第11話 “面会”

 日々野翔二郎とその母親に会うのは難しくなかった。

 ハルの祖父に教えられた病院に向かい、面会がしたいと受付でその旨を伝えた。同級生です、と身分を明かした。

 事前にビョークは、チユにある提案をした。


 今だけイカルガの真似フリをしてもらえないか──。


「イカルガです」


 承諾したチユは、受付で伝えた。

 病院の面会で身分証明書の提示を求められることはあまりないが、求められた際は諦めて帰るつもりだった。

 母親と連絡がついたらしく、受付の人に部屋番号を告げられた。

 三人はそのままエレベーターで五階へ向かった。


 あのホテル火災でなくなった成人たちが、ハルタの同窓生たちだと知ったいま、ビョークの目的はハルの記憶を取り戻すことではなくなっていた。

 火事のあった日、あのホテルのパーティースペースで何があったのか、確実に知りたい。

 それにサングラス越しでも、ベッドで仰向けになっている日々野翔二の顔はよく見えるはずだ。


 病室をノックし、返事があってから戸を引いた。


いかるがさん?」


 中へ入ると、テレビ番組の音が聞こえてきた。ベッドから離れた壁際に、大型テレビがある。

 母親がチユの顔を見て驚いた。

 チユが無言でゆっくりお辞儀をすると、彼女は立ち上がってお辞儀を返した。

 チユを見て、イカルガだと気づいたような顔だ。ビョークはそう思った。

 表情が優しい。この母親には、蓋魔への偏見がないように思える。イカルガが蓋魔であったことは、地域内で周知されていたはずだ。

 チユは嘘がつけないタイプらしい。演技が下手だ。表情が終始、引き攣っている。しかし母親の方は疑いもしていない。イカルガだと思い込んでいる。


「てっきり、その……」


 母親はそういったきり黙った。


「僕は彼女の付き添いです。彼は弟。肌が弱く、このような姿で申し訳ありません」


 ビョークはハルを紹介した。その場で嘘をでっち上げた。

 カーテンを閉めましょうか、と母親が訊いた。わたしがやります、とチユが閉めた。


「実は、イカルガさんは数年前に自死を謀りまして、運よく失敗し、ここ最近まで昏睡状態にありました」

「そういう、ことでしたか……」


 母親が歯切れ悪く言った。

 やはり自殺の件を知っていたらしい。


「目が覚めた彼女には、記憶の混濁が見られました。ホテルで火災があったことは知っていたのですが、知人伝いに翔二郎くんがこちらに入院していることを教えてもらいました。それを伝えると、彼女が会いたいと言ったもので」


 そうでしたか、と母親は相槌を打った。


「翔ちゃん、お客さんよ」


 母親は翔二郎の肩を優しく揺らした。

 

日々野ひびの翔二郎しょうじろうといいます」


 ビョークは、母親がこちらの話を聞いていない印象をもった。

 息子のことで頭がいっぱいなのだろう。イカルガという同級生を前に、息子が何か反応を示さないだろうか、とそればかり考えているように思える。

 蓋魔への偏見どうこう以前に、息子以外に関心がないのだろう。


「是非、声をかけてやってください。反応するかもしれないので」


 無論、翔二郎を救いにきたわけではな。目的は、ハルに同窓生と合わせることだ。


「翔二郎くん」


 声をかけたチユが、ビョークをぎろっと見た。黙ってないでおまえもやれ、と言うように。

 ビョークが声をかけると、イカルガさんだけの方が、と母親から注意が入った。ビョークは狼狽した。


「事故前は、蓋ノ騎士見習いだったんです」


 母親が誇らしげに言った。


「あ、ごめんなさい。何かお飲み物をお持ちしますね。翔ちゃんに面会なんて久しぶりで」


 お気遣いなく、とビョークが伝えたが、母親は慌てて部屋を出ていってしまった。

 チユの深いため息が聞こえた。


「もういい? 疲れるんだけど、この顔するの」

「まだです。火災の件について訊きだすのは無理そうですね」

「諦めて、他の方法を考えよ」


 子犬が怯えるような声がした。

 すぐに子犬ではないことに三人は気づく。翔二郎だった。彼は口をオーの形に開けて、あーあー、と喉の奥から声を上げていた。それから指を差していた。震える指先が、ハルに向けられているように、ビョークは思えた。


