消えたフロア
「その階は、設計図に載っていないんです」
梨絵が訪れたのは、久坂がかつて働いていた本社ビルの管理室だった。
彼の履歴が削除されたはずのオフィス。
しかし、梨絵の持つ“旧システムバックアップ”には、ある不自然な情報が残っていた。
フロア“4.5F”。
「設計上は4階と5階の間に“機械室”がありますが、立ち入り記録も監視映像も何もありません」
「けど、電源は入ってる。
しかも──電波が微弱に出てるんですよね」
管理担当は言葉を濁した。
「そこに何があるか、私たちは知りません。
ただ……以前、その階に“入った”という人物は、
なぜか全員、退職してるんです」
梨絵は頷き、言った。
「じゃあ、私が入ります」
階段は4階で終わっていた。
だが、非常階段の踊り場に、小さな“鍵のない扉”があった。
「倉庫」とだけラベルが貼られている。
梨絵は手をかける。
──扉は、音もなく開いた。
中は、ほこりっぽい空気に満ちていた。
暗い。だが、かすかに光る電源ランプが数点、室内に明滅していた。
床には古びたオフィスチェアが複数転がっている。
ホワイトボード、倒れたラック、散乱した紙片。
それはまるで、“誰かがここで働いていた”痕跡だった。
だが、壁には社員名札が並んでいた。
すべてが、“久坂が記した削除対象者たち”と一致していた。
青山徹、伊藤沙希、原田誠……
そして──岡村直人。
梨絵は奥のデスクで、起動状態のまま放置されたノートPCを見つけた。
画面にはファイルが一つ。
【_draft_autogen_rie_sawari】
彼女の“新規エントリー用の雛形”だった。
そこに記された情報は、明らかに彼女自身ではない。
学歴:文科省外郭団体経由
性格傾向:穏やか/記録重視/指示順守
記憶ログ:書き換え可能
彼女は震えながらマウスを操作し、別のフォルダを開いた。
【template_folder/ghost_instances】
そこには複数の“名前テンプレート”が保管されていた。
okmr.n_v4
hrd.m_v3
kusaka.n_v0
「“v0”……久坂は、最初の“書かれた存在”……?」
梨絵は気づく。
これは、“人間の残滓”から再構成された“人格データ”の倉庫だ。
そして、この場所はその“配布前テストルーム”。
──人間が“配属される”のではない。
──人格が、“挿入されている”。
部屋の隅に、誰かが座っていた。
ぼんやりと光るモニターの前で、背中を丸め、微動だにしない影。
梨絵はおそるおそる近づく。
その人物の背に、小さく貼られた社員証が目に入る。
Kusaka, Naoya
彼の姿は、静止画のように動かなかった。
だがその足元の床に、書きかけのメモが落ちていた。
「存在を記録するとは、“今、誰かとここにいる”ということだ」
梨絵はその言葉を、心に刻んだ。
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