#2 「魔法少女になるということ」

「──教育係……? 僕が、ですか……?」

「そ、もちろん給料は弾むし、これはあなたの能力を鑑みてでもあるの。どうかしら」


まさに混乱の最中にあった遥の脳内なぞお構いなし、マキは普段と変わらない調子でそう言い放つ。多分、悪意はない。本当に何も知らないだけなのだろう。

それでも、最大の悩みの種──衿華はちっとも待ってはくれなかった。


「それでは、よろしくお願いします……えーと」


制服のスカートを軽く持ち上げもう一度お辞儀し──それから、少し困ったように眉をひそめると、


「……なんて、お呼びすれば?」


これまたひどく丁寧な口調で衿華は聞いてくる。


「あー、まだ紹介が中途半端だったわよね。この子は──」

「”ヴィエルジュブラン”──魔法少女です。こちらこそ、よろしくお願いします」


……言ってしまった、と。後悔した時には既に遅かった。

けれど、無理矢理にでも割り込まなければ、次の瞬間にはマキの口から本名が飛び出ていたことだろう。

その可能性に行き当たったからこそ、名乗ってしまった。

学校の先輩に、魔法少女としての自分の名前を。


「……なるほど。そうお呼びすれば良いのですね。承知しました」


外の人間だと思っていた衿華が魔法少女としての自分の名前を呼ぶことに多少の抵抗を覚えつつ、それでも、想像しうる最悪の事態は避けられたらしい。


「おーっ! 乗り気のブランっ! これはレアだよっ!」

「ん、やる気バッチリじゃない。少し意外だけど、それなら安心ね」


ただ、そうは言っても。おー、とばかりに拍手する杏に、逃してくれないマキ──あまりにも外野は地雷だらけ。だからと言って、今更退くことができただろうか。


「それでは衿華さん。早速──エスコート、させてください」


始めてしまったら”魔法少女”としてやり通すべき。

一年と少しのバイト歴の中で遥はそう学んでしまっていた。


「オマケにブランお得意のエスコートっ! 大体の子はこれでイチコロだもんね。さすが──」

「杏先輩、今は大丈夫です。そういうの」


取り繕った声音、言葉、魔法少女としての精一杯だとはいえ、はっきり言って気恥ずかしいことには違いないけれど。

こうしていれば、真白遥として衿華に向き合わなくてもいいから。

まだ少しだけ、マシな気分でいられた。


「……ええ、是非」


けれど、沸いたギャラリーとは対照的に衿華は表情ひとつ変えることなく。

ただじっと上目遣いで見つめてくる。正直品定めされているような──そんな居心地の悪さに思わず遥は目を逸らしてしまう。


「改めて、よろしくお願いいたします」


一応の握手のつもりで遥が差し出した手は無視されたまま、再度の礼と共に衿華の瞳は遥を捉えたまま幾度か瞬かれる。

濡れたように艶めく虹彩、その奥に湛えられた真っ直ぐすぎる光。

仏頂面──全く変わらない表情ゆえか、いつにも増して鋭く思える視線を前に思わず遥は目を逸らしてしまった。


かくして、まともに目すら合わせず。ともすれば、自己紹介すらちっとも進んでおらず。そんな状況下で、遥は先輩兼教育係になってしまった。


「ブラン……


──自身の、先輩にとっての。


◇ ◇ ◇


魔法少女になるということは、ハードである。

魔法少女たちが開くお茶会の中で乱入してきた怪物の浄化──要するに給仕。

『ヴィエルジュピリオド』がコンセプトカフェである以上、その過程には複雑な段取りが多い。給仕の中にパフォーマンスも組み込まれているからである。


ある程度は個々に任されているものの、床に魔法陣を投影するタイミングの調整のために、詠唱や決めポーズには何秒要する必要がある、とか。他の魔法少女のパフォーマンスを遮らないためにあまりヒールで音を鳴らしすぎるな、とか。

