Someone who understands me

笑子

Someone who understands me

「そう」

 かさついた声が出た。もはや声にすらなっていないようなそれは、しかしはっきりと彼には聞こえたようだった。うん、となんとも言えない返事が返ってくる。

 棒立ちのまま、春先にしては冷えた自分の足を見つめる。ペディキュアなんて小洒落たものなど無い私の爪は、紫がかって不健康な色をしている。

 私はそれ以上何も言わなかったし、彼にももう何も言うことはなかった。あるとするならば祝いの言葉なのだろうが、そんなものを彼が望んでいるとも思えなかった。私たちは互いのことを一番理解していた。

 付けっぱなしのテレビのニュース番組では、受賞作家のペンネームと受賞作の作品名が流れてくる。間違いなく彼の名前だが、画面を観るその横顔は、赤の他人の作品を見ているかのようだった。未だ夢の中のような気分なのだろう。

 来る日も来る日も文字を綴り続けた彼の努力を、すぐ側で見ていた。学生の時から、二十も半ばに至るまでずっと。彼の才能を信じていたし、いつかこの日が来ることも分かっていた。真っ先に報告してくれと頼んだのも私だ。彼は律儀にも約束を守ってくれた。

 少し視線を上げれば、春の麗らかな日差しが部屋を照らす。白いソファと白いラグ、ガラスのローテーブルに光が反射して目がチカチカした。

 このテーブルでも彼は原稿用紙と睨み合いをしていた。自分の家より捗るだとかなんだとか言って、結局後ろに置いてあるソファで寝ているのを何度も目にした。ブランケットをかけて、こっそりと素直な黒い髪を撫でた。コーヒーを淹れてやれば大袈裟に喜んでくれた。選ばれなかったその度に、悔しさを閃きに変える彼を尊敬した。学生だった時は、一緒に本屋へ行って、部屋へ帰ってきては読み漁って、お互いに感想を言い合ったりした。


 次のニュースです。アナウンサーが言うのを横目に、テレビの電源を落とした。

 今日初めて目が合う。黒い瞳は揺れていた。何を今更迷うことがあるというのだろうか。

「私、あなたの一番の理解者なのよ。 知らなかった?」

 すぐさま抱き締められたその熱に、はは、と思わず笑った。

 衣擦れの音と笑い声だけが響く湿度のない部屋で、私たちはささやかな愛を囁き続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Someone who understands me 笑子 @ren1031

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