旅する飴。

飴。

草津温泉



 歩み入る者に やすらぎを

 去り行く人に しあわせを

 (草津町 町民憲章――魁夷書かいいしょ)





 普段こういうことを書くことは無いのだが、僕にとって印象に残るものがあったので、小説に記録しようと思う。


 高校二年の春休み、四人の同級生(男子)と一泊二日で草津へ行くことになった。温泉地や田舎は好き――と言うか、草津は僕が提案した場所だ。そのため当日が近づくにつれて段々と胸が躍っていった。


 三月二十七日、早朝六時半頃。夜行バスでひとっ飛びと行きたいところだが、夜行バスの席予約が取れなかったので、在来線で行くことになった。東京の上野駅から、六番ホームの高崎たかさき線に乗って、高崎駅へ向かう。それから吾妻あがづま線に乗り換えて、途中下車し、バスに乗って草津まで向かう。しかし、やはり旅行にハプニングは付き物だった。


 彼らのうちの一人が電車を乗り違えてしまった。それなら、一旦戻って次の電車に乗り直せば良いと思うかもしれない。しかし、吾妻線は乗り遅れてしまうと、次に来るのは二時間後になってしまうのだ。乗り遅れた彼は、別ルートから向かうことにしたらしく、僕らもそれに任せることにした。――後になって考えてみるとあまりにも人任せだ。


 午前九時頃になって、高崎駅に到着した。駅内にあった弁当屋でパンを購入して、駅前を散歩しながら朝食にありついた。――実は、お店の正面にパン屋があって、軽く歯を噛み締めたのだが、時間もあまりなかったので、ちゃんと悲しむ余裕などなかった。


 発車時刻になって吾妻線に乗り換えた。その途中、僕は久しぶりの田舎に創作意欲が増して、書きかけの小説に手をつけた。電車は何度も山を突き抜けて、そのたびに耳鳴りがした。車窓からの景色は田畑から山々へ変わり、高々しい木々はまだ枯れ果てて、背の低い草木は、周囲を流れる翠緑すいりょく色の河川と共に、彩りをもたらしていた。


 やがて、長野原草津口ながのはらくさつぐち駅の二駅先にある羽根尾はねお駅で降りた。――これは後から知ったのだが、もし行くなら、長野原草津口で降りることをおすすめする。僕らは開放感や美しい自然の景色に触れて、上機嫌で駅を出た。しかし、ふとある事に気がついて足を止める。


 を通っていないのだ。


 改札口や、駅員を探しても、誰一人おらず、なんの説明もない。購入済みの切符を回収する箱が設置されていたが、今から切符の買える駅まで往復となれば、四時間は掛かる。急遽きゅうきょ、僕らは貼り紙に書かれていた問い合わせ番号に連絡をして、事情を説明した。これから乗る予定のバスも、乗り遅れてしまえば一時間半は来ないので、それを逃すわけにはいかない。


 電話が繋がるまでに流れるAI音声に少し苛立ちながらも、何とか連絡が間に合って、帰り際に駅窓口で支払うということで無事話し終えた。その頃にはバスの到着予定時刻は過ぎていて、もしバスが遅れていなかったらと考えると、初めて遅延に感謝をした。


 バス内はサウナのように暑くて、その寒暖差で頭がぼーっとした。それなのに、窓の外では雪景色が広がっていて、真夏に真冬の音楽を聴いているような感覚に陥った。


 いくつもの困難を乗り越えて、ようやく草津に辿たどり着いた。「いきなり温泉地のど真ん中!」というわけではないのだが、徒歩で名所の湯畑に近づくにつれて、硫黄と水素が化合してできた硫化水素の匂いが香って、草津への到着を実感した。建物は歴史のあるものが多く、観光地の中でも、特に日本らしさを感じられる場所だろう。


 しばらく歩いて、僕らは湯畑に着いた。美しく輝く青緑のコケもそうだが、湯けむりによってかもし出される幻想的な景色に、思わず目を奪われた。それからというもの、温泉プリン、温泉饅頭まんじゅう、温泉卵、赤城鶏あかぎどりの焼き鳥などを食べ歩きながら、光泉こうせん寺、西の河原公園、白根しらね神社などの観光名所も見て回った。もちろん、どれも非常に良いものだったので、ぜひ体験してもらいたい。


 中でも印象に残ったのは、白根神社での出来事である。まず、参拝をした後、母へのお土産で御朱印を購入しようと売店に向かった。しかし、売店の窓は閉じていて、御朱印はすぐ近くにある「松美」という飲食店で買えるということだった。その店に到着すると、運悪く臨時休業日だったようで、入口の扉には「本日の朱印販売は終了しました」というものが貼られていた。僕は少しがっかりして、友人に電話をするために一度立ち止まった。そして、朝が早かったからか、疲労でその場にしゃがんだ。


 電話をかけていると、背後の扉からガラガラという音がして、店の人とおぼしき女性が話しかけてきた。


「御朱印ですか?」


 僕はしゃがんでいる姿を見られていた事に気づいて、穴があったら真っ先に入りたいという気分になったが、ぐっと取り繕って返事をした。


「はい、そうです」


「販売できますよ」


「ほんとですか!?」


 彼女は御朱印を売ってくれると言うのだ。その後、中に入れてもらい、玄関の窓口で御朱印を買った。それに加えて、小さな鶴の折り紙がいくつか入ったものをくれた。僕は日本のサービス精神というものを改めて感じて、心が温まった。


 それから、僕らは白根神社の手前を右に曲がって、山中の並木道を散歩した。ところどころ雪が残っていて、途中けもの道に逸れると、雪で真っ白になった公園に辿り着いた。童心に帰って踏み入ってみると、雪が靴の中まで侵入してきて、靴下にひんやりと染みていく。そこで僕は何を思ったのか、裸足になれば良いじゃないかと思い立つ。それからすぐに靴下を脱いで、雪の上を歩いてみると、火傷のような痛みが両足を襲った。さらに追い討ちをかけるように、雪に足を取られて、なかなか靴のある場所まで戻れなかった。――何をやっているのだろうか、本当に何をやっていたのだろうか。


 僕は自身の愚かさを痛感しながらも、足湯に入れば解決すると思い、地蔵源泉へ向かった。最初はお湯につけるのも痛かったが、徐々に温度に慣れていって、僕の両足はなんとか正気を取り戻した。


 その後は、一度宿へ行って、遅れた友人と合流し、その宿でチェスなどをしてくつろいだ。もう動けないと思っていたが、早めに夕食を食べた事で案外元気を取り戻して、僕らは夜の湯畑へと足を運んだ。


 湯畑はライトアップをされて、湯けむりが紫や青に光り、幻想的な景色がさらに際立っていた。全員集合したこともあり、記念写真を撮ろうと説得をしたが、先に肝試しのようなことをしようという話になった。偶然にも先程の白根神社には、おばけ灯篭とうろうという名の、武士がお化けと見間違えて刀で斬り付けるといった逸話が残される灯篭があるらしく、そこへ行くということだ。僕は小道の奥へ行くにつれて、暗闇に恐怖を覚えるようになった。草津といえども、少し中心地を外れると大自然が広がっている。気づけば、ホラー映画の樹海にでも入ったかのような感覚になっていた。


 別に心霊スポットではないのだが、その後も闇と苦闘を重ねて、何とか湯畑に戻ってきた。そしてその頃には、魂でも吸い取られたかのように精神を疲労してしまった。


 僕らは早速、有名な写真スポットへ行って、スマホのインカメ機能を使って、四人並んで写真を撮ろうとした。すると、二人の若く綺麗な女性に話しかけられて、その手を止める。


「よければ撮りますよ!」


 代わりに四人並んだ写真を撮ってくれるということだった。


「ありがとうございます! ぜひお願いします」


 僕はカメラアプリを開いたまま女性にスマホを託して、全員でポーズを取った。片方の女性は自身のスマホのライトで僕らを照らして、もう一方は、縦にしたり横にしたり、近づいたり引いたりと、とにかく熱心に写真を撮ってくれた。僕自身あまり誰かにお願いできる人ではないので、協力的な彼女らに大層感謝して、心が安らぎ、とても温かい気持ちになった。


 それからは調子が戻って、湯畑の景色や温泉を楽しむことができた。そして、宿に戻り、深夜まで桃鉄をして、寝不足のまま朝を迎えた。


 朝八時頃に目を覚まして、それからすぐに朝食を取った。今日は午後三時頃に草津を出発するので、それまでは再び観光だ。昨日遅れてしまった友人の行きたかった場所や、食べ物を中心に草津を回った。


 特に印象に残ったのは地蔵源泉の近くにあった百年石制作体験をする場所だ。石灰石にペンキを塗って、温泉に石をつけると絵の部分が浮かび上がるというものらしい。僕は美術部ということもあって、石を選ぶところからすでに気合いが入っていた。しかし、塗った部分が浮き上がるということは、塗らなかった部分は溶けて沈むわけだ。そのことに気づかず、絵のハイライトの部分に石の模様を採用してしまった。これは、今回の旅行史上一番の後悔である。


 そんなこんなで、昼食の時間になった。僕らが行ったのは「石臼挽蕎麦いしうすびきそば 三国家さんごくや」というお店だ。その名の通り石臼で挽いたそば粉を使っていて、「つけ汁そば」や「こんにゃくのお刺身」が有名だ。


 僕らがその店に並んでいると、段々と雨が降り始めた。僕はどちらとも言えないのだが、他三人が雨男ということで、結果は惨敗したようだ。しかし、誰も傘を持っていなかったので、三人は建物の入口の少し窪んだ部分で雨を防いだが、四人も入れる大きさではないし、人が出てくる場所なので、僕は仕方なく雨に打たれていた。すると、後ろに並んでいた家族連れの女性に話しかけられる。


「あの、よければこれ使ってください」


「いいんですか?」


「どうぞどうぞ」


「えぇ、ありがとうございます」


 僕は彼らから折り畳み傘を借りた。これで雨を防ぐことができる。幼い子供が二人もいて、そして、他人にまで気を配れる。そんな優しさを受けて、僕の心身が温まるのを感じた。将来、もし一緒になる人がいるのであれば、このような人が良いと、心からそう思った。余談はさておき、善意には善意を、悪意には悪意を、という僕の粗末な考えで、何かお返しをできないかと頭を回す。


 普段は飴玉を持ち歩いていて、大阪のおばちゃんのように、飴ちゃんをあげられる――ペンネームの由来がこれだ――のだが、今日はたまたま鞄に入っていなくて、悔しさで胸がいっぱいになった。だがその時、草津へ行こうと家を出発する直前に、母に移動中食べるお菓子を持って行けと、鞄にお菓子を入れていたことを思い出した。僕は急いでそれを探し出して、順番が来て店内へ入れるようになった時に、傘を返すのと一緒に未開封のミルクキャラメルを渡した。――丸ごと渡してしまったので、迷惑にならなかったかと心配で、夜も眠れない。


 その店では「つけ汁そば」を注文した。そばをすすったときの香りがとても良く、食感も固さが程良い。味はそば感がよく出ていて、つけ汁は少し濃いめで、様々な旨みの凝縮された出汁がよく効いていて、とても美味しかった。


 店を出る頃には、雨は止んでいて、日が差していた。そして、最後にお土産を買うために、僕らは湯畑へ戻った。各々で買いたいものを見て回ってから、ある店の入口で集合した。一人が「ぐんまサイダー」という瓶のサイダーを購入して飲んでいたのだが、移動するときに、それを鞄に仕舞しまった。そしてお察しの通り、サイダーが瓶から漏れてきて、鞄の中が水浸しならぬ、サイダー浸しになった。彼はモバ充が故障し、全体的にベトベトになっていた。……家に帰るまでが遠足という言葉の意味が、よく分かった気がした。


 その後も、記録をできるような出来事はたくさんあったのだが、ここではえて割愛する。今回の旅で得たものは思い出だけではなかった。そして、普通に観光をするだけでは体験できないような偶然が重なって、鮮明に記憶に残った。


 草津にいた人々は、現地の人だけではなく観光客までも心穏やかで、温泉に入るよりも温まるところが多くあった。どれも何がとは言わなかったが、身体の疲れなど忘れて、精神の疲れなど忘れて、雨の冷えなど忘れて。気がつけば、ここへ来る以前よりずっと回復して、幸福感すら覚えていた。


 この地は草津町民の目標でもある冒頭の詩が、こんなにも守られているのかと素直に関心した。そして、都会とは一風変わった性質が非常に面白い。


 日常に疲れきってしまったら、草津へ行ってみるのはどうだろうか。きっと「やすらぎ」が待っているはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

旅する飴。 飴。 @Candy_3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