第2話 “僕だよ、ハルだ”

 熱線が吐けなくなってしまった日のことを、チユはよく覚えている。


 四年前だ。

 まだ一五歳だった。

 ハルタの望み通り、熱線を、感情をコントロールできるようになり、潜り業に役立てた。

 わたしが熱線魔だ、と息巻いていたが長くは続かなかった。


 いつも通りだった。

 チユが熱線を扱うようになり、それに頼って、素材のおこぼれを貰おうとする潜りたち。

 煤塗れの顔をした彼らと、間に合わせの連携を組む。

 彼らが囮になり、ヘルデを惹きつけたところでチユが熱線をぶち込む流れだった。


 チユの口内から放たれた熱線は、英雄の一撃だ。

 その日も、そうなるはずだった。

 熱線は出なかった。

 ばちばちっと唇の前で、青い火花を散らすだけに終わった。

 潜りに死傷者が出た。

 囮になった潜りたちが、その後に振り回されたヘルデの角材で蟻みたいに潰れた。

 

 チユは潜り業を引退した。

 ビョークが研究室の整理や掃除など、仕事を与えてくれた。


「いつまでもこのままというわけにいきません。どうです、そろそろ浮遊島へ行ってみませんか?」

 

 ビョークがそう提案したのが先月のことだ。


 ダックリバー上空に浮遊島が現れてすぐ、蓋ノ騎士が島を封鎖した。

 調査隊が送り込まれ、誰も中へ入れなくなった。

 二年後、チユが一七歳のときだ。

 封鎖が解かれ、島が一般公開された。

 蓋ノ人のみならず、外国から沢山の旅人が押し寄せた。


「曰く、この島は何かを伝えたがっているそうです。先駆者たちがこのようなパンフレットを配っていました」


 チユはビョークからパンフレットを受け取り、なかを確認しようとした。

 風が流れた。

 彼女の手からパンフレットが離れる。

 手を伸しばたが、眼下の街に落ちて行った。


 飛び石は、姥捨照ばすてる村上空に漂う無数の石だ。

 大きさは様々。

 大きなものを選び、飛んで渡るのが、耳絶ちが使えない者にとっての唯一の登頂手段だった。

 海外からの旅人は、みんなこの飛び石を使い浮遊島へ入る。

 滑落して死んだ者は数知れない。

 

 ビョークとチユも、いまその飛び石に立っていた。

 ここは遥か上空、雲のなかだ。

 下を見ると足がすくむ。

 日が落ちつつある。


「諦めましょう、パンフレットなら上でも手に入ります。あのパンフレットは二年前のものです。情報が更新されているかもしれません」


 ビョークは二年前に一度、ひとりで浮遊島へ登頂している。

 ひらひら落ちてゆくパンフレットを目で追いながら、チユは諦めた。

 ビョークへ振り向き、頷くと飛び石を渡った。





 三時間ほどで、ふたりは登頂した。


「霧が濃いね」

「霧じゃありません。雲ですよ」


 地を踏みしめた。

 視界が真っ白で何も見えない。


「この先です、行きましょう」


 この先です、の意味がわからなかった。

 何があるのだろう。

 彼女は疑問に思いながらビョークの後につづいた。


「四年前、浮遊島は蓋ノ騎士によって封鎖され、解除される二年前まで誰も自由に出入りすることができませんでした。表向きは」

「表向きは?」

「彼らは、この島を独占できていたわけではないんです。姥捨照ばすてる村上空に散乱する、あの飛び石を使って侵入する輩が後を絶ちませんでした。この町は、その頃の先駆者たちによって作られた、名も無き町──逗留とうりゅう者の町です」


 オレンジ色のネオンが爛々とした町が広がっていた。

 畳町のようなビル街ではない。

 低層のレンガ造りの建物が路地の両方に続いており、歩行者のみが行き交っている。

 

