第15話 “僕たちが浮遊島をつくりました”

 本棚の前で立ち尽くしているところだった。


 『僕たちが浮遊島をつくりました』──。


 背表紙にはそうある。ビョークは、新刊コーナーの棚にそれを見つけた。

 数秒のあいだ目が点になった。

 そういえば、店の表にも旗が立っていた。

 ここは個人営業の本屋だからか、普段から本はすべてビニールで包装されている。本を手に取ると、レジのおばあちゃんが睨みをきかせてくる。


「あんた、それ買うんかね、買わんのかね」


 ほらきた、とビョークは思った。いつものことだ。


「か、買います」


 レジへ持っていて会計を済ませると、彼はその場で包装を破いた。おばあちゃんが、それこっちで捨てとこか、と優しく声をかけた。買ったあとは優しいのもいつものことだ。

 お願いします、とゴミを渡した。

 店を出ながらビョークは本を開いた。


「嘘だ……」


 適当に目次へ目を通し、本文一行目が目に入ってきた。

 そんなこと、あるはずがない……。

 ビョークはぺらぺらと雑に眺めていった。斜め読みする必要もなかった。読んだことのある内容だったからだ。

 クリーム色の装丁も、ハルタの日記そのものだった。誤字脱字などが修正され編集されているが、ハルタの幼稚園の頃の話から始まり、スノードームにどのようなイメージを注ぎ込んだのかまで書かれている。

 

 本を閉じた。


 向かいのスナックのネオンの看板、団地といった周囲の景色をビョークは見上げた。空気を鼻から吸いこんだ。頭を冷やしたかった。


「嘘だ」


 棒読みだった。口角がやや上がり、首を振る。開いた瞳孔は虚無だった。





 その足で姥捨照村の南に位置するチユのアパートを訪ねた。生前ハルタが使っていた部屋である。その前はイカルガ使っていた。


 扉を叩いたが返事がなかった。

 ドアノブを捻ったら鍵が開いていた。

 扉を開け、チユの名を呼びかけながら廊下を覗いた。静かだ。

 ややあって靴を脱ぎ、中へ入った。


 リビングには誰もいなかった。

 オレンジ色のカーテンが全開で、よく日が差し込んでいる。室内は紗がかかったような雰囲気があった。

 ダイニングテーブルの上にハルタの日記を見つけ、ビョークは手に取った。

 本屋で見つけた『僕たちが浮遊島をつくりました』の記憶を頼りに、中身を読んでみるが確かめるまでもなかった。

 ビョークは苛立ちから荒い息を漏らし、頭を抱えた。


『著者が蓋魔だから売れたんですよ』


 テレビから声が聞こえた。つけっぱなしになっていた。

 報道番組だった。画面右上にテロップが見えた──。



  話題の書籍

  『僕たちが浮遊島をつくりました』

  著者:開多ハル

  ベストセラー第一位(週間文芸)



『一種の蓋魔の人生が評価されただけですな。文章は稚拙、内容は二番煎じでミーハー』


 “蓋ノ守文化研究会・会長”を名乗る白髪の老人が、神妙な顔で言った。

 確かに浮遊島に関する書籍は、島が現れて以降いくつも出版されている。しかしテレビ番組で拾われるほどの書籍がこれまでにあっただろうか。


『浮遊島に対する冒とくです』


 “デルタの会・教祖”を名乗る人物が書籍をテーブルに叩きつけた。スタジオが騒然とする。教祖は白いローブに身を包んでおり、尖った帽子を被っていた。


『著者が蓋魔で、潜りで、ヘルデの血を人間愛護教会に卸していたから教典支持派に違いないだとか、そんなことはどうでもよいのです。問題は、この島が過去に亡くなったある一人の女性を生き返らせる、そのためにあるという愚論を展開していることです。そのような創作がベストセラーですか、蓋ノ人も落ちたものですねぇ。一体何を考えているのやら』


 カメラが女性アナウンサーへ切り替わり、こちらをご覧ください、言った。

 画面右端から大きなパネルボードが出て来た。キャスターがついているタイプのものだ。そこに張り付けられている二枚の顔写真を見たビョークは、息を止めた。

 一九歳当時のハルタと一七歳当時のイカルガが映し出されていた。二人とも、生前最後の顔をしている。

 いつ撮られたものかと考えたが、答えは簡単だった。

 潜りは非公式だが小規模な謎の組合があり、そこに身分証明書のコピーや書類を提出する。これらを提出しなければ、夜の小学校には入れないという建前だ。

 ビョークは履歴書のように、書類に証明写真を張りつけたことを思い出した。テレビに映し出されている二人の顔写真は、証明写真のようだった。


『メッセージカードを集めさせるだとかそんなことのために、あのような巨大な島が空に浮かびますか? それを人工物と言いますか? ありえない、極めてフィクションです』

『フィクションなのはあんたらも同じでしょう』


 蓋ノ守文化研究会・会長が噛みつく。


『この本に出てくるスノードームですがね、実際にあるそうですよ。人間愛護教会が保持しているそうです。なんでもイメージを注ぎ込み──』


 頭が痛くなった。

 ビョークは愕然としながら、右上テロップの“開多ハル”というペンネームを見ていた。

 訳がわからない、というほどでもなかった。様々なことが連想されるわけでもなかった。こんなことができる人物は限られている。


「お姉ちゃーん、リンス変えた?」


 バスタオルで頭を拭きながら、ハルがリビングに入ってきた。

 今まで風呂場にいたのか。

 頭にマーコールのような角が生えている。瞳孔はまだ「一」のままだ。それ以外は人間と同じ。


 この姿も随分と見慣れたものだ。彼が中途半端な人の姿に戻ってから、九カ月が経つ。

 ビョークに気づくなり、ハルは静かに固まった。その視線がビョークの手に持っている日記へ向かう。彼が何を見ているのかビョークはすぐに気づいた。


「ただいま」


 玄関から声がした。


「お寿司と茶碗蒸し買ってきたよ」


 リビングに見えたチユが、二人を見て立ち止まる。 


「ビョーク……」


 彼女もビョークの手にある日記を見た。

 三人の間に数秒の沈黙が訪れた。ビョークは固定された二人の視線を見比べた。二人とも日記を見つめている。

 その沈黙を破ったのはハルだった。

 突然バスタオルを顔に投げつけられ、ビョークは視界を遮られた。

 何かが落ちたような音、廊下を駆ける足音、玄関扉の閉まる音がした。


 顔にかかったバスタオルを剥がすと、ビニール袋を拾うチユの姿が見えた。

 袋から取り出しテーブルに並べられた寿司が、透明な容器のなかで一部崩れて傾いていた。それらを見つめる彼女の目が物悲しい。


「どういうことですか。どうしてハルタさんが日記を知って……」


 手に違和感があった。日記が消えていた。

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