第3話 “仲間じゃありません”

「喋った……」


 誰かが震える唇で言った。

 この山羊喋ったぞ──。

 今度は大きな声で叫ぶと、山羊の声を間近で聞いていた者から悲鳴を上げた。

 すぐに廃ホテル前はパニックになった。


「山羊一匹に何やってる」


 男が楯蓋を、山羊へ振り下ろした。

 凄まじい風が吹くと、山羊は反り返ったステーキカバーの内側へ消えた。

 地面にめり込むステーキカバー。

 それを中心に、距離をとって形成される逗留者の円。


 ステーキカバーが空高く打ち上がった。

 ぱかーん、という乾いた破裂音とともに。

 逗留者たちは見上げて目をで追った。


 蓋をし終え、男は立ち去ろうとしていたところだった。

 音に気づいて振り返ると、傍にステーキカバーが落ちた。


「あり得ねぇ」


 男は困惑した。

 それは耳絶ちが生み出した風圧による凹みだ。

 陥没した穴から、人間のように手と脚を山羊が使い這い上がってくる。

 囲む逗留者たちは呆然とした。

 

「なんだこいつ……」


 男は異様なものを見る目をした。


「耳絶ちが効かない……」


 チユは声を漏らした。


「そんなはずは……」


 隣でビョークも言葉を失った。

 まるでハルタのようだ。

 ビョークもそう言いたいのだろうか。

 それを口にするのが、チユは怖かった。

 あの山羊がハルであるはずがない。


「おい、燃えてんぞ」


 誰かが叫んで知らせた。


 廃ホテルから火の手が上がっていた。

 三階の窓からだった。

 窓が火を吹いている。

 おとぎ話の竜の息吹きのような炎だ。

 それが出たり引っこんだりを繰り返している。


「誰が火ぃつけやがった」


 ぎいぃぃぃ──。

 という大量の掠れた音がきこえる。

 それが山羊の声なのだと気づくにつれ、逗留者たちの顔は歪んだ。





 二足歩行の山羊は丘の上を引きずられた。

 暴れている。

 痛がっている。


「やめて、離して」


 人間の言葉で訴えた。


「待って」

「んあ?」


 チユは声をかけた。

 先ほど山羊に蓋をし損ねた男だ。


「どうするんですか?」

「何が?」

「その山羊です、どうするつもりですか」

「何って、食うんだよ。決まってんだろ」

「殺すんですか?」

「じゃないと食えないだろ」


 押さえてろ、と周りの逗留者へ言って、男がマチェーテを振り上げた。


「待って!」


 チユが叫けんだ。

 男はうんざりした顔で手を止める。


「なんだよ」

「お金なら払います」

「はあ?」


 男はちんぷんかんぷんな顔をした。

 

「なに考えてるんです?」


 背後でビョークの声がした。チユは構わなかった。


「その山羊、わたしにくれませんか?」

「は? なんで」

「山羊なら他にもいるじゃないですか」

「意味がわからねえ。こいつは食うんだ、みんなでな」


 再度まわりの逗留者へ、押さえろ、と男は言った。


「待ってください」


 ビョークがチユの前に出た。


「僕は人間愛護教会の研究員です」


 ビョークは会員証を見せた。

 手帳にわかりやすく紋章が刻まれている。 


「だから? 外国人がダックリバーに何用だ?」

「この山羊は非常に珍しい。二本脚で歩いています。まるで普段からそうしているように……。ヘルデにも似ていますが、喋る山羊は初めてみました。教会に持って帰って調べたい」

「俺らになんの得がある」

「後日代表者の方へ、教会から報奨金を送ります。いかかがでしょうか?」


 男が頭をかいた。

 反応が今一つだ。


「あなた方だって気味が悪いでしょう、そんな、喋る山羊を殺すのは。耳絶ちだって通じないんです。何かの祟りかもしれない。へたしたら呪われますよ」

「殺さないでください──」


 声に反応し、男が辺りを見渡した。

 声の出所を探しているようだ。

 チユとビョークは誰の声なのかすぐにわかった。


「殺さないでください──」


 彼はもう一度言った。

 気づいた男が目線を下に落とす。

 山羊だった。


「僕は三階にいる他の山羊たちとは違います。三階の山羊は食べていいですから、僕は殺さないでください」


 男の口元が動揺したように笑った。


「仲間を売るのか? 同じ山羊だろ」

「仲間じゃありません」


 チユとビョークの場所からは、山羊の後頭部しか見えなかった。

 彼は上体だけ起こし、背を向けている。

 チユは奇妙に思った。

 なぜだか男の顔から、にやけ面がすうっと消えていった。


「あの山羊たちは、仲間じゃありません」


 もういちど山羊は言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る