 路地沿いの建物のほとんどは飲み屋で、この島を歩くのに必要と思われる武具を売買する店もあった。

 玄関口がウェスタンドアの集会場から、明かりとにぎやかな声が漏れている。

 路地の遠くに人だかりがあった。

 何かったんでしょうか? とビョークが興味を持つ。

 チユは彼に着いていった。


 松明を手に、建物が途切れた町の終わりに人が密集していた。

 誰もが鍬やマチェーテといった物騒なものを携えている。

 狩猟にでも出かけるのだろうか。


「何かあったんですか?」


 集まりの最後尾にいた男性へチユは訊ねた。


「ん? ああ、山羊だよ」


 山羊? とビョークが話に混ざる。


「あれが見えるだろ」


 男が指差した方角には丘が広がっていた。

 盛り上がったり沈んだりを繰り返しながら、どこまでも続いている。

 ある丘の頂上に、何か建物が見えていた。

 空が暗く、ビルのような黒いシルエットだけが見える。


「ホテルだ」


 男は言った。


「あの廃墟の周りに大量の山羊がいる。今からそれを狩りに行くんだ、あんたらも来るか? ラムが食えるぞ」

「ラム……」


 ビョークはやや苦笑いがこぼれた。

 山羊を見ると、山羊頭ハルタで出汁をとったうどんを思い出す。

 あの日の早朝の涼しさと、屋台の奥から立ち上る湯気、熱気、そして出汁のかおりが鼻孔をかすめた。

 それがリンクするとビョークは吐き気を覚えた。


「狩りの方は、無理に参加しなくていいと思うぞ。どのみち町の奴らで分け合うだろうし」


 狩りが苦手だと思われたらしい。

 列が動き出すと男も混ざっていった。


「浮遊島って、なんだか想像していたところと違うね」

「着いて行ってみましょう。どの道、この島を調べる必要があります」





 見えてきた廃ホテルは、黒く焦げているようだった。

 さきに到着していた逗留者たちの松明が、ホテルの下半分を照らしている。


 ビョークが足を止め、ホテルを見上げた。

 指を差している。

 口元が、一、二、三、と動いているのがわかった。

 階層を数えているらしい。

 ホテルの上の階は途中で崩れているようだった。


「なんだこいつ、立ってるぞ!」


 先頭から男の声がした。

 なんだか騒がしい。

 ふたりの足取りが、自然と先頭へ向かう。


「ヘルデか?」


 ヘルデ──。

 その単語が聞こえると、ふたりの歩幅は大きくなった。

 残りの傾斜を上がってゆく。

 周囲の逗留者たちが殺気立っているのがわかった。

 ふたりは最前列へ出た。

 逗留者たちの群れは、円を形成していた。

 その中心に、子どもの姿を見つけた──と、チユは思ったが違った。

 山羊だった。小さな山羊だ。それも二本脚で立っている。


 うおおお──山羊が獣の咆哮のような声を上げた。


「なんですかあれ……」


 ビョークはゴキブリを見つけたような目をした。

 天を仰ぎ見て吠える山羊。ヘルデの奇声だ。

 チユは、畳通りに発生した耳絶ちの通じないヘルデの姿を思い出していた。

 ヘルデ──ハルタもあの日、天に叫んでいた。

 だからだろうか、目の前の山羊が泣き叫んでいるように見えた。

 強張った笑顔をしているように見えた。

 もちろん頭は山羊だ。人間のような細かい表情などない。

 なのにそのように視えた。

 叫びながら、空へ向いた顎が下がる。

 瞼が世捨て人のように落ちている。

 周囲を見渡すようにいちど流れた山羊の視線が、戻ってきてチユで止まった。

 泣き声が止んだ。

 山羊の目が、何かを見つけたように大きくなった。

 山羊の口が動いた。なにか言った気がした。そんなはずはない。山羊が喋るはずがない。


 チユは血の気が引いた。

 心臓を内側からなにかが叩く。

 身体が熱くなってゆく。

 山羊が何といったのか、遅れて理解できた。

 イカルガ──と山羊が言った。


「あの山羊、あんたを見てねぇか?」


 隣の知らない男が話しかけてきた。

 知り合いか? と訊ねられ、チユは首を振った。

 そのあとは反応できなかった。

 気がついたときには、チユは走り込んできた山羊に抱きしめられていた。


「イカルガ……?」


 また言った。

 イカルガ──確かに山羊はそう言っている。

 チユは青ざめた。

 

 彼女の顔がイカルガに似ていると答えた者は、これまでにも何人かいた。

 ビョークもそのひとりだ。

 見間違いをしたのはハルタだけだ。

 チユはそのように記憶している。

 山羊の「一」の目がこちらを見ている。


「イカルガ?」

「どうして……」

「チユさん、お知り合いですか?」


 ビョークが訊いた。チユは首を振る。


「僕だよ、ハルだ」


 山羊が喋った。

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