第6話 “32歳の老人”
「いつからあのホテルにいたんですか?」
「気づいたときから」
ビョークの質問に対し、ハルはたんぱくだ。
彼を嫌っている。
集会場の外は賑わっていた。
眠る気配がない。集会場の中もまだやかましい。
「ホテルで何をしてたの?」
チユは代わりに聞いた。
「扉の開け閉め」
「なにそれ」
「三階のパーティースペースが山羊たちの寝床なんだ。その部屋の扉を僕が閉めるんだよ」
「ハルもそこで眠るの?」
ハルは首を振った。
「僕はパーティースペースには入れないんだ」
「どうして?」
「僕だけ二足歩行だから。気味悪がられてるんだ。パーティースペースは、普通の山羊たちの居場所なんだよ。だから山羊たちは安心して眠ることができる」
「閉めたら、ハルはどうするの?」
「朝まで外で待つ」
「朝になったらハルが開けるの?」
「そ」
「変なの。ハルは気味悪がられてるのよね? なのにハルが外で見張ってるから安心ってこと? おかしくない?」
「そうかなぁ。そういうものなんじゃない?」
「どういう意味よ、そういうものって」
「知らない。そういうものは、そういうものだ。そういうふうになってるんだよ」
チユは山羊たちに腹が立ってきた。
ハルに気を遣って手をつけなかったが、あの皿のラム肉を食らってやればよかったと後悔した。
「でも今は自由だ。あのホテルにはもう戻らない」
丘を眺めると、いまも黒いシルエットだけが見えている。
「そういえば、ビョーク。さっき何か言ってなかった? 教典がどうとかって」
「大したことじゃありません。離脱現象といって、教典にも似たような症状があるんです。忘れてください」
ふうん、とチユは鼻で返事をした。
「あの、すみません」
声をかけられた。
一同が振り返ると老人が立っていた。
「さきほど、なかであなた方が話しているのを聞いてしまいまして」
「話?」
ビョークが応じた。
「あの丘に咲いていた花々のことを、あなたは覚えているんですか?」
「青く光る花々のことですか? はい、覚えてますよ。もう二年前ですけど」
「そうですか……うれしいな。同じ記憶を保有している人に出会えた。わたしも覚えているんです」
老人の口元に笑みが浮かんだ。
「しかし、その景色についてはまったく思い出すことができません」
「それは……お気の毒に」
「字のごとく、覚えているというだけです」
「おじいさんも逗留者なんですか?」
チユの声に、老人が顔をぱっと上げる。
「はい?」
「わたしたち、この島のことを調べに来ていて、今日登頂したんです」
「あの、すみません。そんなに老けているでしょうか?」
老人の表情が弱った笑みに変わった。
おじいさん、と言ったことがまずかったらしい。年齢を気にするタイプか。
ビョークがチユを見て首を小さく振った。
「島にはいつ頃からいらっしゃるんですか?」
ビョークが話を変えた。
「二年前の一般開放日からです。わたしも調査隊に参加したんですよ。島じゅうを巡りました。わたしは、あの不良たちとは違いますから」
「不良たち?」
「最初はみんな冒険を楽しんでたんです。この島の神秘性に惚れる人もたくさんいた。しかしお金稼ぎが目当ての拝金主義者どもがいつのまにか増えた。すると島は踏み荒らされた、あの花々のように。塔も逗留先に使われ、汚されました。地上もここ二年で治安が悪くなったと聞いています」
「まあ、旅人が増えたのは事実ですね。地上にもたくさんいますし」
「過疎のころは人々が優しい。でもそれが流行り、ミーハーどもで溢れると全体の民度が下がる。舞い込んでくるミーハーは、素行不良の人たちだ」
「おじいさんはミーハーじゃないの?」
ハルが訊いた。
老人の顔が凍りつく。
「すみません、この子……」
チユが間に入ろうとする。
「あの丘にいた山羊ですよね、話が聞こえていました」
老人は膝を曲げ、ハルに目線を合わせた。
「おじいさん、と言ったかい?」
そう聞かれ、ハルはチユを見た。
チユはどうフォローしていいのかわからなかった。厄介な老人だ。
「俺はまだ三二歳だ、おじいさんだなんて呼ばれる歳じゃない」
「三二?」
ビョークが思わず口に出してしまった。
どう見ても三二歳ではない。
肌は皺まみれ、老人だ。
チユが奇異の目を向けると、老人は苦笑いを浮かべた。
やがてチユやビョークへ怪しむような目を向け、そのまま立ち去った。
チユは言いようのない恐怖を感じていた。
それはビョークも同じであるように思えた。
二人はしばらく黙った。
「変なおじいさん」
ハルが言った。
町の見え方が変わっていた。
どうしていままで気がつかなったのだろう。
町を見渡すと、路地を行き交う人々のほとんどが老人だった。
「島を下りましょう」
ビョークが神妙な顔をして言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます