第38話(イリス視点)試してみます?
湯浴み中のメーロは頬が赤くなっていて、疲れているからか、目がとろんとしている。
凹凸のない身体つきをしているものの、さすがに裸で抱き着かれれば、彼女の控えめな膨らみを感じてしまう。
「キス、しますか? イリス様」
メーロの幼さは、よく分かっているつもりだ。だからメーロが自分を受け入れようとしてくれているのも、愛欲が理由ではないだろう。
イリスが望むことだから、断らないでいてくれるだけ。
それなのに、彼女の唇に触れてもいいのだろうか。
メーロのことは大好きだ。特別で、大切で、愛おしいと心の底から思う。それでもこの感情に、恋という名前をつけるべきかは分からない。
だけどメーロが、他の誰かとキスをするのは嫌。
身体を繋げることも、誰かと結婚するのも、他人の子供を産むのも、全部嫌。
「イリス様?」
「……メーロ、その、わたくしは……」
答えられずにいると、そうだ、とメーロは手を叩いた。
「試してみます?」
「え?」
「1回やってみて、もう1回やるかどうか考えてみてもいいんじゃないかなって。そう思ったんですけど……」
自信なさげな顔でメーロはそう言った。彼女の丸い瞳は真っ直ぐにイリスを見つめている。
「試すって……いいの?」
「イリス様が試したいなら、ですけど」
試してみれば、自分の気持ちが分かるかもしれない。けれど不確かな今の気持ちのまま、そんなことをしてもいいのだろうか。
どくん、どくんと心臓がうるさい。メーロの裸を見るのも恥ずかしくなってしまって、とっさに目を逸らす。
今まで、誰かと恋愛関係になったことは一度もない。親しくなる前にカテリーナによって交友関係を断たれるのが当たり前だったから。
黙り込んだイリスを心配したのか、メーロが顔を覗き込んでくる。無防備なその姿に、体温が上がった気がした。
キスをしたら、なにかが変わる?
変わらないかもしれない。だけど、変わってしまうかもしれない。
「……メーロ」
メーロもたぶん、まだ恋を知らない。だとすればきっと彼女は、恋を知れば変わってしまうかもしれない。
他人がメーロを変えるなんて、絶対に嫌だわ。
「目、閉じて」
メーロがそっと目を閉じる。メーロの身体は震えてもいないし、強張ってもいない。完全にリラックスしている。
イリスは深呼吸をして、そっとメーロの唇に自らの唇を重ねた。
小柄なメーロらしい、小さくて薄い唇。入浴中だからか、少しだけ湿っていて温かい。柔らかい唇を食べるように口を動かせば、メーロはんっ、と小さく息を漏らした。
それでも目を開けないのは、イリスの言葉を忠実に守っているからだろう。
メーロの閉じた口を開くように、そっと唇を舌でつつく。わずかに開いた隙間に、強引に舌をねじ込んでみた。
メーロって、口の中も小さいのね。舌は薄い気がする。
味わうように、呼吸が苦しくなるまでキスを続ける。ゆっくりと身体を離すと、顔を真っ赤にしたメーロと目が合った。
「……どうだった?」
キスの後にかける言葉としては、きっと正解じゃない気がする。
「なんか……不思議な感じというか……うーん……」
メーロの手が伸びてきて、そっとイリスの頬に触れた。
「もう1回、試してくれませんか? そうすれば、もうちょっとは上手く説明できる気がします」
返事の代わりに、再度唇を重ねる。既に慣れた温もりは心地よかった。
キスをしながら、そっとメーロを抱き寄せる。この役目を他の誰かがすることを想像するだけで、怒りで全身の血液が沸騰しそうになった。
キスも、それ以上のことも、メーロがわたくし以外の誰かとするなんて、やっぱり嫌だわ。
彼女をこうして風呂に入れてやるのも、温かい食事を用意してやるのも、抱き締めてキスをするのも、全部自分の役目だ。他の誰にも渡したくない。
「メーロ」
「……イリス様」
見つめ合って、三度目のキスをする。何回やれば、お試しなんかじゃなくなるのだろう。
温かい。
お湯も、メーロの唇も、メーロの身体も。
今まで、誰かとこんな風に抱き合う自分を想像したことはなかった。
だから考えたこともなかった。他人の温もりが、これほど愛おしく思えるなんて。
「イリス様、あの……ちょっと、まずいかもしれません」
「まずい?」
「私、のぼせちゃったかもしれなくて……」
「確かに、長く入り過ぎたわね」
メーロを抱え、浴槽を出る。すいません、と謝ったメーロの額にそっとキスをした。
この気持ちが恋なのかどうかはまだ分からない。でもなにかを恋と呼ぶなら、きっとこれほど相応しいものはないのだろう。
「メーロ。大好きよ」
たぶん、メーロが思っている以上に。
そして、わたくし自身が思っている以上に。
「私も、イリス様が大好きです」
なんだか苦しい。メーロが愛おしすぎて、少し怖くなる。
今までのわたくしはずっと、奪われてばかりの人生だった。どうせとられてしまうから、それほどなにかに執着することだってなかった。
でもだめだ。どうしてもメーロのことは失いたくない。
メーロのことだけは、絶対に諦めたくない。
メーロに頼ってるだけじゃだめだわ。
未来のために、わたくしだってちゃんと動かないと。
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