「ごめんなさい」


 母親の声がした。彼女は腕に二八〇ミリのお茶のペットボトルを三つ抱えて戻ってきた。それを扉傍の洗面台の横に置くと、翔二郎へ駆け寄った。

 母親の視線がハルを見る。違った。よく見ると、彼女の視線はハルの真上にあるテレビを見ていた。


「この子、山羊を怖がるんです」


 三人は振り返ってテレビを確認した。山羊の群れが映し出されていた。番組内でマーコールという種類の山羊が紹介されているところだった。

 マーコールの二本角は螺旋を描きながら、天を突くように伸びていた。翔二郎は、その山羊を見て唸っていたのだ。

 母親がリモコンでテレビを消した。

 しばらくして、彼の過呼吸のような唸り声が落ち着いた。


「どうして山羊を怖がるんですか?」


 チユが訊いた。


「火事があった日、ホテルにヘルデが出たみたいなんです」

「ヘルデが?」


 ビョークは驚きを隠せなかった。頭の中でスパーボールが乱反射するように、連想が連想を呼んだ。


「翔二郎さんがそう言ったんですか?」


 ビョークが聞き直した。


「いえ、消防の方です。あの日家で見送って、次に翔ちゃんの顔を見たのは病院でした」


 そのときには、翔二郎はいまの状態になっていたという。


「具体的に、ホテルのどこにヘルデが出たかはご存じですか?」

「わかりません。翔ちゃんたちが同窓会に使っていた部屋か、その部屋があった三階のフロアか」


 パーティースペースかフロアか、とビョークは母親の言葉を声をに出して言い換えた。


「信じられませんでした、ホテルにヘルデが出るなんて……あの頃は、ヘルデは姥捨照ばすてる小学校のみに出るものと思っていましたから。それに、翔ちゃんに限ってヘルデ一匹相手にできないなんて、そんなはずないと思ったんです。姥捨照小学校の巡回も、ときどきですがもう二年ほどやっていたんです」

楯蓋たてぶたがないのでは耳絶ちを使うことはできません。蓋ノ騎士見習いと言えど、無力だったでしょう」

「いえ、翔ちゃんはあの日、楯蓋を持って行っていたみたいなんです」

「どういうことですか?」

「同級生に、蓋ノ騎士団に入った証拠を見せたかったんじゃないかと……」


 母親は翔二郎の頭を撫でた。その横顔は寂し気だった。

 なるほど、とビョークは相槌を打つ。

 一つ一つにシリアルナンバーがふられ、楯蓋は管理されている。公務外での持ち出しは禁止されているはずだ。生前の翔ちゃんはやんちゃするタイプだったらしい、とビョークは頭にメモした。


「同窓会があったのは、姥捨照中学校で火災があったその翌年の一月でしたよね?」

「一月一四日、月曜日です」


 母親は、はっきり言った。おそらく正確な日付けに違いない。覚えてしまっているのだろう。

 中学火災以降、ヘルデが姥捨照小学校のみに出るわけではないということが常識になっていった。その認識はすぐに一般化されたわけではない。しばらくは、姥捨照村のみでしかヘルデは目撃されなかったからだ。

 ダックリバー全域でヘルデが目撃されるようになったのは、一月一四日、月曜日より後の話だ。


「他に消防から何か聞いてませんか? 翔二郎さんが他にこんなことを言っていたとか」

「ない、と思います」


 数秒の間があって母親は答えた。答えてすぐ、母親の目がぱっと大きくなる。何か思いだしたらしい。


「そう言えば、消防の方が言ってました。翔ちゃんが変なことを言ったって」

「変なこと?」

「耳絶ちが通じなかった──」


 ビョークは血の気が引いた。隣を見るとチユも同じような顔をしていた。

 二人はハルを見下ろした。フードをしていて顔が見えない。


「意識がなくなる前に、そう言ったみたいなんです」

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