第15話 “クリーム色とスノードーム”
ヘルデ・スタンピード──。
二年前に起きたあの火災以降、
その範囲は日々拡大している。
畳通りには、昼夜問わずヘルデが出没するようになった。
次第に潜りの需要は高まった。
闇で売買されるシリアルナンバーのない
それを大振りし、潜りたちは狩りへ勤しむ。
蓋ノ騎士の巡回は人員と頻度を増している。
ここは
ただし楯蓋の番号を確認されたら監獄行きだろう。
「そっち、さっさと
男が声を荒げた。
顔が煤塗れなのは身バレ防止措置だ。
蓋ノ騎士対策である。
やはり連中とは相容れない。
複数体のヘルデを大勢の潜りたちで相手した。
次々にヘルデが蓋の下に閉じ込められてゆく。
これが潜りの戦い方だ。
一度にすべてを相手にするのは不可能。
数を限界まで減らし、一匹ずつ殺して血を採取する。
いつも通り、段取りは順調のように思われた。
潜りたちの悲鳴がきこえた。
何かが飛んできて、ビルの柱や壁面、道路に打ち付けられた。
それは潜りたちだった。
「耳絶ちが通じねぇ奴だ!」
誰かが訴えるように叫んだ。
「出やがった!」
知らせた傍から潜りが角材に殴り飛ばされた。
マーコールのような角を持つヘルデが咆哮を上げた。
潜りたちの心臓を鷲掴む。
この個体は他のヘルデとは違う──。
奇声はサイレンのようだ。
彼らに解らせた。
ひとつひとつ表情が怯み、またひとりと怖気づいてゆく。
戦意が奪われてゆく。
耳絶ちが使えないとなると、対応策は思いつかない。
ただ焦り、自分たちの死期を感じた。
人影がひとつ、潜りたちのあいだを駆け抜けていった。
夕日色の長い髪が、馬の毛のように
「わたしがやる」
潜りの肩を足場に、チユは高くジャンプした。
「熱線魔だ、熱線魔が来てくれたぞ!」
潜りたちの落ち窪む表情が一変した。
歓声が上がった。
チユは中空でヘルデを目視する。
直後、ビル街が青白い光に包まれた。
彼女の口内から放射される熱線は、すべてを貫く英雄の一撃だ。
視界をこの青白い光が包み込むとき、すべての死闘は終わる。
熱線魔──。
彼女が来るまでしのぐぞ。
ここ二年、彼女は潜りたちの希望になっていた。
「え」
チユは虚をつかれた。
熱線をヘルデが容易く避けた。
「嘘だろ、あいつ避けやがった」
ヘルデが素早く距離を詰めてきた。
チユが着地したと同時に、ヘルデの角材が降り抜かれた。
チユは類まれなる反射神経で避けようとする。
完璧にはいかなかった。
先端がやや触れ、弾き飛ばされてしまった。
畳通りをバウンドし、転がった。
骨が軋む。
激痛が体内を駆け巡った。
息が詰まり声が出せない。
血を吐いた。
ハルタの顔が過った。
逃げたいと思ったときや追い込まれたとき、いつもハルタの顔が浮かぶ。
彼の言葉を思い出す。
倒れないことが大事なんじゃない。
倒れても、そのたびに起き上がることが大事なんだ──。
チユはぐっと目を瞑ってから開いた。
瞳に闘志がみなぎっていた。
立ち上がり、山羊のゴムマスクから潜りたちを見渡した。
「みんな協力して。わたしに耳絶ちを当てて」
「耳絶ちを当てる?」
「合図を出す。もっかい奴に近づくから、耳絶ちを当ててわたしを加速させて」
潜りたちは頷いた。
だが正気を疑われているだろう。
やると決めたらやる。
“他人に期待するやつは、自分じゃ何もしない”──。
ハルタの言葉を思い出した。
チユは走り出した。
さっきよりも上手く走れない。
身体が重く、全身が痛む。
それでも走った。
また潜りの肩を利用し、チユは飛び上がった。
「やって!」
潜りたちへ合図を出した。
直後、周囲で潜りたちが楯蓋をバックハンドのように振った。
