記憶を書くという反抗

「履歴がないなら、私が残す。

書類じゃない、“思い出”として」


梨絵がPCの前で呟いたその夜、社内ネットワークに異変が起きた。


通知件数:187

内容はいずれも「未登録IDによる履歴更新通知」。

全社員の端末に、何らかの“記憶ベースのファイル”が一斉に現れはじめた。


第一報を受けたのは、人事部の記録係管理チームだった。


件名:記録干渉

本文:記録されていない記憶がネットワークに流入しています。

差出元:不明(r.sawari?)


梨絵の名は“疑問符付き”で表示されていた。

すでに削除候補者としてブラックリストに入っていたため、

存在認識が曖昧化されていたのだ。


梨絵はそのころ、3人目の“記憶による復元”を進めていた。


【伊藤沙希】


声はやや高めで、語尾を伸ばす癖があった。


昼休みにいつも窓辺で日記を書いていた。


帰る時、「また明日」ではなく「また“ここ”で」と言っていた。


梨絵は、その口癖が“明日が保証されていない人間”の言葉に聞こえていた。


「記録に残らないから、“ここ”での再会しか信じられなかったんだ……」


復元されたファイルを共有ドライブにアップロードすると、

また一つ、ネットワーク上に“名前が戻る”感覚が広がっていく。


不思議なことに、その夜から社内の複数の部署で“記憶の再接続”が起き始めた。


新人が突然「この席、以前伊藤さんが使ってましたよね」と呟く。


管理者が削除済みのログに対して「なんでこれ残ってるんだ?」と漏らす。


清掃員が「このロッカー、鍵が合うんですよ。誰のだったか覚えてないけど」と話す。


梨絵は気づいた。


「これは、“記録の復元”じゃない。

“記憶の解凍”なんだ」


消されたと思っていた存在は、完全には消えていなかった。

ほんのわずかな言葉、仕草、匂い、視線──

“書かれなかった部分”にこそ、彼らは宿っていた。


その夜、梨絵のPCに一通のファイルが届く。


差出人:unknown_writer

件名:確認依頼

添付ファイル:recovery_log_draft_kusaka_final


本文はなかった。

ただそのファイルの作成者名には、こう記されていた。


Editor: Kusaka_Naoya


「……久坂……?」


ファイルを開いた瞬間、彼の声が再生された。


「誰かが“俺を思い出してくれた”時点で、

俺はまだ、“書かれていないページ”に生きてる。

梨絵、お前は俺を、“もう一度この世界に置いた”んだよ」

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