削除予約
画面の端に、一瞬だけ見慣れない通知が浮かんだ。
【削除申請ログに変更が加えられました】
社内のデバッグツールが拾った、通常は“管理者権限”でしか見えないはずの内部フラグだった。
梨絵は直感した。
それは“自分”に関するものだと。
再起動もログオフもせず、ただ静かに、サーバーのアクセスログへと潜る。
そして見つけた。
非表示のディレクトリの中に、1つだけ「日付と英字記号だけ」で命名されたファイル。
【240611_R_SAW】
開いたとき、梨絵は呼吸を忘れた。
【削除予約:沢渡 梨絵】
実行日:2024年6月11日 02:00 JST
処理方式:soft_clear → template_inject
削除理由:記録への過度な執着/感情記憶強度/干渉対象との接触(久坂直哉)
“削除”と書かれていても、それは物理的な“死”ではない。
だが、それ以上に冷たい処理だった。
人格を、履歴を、記憶を**“編集可能な空白”に変換する**作業。
それによって、梨絵という存在は「書き換え可能な素体」となる。
「……あと、6日」
それが彼女に残された“記録可能な時間”。
机の上に、久坂のメモが残っていた。
「自分の人生に“編集権”を持つのは誰か?
それを手放すと、俺たちは“存在”じゃなくなる」
梨絵は立ち上がった。
恐怖はある。
けれど、確信もある。
「このまま黙って消えるくらいなら、
“騒がしい亡霊”になってやる」
彼女は、ログをコピーし、削除予約ファイルを複製した。
そして、それを社内ネットワークの一番人目につきやすい**“全社員掲示板”の草案フォルダ**にドラッグ&ドロップした。
警告は出なかった。
誰もそれをブロックしようとはしなかった。
──あるいは、既に誰も“彼女を見ていない”のかもしれない。
夜のオフィスを出る直前、彼女のスマホに1件のメッセージが届いた。
差出人不明、本文はたった一行。
「消される前に、“名前を叫べ”」
梨絵はスマホを見つめ、こう呟いた。
「……だったら私は、叫ぶどころか、“書き残す”わ」
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