マニュアルによって厳密に定められていることだって少なくはない。


「──輝く月よ、小夜に光の雨を」


ただ、それだけにあっさりと衿華はマニュアル通りを体現してみせた。


「”ブラン・セレナーデ”」


遥と同じセリフ、取り敢えず制服のままでいいから今日は練習を──と相成ったわけだったものの、二回目の給仕にしてタイミングは完璧。注文も取り違えず、ステッキにセットするケチャップとホワイトソースを間違えるなんて典型的なミスもしない。

遥と全く同じキャラクターで給仕をやるというわけには行かないにせよ、これなら勝手が変わってもすぐに合わせてしまうだろう。


「……これ、僕、要りますか?」


あまりに理想的すぎる魔法少女像に、思わず出てしまった素を隠すこともせず遥はそう漏らしてしまった。


「──確かに、あなたが教えることはほとんどないかも。所作も手際もすぐに覚えちゃって。衿華さんは優秀みたいだし」

「じゃあ、教育係として僕がずっと付いている必要も無さそうですね」

「……案外、そういうワケにも行かないのよ」


それなら、こんなに衿華の近くにいなくても良いかもしれない。

否応なしに期待がこもってしまう遥の呟きにマキは苦笑する。


「むしろ、ああいうほど、逆に必要なのよ。教育係がね」


なぜかと聞き返そうとして。その時にはもうマキは衿華の方に行ってしまっていた。


「いかが、でしょうか?」

「ええ、完璧よ。それじゃあ、今日は最後に衣装合わせといきましょうか。ついでに衿華さん。あなたの名前も決めないといけないしね」

「承知しました。それと、ブラン先輩も──私の給仕、いかがでしたか?」


不意打ちで自分に振られた質問に、思わず身が縮こまりそうになる。


「ええ、とても──理想的だったと思います」


そんな言葉で遥は濁した。

相変わらずの衿華の仏頂面に、どこか不安を覚えながら。


◇ ◇ ◇


「新品の衣装だけど、サイズは合ってるかしら?」

「──ええ。問題ありません」


胸元に留まった漆黒のリボン、それとは対照的な純白のロリータ。

襟や袖を装飾するフリルまで白一色なせいか一見すると清楚にも思えたけれど、スカートは随分と短い。制服がよく似合う衿華が着ていると考えたらかなり大胆だ。

そのスカート丈に慣れないからか、それとも、スカートを膨らませるパニエにあまり慣れていなかったからか、手できゅっと裾のあたりを抑えながら衿華は頷いた。


「うん。なら、あとは名前だけね。えーっと、あなたは黒担当になってもらうつもりだから」

「……黒、ですか?」

「そう。決め手はあなたの髪、そこまで伸ばしてるのも見事なものよ。だから、武器にしていくべきね。──『ヴィエルジュノワール』。それで行きましょう」


衿華を指し、あっさりとマキはその名前を決めてしまう。


「”ノワール”……ええ。誠心誠意、努めさせていただきます」


そうして自分の”魔法少女としての名前”が決まったというのに、特段表情を変えることなく、相変わらずの仏頂面。

衿華は淡々と頷くのみだった。


「大体こんなものかしら。あとは……そうね。バイト中すぐ聞きたいことがあったら、教育係に。そういう形でいい?」


一瞬、マキの口から教育係という単語が漏れてドキリとしたものの、遥には、自分が衿華に教えられることなんてほとんどないだろうと思われた。


「承知しました。それでは……ブラン先輩、苦労をおかけするかもしれませんが、明日からまた、よろしくお願いいたします」


もしくは、そうやって納得することで不安を押し殺したかっただけなのかもしれない。


「……申し訳、ありませんでした」


次の日、遥が教育係に任命されてから二日目のバイト終わりに。

衣装にこびりついたケチャップのくすみと、コップの破片で切ってしまった自身の指先を見つめながら、衿華は俯いていた。


魔法少女にということ。


気楽な想定からたった一日で、遥はその難しさを思い知った。

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