強風が吹いた。
風圧がチユの背中にのしかかる。
ヘルデが角材で潜りたちを弄んでいる。
そこへ目掛けて、チユはミサイルのように飛んでいった。
空を裂くと風が顔を殴りつけた。
肌が引きつり目は細まる。
唇の隙間から風が入り込んできて、口まわりがぶるぶる震えた。
息ができない。
一瞬にしてヘルデの背後へ到達した。
勢いが落ちず、そのまま通過しようとした最中、チユはヘルデの肩甲骨の辺りをしっかりと目視した。
口を開き、熱線を吐いた。
大通りを青白い光が包み込む。
それが晴れるとはっきり見えた。
ヘルデの背中から胸部にかけて、大きな穴が空いていた。
地上に歓声が巻き起こった。
そのときチユはまだ上空を舞っていた。
このまま落下すれば、地面に打ちつけられてしまう。
そうなれば今度こそ死ぬだろう。
そう思ったとき誰かが耳絶ちを当ててくれた。
風圧が包み込み、チユはふわふわと地上へ下りた。
むさくるしい潜りたちが集まってきて、チユを胴上げした。
身体が痛み、笑顔が引きつる。
すると歓声が妙に止んだ。
胴上げされる中、それが戸惑いに変わってゆくのをチユは感じた。
体に急な圧迫を感じた。
がくんと頭が揺れて、思考が真っ白になる。
チユは気がつくとヘルデの握り拳の中にいた。
胸に風穴の開いたヘルデの片腕が、こちらへ伸びていた。
「こいつ、まだ生きて……」
潜りたちが戦々恐々とする。
ミスをした。
ダメだ。
殺される。
恐ろしい圧迫感のなか、チユは自分の最後を悟った。
ふと、目が合った。
ヘルデの「一」の目だ。
じっとこちらを見ている。
まるで人と目を合わすようだった。
目の奥に熱がある気がした。
苦し紛れに、チユはそんなことを思った。
ヘルデの手から、そのうち彼女はするりと抜け落ちた。
呆気なかった。
周囲も呆気に取られていた。
地面に落ちて、尻餅をつく。
ヘルデの腕がチユの傍にどすんと落ちた。
「ひぃっ……」
彼女は歯を見せ引きつった。
しばらく動けなかった。
生気を失ったヘルデの目が、まだこちらを見ているようだった。
〇
解体した素材をリヤカーに積んでいたときだった。
胸に風穴の開いたヘルデの腰の傍に、何かがあった。
手に取った。
それはスノードームだった。ガラス玉だ。
もうひとつは──。
「本?」
表紙がクリーム色の本だった。厚みがある。
こんなところに本なんか落ちていただろうか。
皮を剥ぐのに夢中で気がつかなかった。
首からかけているタオルで、手についた血を拭った。
本を開き、ページをめくる。
赤い字で、文字がびっしり書かれていた。
「小説かなぁ……?」
暇なときにでも読んでみよう。
そんなことを思いながら、本とスノードームをリュックへしまった。
ヘルデの目がまだ開いている。
死んだ直後で時間が止まっている。
チユは凛々しい顔で数秒見つめると、手で両目を閉じてやった。
最後に首を切り落とし、皮の上に載せて重しにした。
他の潜りは山羊の首を隠そうとするが、チユは気にしない。
「残りはみんなで分けてね」
帰り際、潜りたちに声をかけた。
いつもすまねぇな、と煤塗れの男たちがありがたがった。
リヤカーのハンドルを逆手に持った。
畳通りを離れようとして、顔半分に日差しが当たる。
チユは眩しそうに、手で遮って見上げた。
思いついたようにリュックを開けた。
スノードームを取り出し、夕日に透かしてみた。
「なんだろう、これ……?」
ガラス玉の中に、山を逆さにしたような大地が浮かんでいた。
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