ログの中の声
午前2時。
梨絵の部屋には、LEDの明かりだけが静かに灯っていた。
久坂のUSBには、もう一つフォルダがあった。
【lost_vox_logs】
フォルダの中には、日付だけの名前がついた音声ファイルが複数入っていた。
ファイル形式は.m4a。
編集された形跡はなく、ただの“残された声”だった。
梨絵は一番古い日付のファイルを再生した。
「……覚えておいてくれ。
名前は、青山。青山徹。
記録はないだろうけど、ちゃんと生きてた。
母親の介護をしてた。
コンビニで毎朝、同じおにぎりを買ってた。
毎日それを食べながら、昼まで社内チャットの返信を考えてた。」
声は少し掠れていたが、落ち着いた男性のものだった。
「でも、急に履歴が空になってね。
同僚のSlackにも、メールにも、俺の名前がなかった。
上司に聞いたら、“配属された記憶がない”って言われて。
最後は、自分のことすら信じられなくなった。」
声が震えた。
「だからせめて、これだけは残したかった。
誰かが、どこかで聞いてくれるかもしれないと思って。」
ファイルは、パチンという録音停止の音で終わっていた。
次のファイルを開いた。
若い女性の声だった。
「私、事務アシスタントでした。
目立たないけど、ちゃんと働いてたんです。
でも、ある朝から“誰も挨拶してくれなくなった”。
廊下でぶつかっても、“空気に当たったような顔”をされた。
ロッカーを開けたら、名前札が剥がされてて。」
彼女は泣いていた。
「最後に誰かの記憶に残りたくて……USBにこの声を録ったの。
自分が“いた”ってこと、証明したくて。」
梨絵はヘッドホンを外した。
自分の心臓が、鼓動ではなく“誰かの痛み”で打っている気がした。
久坂のメモにはこう書かれていた。
「このログは、記録されなかった人間の“声”。
彼らは書かれなかったからこそ、書き換えられなかった。
けれど、誰かが聞かなければ、やがて本当に消える。」
梨絵は決意する。
「私は聞く。
消された者たちの名前を、記憶に刻む。
書かれなかった存在の“読者”になる。」
そして、彼女は久坂のログを最後まで再生した。
「梨絵、もしこれを聞いてるなら──
次に“削除候補”になったとき、
自分の名前を誰かに語ってくれ。
それだけで、人間はまだ“人間”でいられる。」
久坂の声が止まった。
部屋には、静寂だけが残った。
でもその静けさは、“誰かがいた証”のようにも感じられた。
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