暗い部屋の中、青年が悩ましげな顔で椅子に腰掛けている。
「王権にも領地にも興味はない……ないが」
若く艶やかな女達の声が、青年の耳に届く。
『貴方って本当に小心者ね』
『ねぇ、貴方のお爺様のお爺様の父親だって庶子だったけれど結局王様になれたじゃない。貴方だってもっともっと世界を広げられるわ』
『そうね。それに、もっともっと女達と関係を持ったら?一人だけなんて、随分と狭くつまらない男』
青年は深いため息をついて立ち上がり、大股で数歩歩いて、締め切っていた窓を勢いよく開けた。
途端に涼風が部屋を満たし、午前の爽やかな日差しが青年と部屋の一部を照らす。
「だからと言って、これはないではありませんか」
誰に向けての言葉か。それは確かに嘆きの言葉ではあった。
「……」
嘆きの言葉を聞いて慰める者は居ない。代わりに、部屋を満たし切れぬ光の影から、くすくすと女達の笑い声が聞こえた気がした。
青年の名はフィリップ。彼には物心ついた時からの悩みがあった。
それは現在進行形で悩みの源泉であり、部屋の隅でふわふわと浮いたり泳ぐように影に消えたり出たりを繰り返す「三人の姉」について。
この姉達をフィリップが最初に認識したのは、父に連れられて教会へ出向いた時だった。
大きな教会を見上げながら、父は冗談めかしてこう言った。
「実は私には既に三人の娘が居たらしい。つまり、お前の姉達だ」
妙な物言いだと思った。もしや自分と同じ庶子が他にもいるのかと勘ぐる。フィリップは庶子であった。自分という例があるのだから他にも子が居るのかと勘ぐっていたら、父にひょいと抱き上げられ視界が急上昇する。
「既に嫁にやってしまったが……ハハッ、なにせ。私の娘だ。到底大人しくしているとは思えん。ひょっとしたらそこらを彷徨いているかもな。気をつけろよフィル」
父──リチャードは快活に笑った。後に獅子心王と呼ばれる男は、幼い息子フィリップの頭を撫でる。
フィリップは庶子ではあるものの、この時代にしては父からかなりの厚遇を得られてはいた。
王位継承権はなかったが、もう少し成長した頃には騎士に叙任され、準貴族としての階級も与えられることとなる。そもそも彼らは不仲というわけでもなく、親子としては良好な関係であった。
無論、リチャードの生き様からして一緒に過ごせた期間はかなり断続的で短いものではあるが。
さて、そんなフィリップは父の大きな手に、彼と同じ赤みがかった金髪を撫でられながら、その瞳をまん丸にして宙をじぃと見ていた。
ふわふわ、くるくる、不透明な三人の女が空中を舞っては消えるのだ。
「父上、あちらの方々はどなたでしょうか」
「ん?」
フィリップの見ている方向にリチャードも目をやる。
「ああ、アキテーヌ公領ジャルナック領主とその部下達だ」
確かに身なりのいい男性が立っていたが、フィリップが聞きたかったのは不思議な三人の女達であった。然しどうやら父には彼女達が見えていないらしかった。
フィリップはこの時をもってして、この「三人の姉」達にちょっかいをかけられながら波乱万丈な人生を送ることが決定づけられた。
「本当に参ったな」
回想を終え、腕組みしてフィリップは唸る。
害があるかどうかでいえば、大した害もないのだが──
一々、視界に入るし。気が散る。
それに一人ならまだしも、三人となると文字通りに姦しい。
それにこの三人、見目の良さと裏腹にかなり邪悪だ。口を開けば、見下してきて、欲を張り、淫らなことを喚く。
常に出てくるわけではないし姿を見せるわけでもないが。睦言を批評してきた時には後で斬りかかろうかと思った。やかましい上、余計なお世話にも程がある。
三日三晩教会か何かで有難い祈祷でもしてもらった剣ならば、この乙女の形をした悪魔共を斬れそうではあるが、流石に実行はしなかった。
見てくれだけなら、ただ美しい女だし、本当に見ているだけなら普通の人間。ちょっとばかり、いや、大抵よく浮かんだり消えたりするが。まあそこはそれ。兎に角、見目に関してはあからさまに人間の女だ。どこにでも歩いている人間の形をしている。
戦場で相見える戦士、勇士のようであるならばまだしも、明らかに武器も持たぬ相手に剣を振りかざすことに躊躇いを覚えた。
言葉という武器は持っているので、精神的な攻撃なら受けるのだけれど。
