第7話 “ハルの日記”

  “スノードームには、次のようなイメージを注ぎ込んだ。

  島のいたるところに金品の類が入った宝箱が隠されている。

  宝は見つけたものへの褒美だ。目的は別にある。

  箱の中に、メッセージカードを同梱した。

  カードをすべて集め、書かれたメッセージを繋げて読むと一つの文章になる。

  そこにはある女性についての特徴が書かれている。

  メッセージを集めていくうち、彼女がどういう人だったのかということがわかるのだ。

  攻略者たちは思うだろう。──彼女は誰だ?

  それが狙いだ。

  彼女こそ、イカルガである。

  人は疑問に思うと知りたくなる。

  メッセージをもっと集めたくなるはずだ。

  そして求める心は呼応する。

  青く光る花畑の中心にそびえる白い針の塔。

  ──電波塔に、攻略者たちの探求心が呼応する。

  すると塔の最上階の寝室に、イカルガを呼び寄せる。

  彼女は白いベッドの上で蘇るだろう。

  青く光る花々が、彼女を出迎える。”



 ビョークはクリーム色の日記をぱたんと閉じた。

 耳絶ちの通じないヘルデ──ハルタが持っていたものだ。

 

「メッセージカードが揃うとイカルガさんが蘇る。ハルタさんの中では、そういう算段だったのでしょう」


 ビョークたちは借りた宿部屋にいた。

 部屋はテーブルが一つに椅子が四つ。

 ソファーが一つと殺風景だ。

 

「でも、まだその本がハルのだって決まったわけじゃないし」

「忘れてたんですけど、前にハルタさんのアパートでこの日記を見たことがあるんです」

「ハルが生きてたとき?」

「はい。机に置いてありました。僕が少しページをめくると嫌がられました。確かに、彼は日記だと言っていました。こんな内容だとは思ってもみませんでしたけど」

「じゃあ、ハルので間違いないんだ」

「おそらく」


 ハルがソファーに飛び込んだ。

 まるで子どもだ。

 一三歳と言っていたが、チユには年齢よりもずっと幼く見えた。


「メッセージカードはどうするの? また今度探す?」

「いまは明日下りることだけ考えましょう。僕らまで、あの人のように老けてしまうかもしれない」


 あの後、老人を呼び止め、ビョークは彼に持病があるのかどうか聞いた。三二歳の老人はおかしな顔をしながら「ない」と答えた。


「あの老化は何が原因なの?」

「わかりません」

「ハルから何も聞いてないの?」

「もっと早くにこの本を見せてくれていたら良かったんですよ。四年前、僕は浮遊島のシステムすら知らなかったんです。知っていたら具体的な調査に早くから踏み切れた」


 チユは口ごもった。

 当初、チユは日記についてビョークに黙っていた。

 そこには幼少期から一九歳に至るまでの、ハルタの人生が記されていた。

 彼女は独占していたかった。

 読んですぐハルタのものだと気づいた。

 誰にも見せなければハルの記憶は風化せず、ずっとわたしのものだ。

 チユは彼に会えない寂しさから、しばらくその日記に依存した。

 ビョークに見せたのは、つい最近のことだ。


「問題は、あの廃ホテルです。“青く光る花畑の中心にそびえる白い針の塔。──電波塔に攻略者たちの探求心が呼応する。すると塔の最上階にある寝室に、イカルガを呼び寄せる。”……日記にはそう書かれています。二年前、確かにあの丘にはそれらがあった。山羊の群れや廃ホテルなんてなかった。あってはおかしいんです。それはハルタさんのイメージしたものではありません」

