名前のない記録

名前のない記録

翌朝、久坂はスマホの通知に違和感を覚えた。


目覚ましが鳴るはずの時刻。

その代わりに届いたのは、Googleカレンダーの謎の招待。


【イベント】全社会議/9:00-10:00

出席者:岡村直人(ホスト)


震える指先でアプリを開くと、岡村のアイコンは久坂と同じ顔だった。

いや──正確には、久坂より少しだけ若い自分だった。


出社後、オフィスの雰囲気が変わっていた。

社員たちは一様に笑顔で、やけに礼儀正しい。

声のトーンも穏やかで、雑談も控えめ。


まるで、誰かに見られているのを全員が知っているような空気だった。


コピー機の前で、総務の女性に話しかけられた。


「久坂さん……岡村さんに報告、されましたか?」


「……誰?」


女性の笑みが、すっと消える。


「……失礼しました。忘れてください。」


そう言い残し、彼女はまるで間違った言葉を口にした罪人のように去っていった。


PCを立ち上げ、共有ドライブにアクセスする。

自分が管理するプロジェクトフォルダが一つ増えていた。


【project_ghost_okmr】

──作成者:Kusaka Naoya

──更新日時:深夜3:14


久坂はその時間、眠っていたはずだ。


フォルダを開くと、中にはPDFが1つだけ入っていた。


「在籍証明書」

発行者:総務部

対象者:岡村直人

発行日:本日


PDFを開いた瞬間、画面が一瞬フラッシュしたように感じた。

いや、光っていたのは自分の視界の内側だ。


数秒間、文字が読めなくなり、再び視界が戻ったとき──

自分の名前がどこにも見当たらなかった。


ログインアカウントはokamura.n@に変わっていた。

社員証を確認しようとしたが、首から下げていたカードホルダーには空白のカードが収まっていた。


名前も、顔写真も、IDも、消えていた。


その晩、久坂は再び副業の原稿に向かっていた。

だが、PCは勝手に文章を書いていた。


「私は、誰の存在も証明できなかった。

だから、代わりに消すことにした。」


自分の手は、キーボードの上に置かれていない。

しかし、カーソルは、何かの意志に従って動き続けている。


「記録がなければ、存在しない。

証明されなければ、人間ではない。」


ふと気づくと、久坂の指先が、知らぬうちに震えていた。


彼は画面を閉じた。

そのとき、モニターに映った自分の顔が──


目のない顔に見えた。

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