そこで、ならばこちらも言葉で応戦。といきたいが大抵押し負けるし。
そもそも、自分にだけ見えている及び聞こえているせいで、偶に変な挙動になってしまうのも困る。然し、そこはあの獅子心王の息子だしな、と思われ流されているらしく大事にはなっていない。
とはいえだ。助かっているのかいないのか絶妙なところ。
周りの評価なぞ気にしないが、あまりにも珍妙なものは流石のフィリップも嫌だった。
それに、これから先の人生もこんな有様では精神がやられてしまいそうだ。
「教会を頼ってみても駄目だったしなぁ……聖職者も打つ手なし。なんなら、怪しげな魔術師やら占い師やらも頼ってみても打つ手なし。もうどうしたらいいんだ」
いっそ自分が聖職者にでもなろうかと思ったが、早々に断念した。その道は自分には向いていなさすぎる。そもそも、聖職者になったところで祓い落とせるほど軟弱な相手ではない。
第一、聖職者としての勤めも果たせる気がしないので、真剣に志す者にも悪い。
勿論、「三人の姉」をどうにかしたいのは真剣な理由だが。その他は大して興味を持てない。父同様、子供時代は祈りの時間より遊びの時間の方を優先していたタイプだったのが明白だ。
素敵な棒を見つけて騎士の真似事をするのがお気に入りだったが、後で父も幼少に同じことをしていたことが判明した。親子で妙なところが似たものであると妻に話せば、彼女の笑顔を獲得することができたので、世の中何が役立つか分からないものだとフィリップも思わず笑顔になったのは懐かしい。
久しぶりに妻の顔を思い出して、なんだか心が軽くなった気がした。
「悩んでどうにかならないのはもう分かりきっているしな」
机の上に置いていた書簡に目を落とす。
それは父リチャードの弟で、フィリップにとっては叔父であるジョンからのものだった。
「……全く、我々は身内の問題には困らない一族で困る。君が巻き込まれないのがせめてもの救いだ」
記憶の中の妻に話しかけるように一人で呟き、書簡を懐にしまって部屋を出る。
扉が閉まると同時に、自然と窓が閉まって鍵がかかった。
光が閉ざされた部屋の中から、クスクスと女達の笑い声が響いていた。
フィリップが世に生を受ける前のこと。リチャードⅠ世は、後に雄弁なる説教家であり司祭となる男にこんなことを言われた。
──『恐れながら申し上げます。これは私が人である以上、言わねばならぬことなのです』
恭しく前置きしながら男は言った。
──『貴方様には「三人の娘」がおいでです』
──『嘘であろう。私に子はいないぞ』
まだフィリップが生まれる前の話だ。だが、リチャードには娘もいない。
リチャードは思わず怒りの姿勢を取りながらも、妙なことを言う男に興味を引かれ、何故そんなことを言うのか気になった。
もしや、関係を持った女との間に子が?とも考えはした。リチャードはアキテーヌに居る昔馴染みと娘と恋仲だったからだ。だが、そうだったとしても男の言い分は奇妙だったのだ。
──『それはどのような娘達だ。知っているのなら答えられるはずだ。神に誓う生き様をする者よ。偽り無きならば答えるがよい』
──『偽りはありませぬ。故にお答えしましょう』
──『「三人の娘」がおいでです。傲慢、貧欲、邪淫。この三人が貴方の傍に居る。どうか早急に娘達と離れなさいませ』
──『……そうでなければ』
穏やかにではあるが芯の通った声が急にか細く言い淀む。
──『そうでなければなんだ。言ってみろ。どのような言い分であれ許そう。私の問いに誠実の答えを出したのだから』
──『悪魔共が形を成し、全てが溺れてしまいます』
どうにも読み取り難い言葉だった。だが、リチャードは何を感じ取ったのか静かに頷き。手を空へ伸ばし宣言した。
──『私の傲慢はテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団へ!貪欲はシトー派修道士に!そして、邪淫は全聖職者へとくれてやる!!』
はたして本当に引き離せたものか。男の忠告の真意はなんだったのか。
いずれにしても傍迷惑な嫁入りであったには違いない。
然し、もし本当に引き離せていたとしても。時を経て娘達は舞い戻り、獅子の子に取り憑いたのだ。
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