「イメージしたものじゃないと、何なの?」

「この島が形を変えている可能性があります。心当たりなら一つだけありますが、それを説明する前に、僕にはやることがある」


 集会場ではラム肉しか食べるものがなく、ハルは食事ができなかった。

 近くの売店で手軽に補給できるものを選んで買ってきた。

 それら食事がテーブルに置いてある。


「眠たくならない程度に、空腹を満たしておいてください」

「どこ行くの?」

「少しホテルを調べてきます」

「え、またあの丘を登るの?」

「さっきはゆっくり調べられなかったので」


 ビョークが扉の前で止まった。


「眠らないように気をつけてください」

「どういうこと?」

「それがもう一つの理由です。前回は知らずにイヌペロを連れてきてしまったから……それじゃ、行ってきます」


 チユは引き留めて意味を訊ねようとしたが、ビョークの方が早かった。部屋の扉が閉まる。彼は出ていってしまった。

 何かに夢中になると、ビョークは人の話が聞こえなくなる。


「面白くないね、ここ」


 ハルがソファーに深く座り込みながら言った。


「それ何?」


 テーブル上にあるハルの日記だった。


「生前のハルの日記、一九歳の頃の」

「一九歳の僕ってこと?」

「読んでみる?」


 ハルはすぐ首を振った。


「本は嫌いなんだ」

「血の気が引くから?」


 山羊の目が大きくなった。驚いた、ということらしい。


「なんで知ってるの?」

「これに書いてあるから」

「ほんとに?」

「うん」

「そうなんだ……ねえ、僕ってやっぱり記憶喪失なのかなぁ?」

「少なくとも、わたしが最後に会ったハルは一九歳だったけど」

「あのちんちくりんな人も僕の知り合いなんでしょ?」

「ビョーク?」

「そう。あのさ、忘れてることすら忘れてるときって、どうすればいいんだろう」

「思い出したいの?」

「わかんない」


 チユもどうすればいいのか、わからなかった。

 彼に記憶を取り戻させるには、何をすればいいのだろうか。

 心理カウンセリングはどうだろうか。


「ゆっくり考えよ。日記は、暇なときにでも読んでみて」

「多分読まないと思うけど……わかった」

「話してて思ったんだけど、わたしやビョークのことは知らないのに、イカルガさんのことは知ってるんだね……ってことは、一三歳までのことは覚えてるってことでしょ。それって、あの廃ホテルにいるときから覚えてたの?」

「よくわからないんだ。頭がごちゃごちゃになってるんだよ。お姉ちゃんに会うまでは違った。あのホテルにいたことを不思議にも思わなかったし、あそこがホテルだってことも知らなかった気がする。でも今は、何で僕はあんなところにいたんだろうって、そう思ってる」

「記憶が戻ってきてるのかも」

「かなぁ」

「これを読んだら、残りの記憶も思い出すかも」

「思い出してほしいの?」


 ハルに訊かれると、チユはややあって頷いた。


「お姉ちゃんがそう言うなら、読むよ。本は嫌いだけど」

「ビョークには内緒にしてね」

「どうして?」

「誰にも読ませるなって言われてるから」





 丘に辿り着くとビョークは廃ホテルを見上げた。


「やはり……」


 その焦げた外観に呟いた。

 ビョークには心当たりがあった。


 月明りが差し込まず、建物の中は外以上に真っ暗だった。

 エントランスに入ったビョークは、一階のすべての扉前が瓦礫で封鎖されていることを目視しながら、階段を上がった。地下への階段は浸水している。二階も同様に、瓦礫で行き場がなかった。

 三階のフロアは他の階より黒焦げだった。


「ここが、パーティースペースですか」


 室内はハルに聞いていた通りの広さだった。

 焼き焦げて駄目になったと判断されたのか、山羊が何匹か放置されている。それらを月明りが中途半端に照らしている。

 においが強い。ビョークは自身の口と鼻を手で押さえた。

 それ以外、特に何もない部屋だ。

 ホテルを正面から捉えたときと同様、室内を目に焼きつけた。

 それが彼の目的だった。一度見たものは忘れない。


 引き返そうとした彼の足が、出入り口の前で止まった。

 両開きの扉だった。片方だけ閉じられたままになっており、扉の裏側が見えていた。

 背筋にムカデが這ったような悪寒を覚えた。

 夥しい数の爪で引っかいたような痕がついていた。

 ビョークは唾を飲み、痕を手でなぞった。


「内側から引っ搔いたのか……?」


 二足歩行であるのはハルだけだという話だ。

 ビョークは四つ脚で移動する本来の山羊の姿をイメージし、ここに閉じ込められた彼らが、生きたまま焼かれる姿を想像した。

 頭をこすりつけ角で引っかいたのか、それとも後ろ脚で立ち上がって、前脚でひっかいたのか。どちらも無理があるように思えた。となるとこれは山羊がつけた痕ではない。

 ビョークは顎を撫でた。


「彼がやったのか?」


 まさか、ハルが引掻いたのか? 

 ビョークの頭に嫌なイメージが過った。

 二足歩行の山羊が──ハルが、この部屋にひとり閉じ込められ、出してくれと必死にこの扉を引っ掻く姿だ。彼は泣き叫んでいる。開けて、開けて、ひとりにしないで、と。


 胃と下っ腹が重くなった。

 結論を急ぐには早い。

 そもそも好き好んでこの部屋に閉じこもっていたのは、他の山羊たちの方であるはずだ。

 ハルはこの部屋には入れなかった。彼自身がそう言っていた。

 ビョークは頭を振り、イメージを消した。


 ハルの話では、山羊たちは彼を忌み嫌っていたという。

 一匹だけ二足歩行だからだ。

 腕や手も毛むくじゃらであることを除けば、人間の形をしている。


 帰る前にもういちど、パーティースペースを見渡した。

 ここに答えはない──。

 ビョークはそう思った。

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