#1 「魔法少女の教育係」

学校。先輩と狭い部屋に二人きり。

そういってしまえば、甘いシチュエーションがちらつくけれど。


「真白くん。ここの部分、規則についての補足が足りていません。もう少し細かい取り決めがあったでしょう?」

「……すみません。すぐに書き足します」


それにしては、部屋を包む閉塞感はあまりにも強すぎた。


生徒会役員による週に一度の定例会。

それが終わった後であるにもかかわらず、遥は書記として生徒会室に拘束されていた。曰く、議事録に漏れがあったという。

ノートパソコンが二つ隣り合わせ、飛んでくるのは敬語による叱責。

驚くほどいつも通りに、この部屋の長──衿華は遥の隣で別の作業を進めている。


そうして、互いの作業ペースに差が生まれているのは能力だとか、そんなもののせいなんかじゃなくて──。


「私の作業はあなたと関係ないでしょう。それよりも自分の作業に専念してください」

「……っ、すみません」


──今日はずっと、衿華の方に視線が向いてしまう。


「今度はどうしたのですか?」

「……いえ、タイピング、速いなって」

「別に、普段通りです。十分、あなたなら見慣れているはずですよ」


そうして遥が向けていた視線を一蹴してしまうと、衿華は再び作業に戻る。

きわめていつも通り。おかたい生徒会長としての、遥の知る衿華そのものだった。


それでも、確かだったのだ。

昨日、遥のバイト先に彼女が来店したという事実は。


◇ ◇ ◇


「ねえねえ、遥くん。今日、最後の方に来てたお客さまのこと、覚えてる?」

「……ええ、制服で来店してた方……ですよね?」


片手にはモップ、服装はラフなジャージ姿、髪だけがピンクのままなのはウィッグ関係なしに染めているからなのだろう。

桃瀬ももせ きょう”──彼女はいわゆるバイト先の先輩で。


「ふふんっ」


『ヴィエルジュ』でのバイト終わり、帰ろうとしていた遥の前に立ちはだかると、早速絡んできた。


「そうそう。遥くん、あの人が来店した時一瞬だけ固まってたじゃない? もしかして、知り合いだったりするのかなーって」

「別に、そういうわけじゃ……ただ、知り合いと似てたってだけで」

「そうかな? 古今東西、あらゆる魔法少女の立ち振る舞いを焼き付けてきたあたしの目を誤魔化そうとしたって無駄だぞ〜?」


否定はしたものの、掃除の最中で話し相手に飢えているバイトの先輩というのは思いの外厄介。モップの柄で頬をつつきながらも、杏は不敵な笑みを浮かべる。


「こら、杏。あなたはシフト中でしょ? 給料削るわよ?」

「うげっ、マキさんっ!?」


これは万事休すか──と思われたものの。

その瞬間に、厨房の方から援護射撃が飛んできた。


「……っ、今日のところは見逃しといてあげるけど、次があるからっ!」

「あなたの笑顔、今マイナス点よ。それに悪役じゃあるまいし、バイト中はそういう台詞禁止。どうして自分がピンクやれてるかわかってるんでしょうね?」


腕組みしてぬっと出てきた人影。

店長兼厨房担当を務める女性──”マキ”に注意されて、早くも杏は萎縮気味だった。


「真白くん、後は私が何とかしとくから先に帰ってていいわよ」

「……あ、はい。えっと……お疲れ様です」


あれよあれよという間に事態は収拾していく。

バイト先で問題が起きて、バイト先で解決する。

遥の周囲を取り囲むコミュニティーというのは得てしてそんな風に形成されていたはずだったというのに。


「……ほんとに、何だったんだろ」


外に出る。頬を撫でる夜風は多少のタバコ臭さとコンクリ臭さを孕んでいて、それでもビルの隙間を通り抜けてきたからか確かに冷たい。

ほんの少し安心感を覚える夜の匂いに息を吐いたとて、遥の頭から離れないものがあった。


本当に衿華が、『ヴィエルジュ』にやってきたのかということ。

おかたい彼女がここに来る、というのはどうにもイメージが浮かばない。

罰ゲームだとか、それこそ店を間違えただとか、可能性はいくらかある。

その上、確実に本人だと証明する手段だってないのだから──。


◇ ◇ ◇


——と。昨日の出来事を回想しながらも、気づけば作業は終わっていた。


「……ええ、こんなものでしょう。お疲れ様でした」


確認したのち一言声をかけてきたのみ、衿華は作業を続けている。帰り支度に入った遥のことはもう視界に入っていないようだった。

おおよそ二時間ほど顔を突き合わせたけれど、やはり昨日来た相手が衿華だったという確証は得られなかった。

やはり人違いだったのだろうか。


「それでは、失礼します」


ドアに手をかける。

その時、僅かに衿華の瞳は遥の方を向いた。

けれど、それもほんの少しの間だけだった。特に声をかけるでもなく、すぐに作業の方へ戻ってしまう。


——何だったんだろう。


そんな疑問が過ぎるけれど、気になることが他にもある中ではそんな一瞬の出来事なんてすぐにどこかへ行ってしまった。

カツン、カツン、と。革靴が床を打つ音がしばらく廊下にこだました。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「こんにちは、遥くん」


暫定衿華の初来店から三日ぶりのバイトにて。

遥が支度をしている時、真っ先に話しかけてきたのは杏だった。

ほつれた髪に、首筋に滲んだ汗。今日も早い時間からバイトをしていたのだろう。

彼女がどのようなシフトの入れ方をしているのか──それは、遥にとって気になることではあったものの、彼女ははぐらかすばかりで中々答えてはくれなかった。


「そういえばね、この間の子、ここ最近毎日来てるんだ」

「この間のって……制服の方ですよね? それが毎日……ですか……?」

「うん、大体三回ぐらいかな。一昨日は遅め、昨日は早めの時間だったよ」


杏の言う通り、三回と言えば確かに初来店から毎日来ていることになる。

ともすれば、店を間違えたという線は消えてしまった。


「それでね、少し変わった子で……そもそも学校帰りの女子高校生なんて、この店じゃ珍しいじゃない?」

「……確かに。その人、今日も来そうですか?」

「そうそう、本題はそのことなんだけどね……って、あ、マキさん」


杏がそこまで口にした時、ちょうどロッカールームに入ってきたのはマキだった。


「今日から新しいバイトの子が入るから二人にも顔を合わせてもらおうと思って。ここ、入っていいわよ」


新しいバイトが入ってきた時の、少し上機嫌なマキそのもの。

そして、それに次いで入ってきた相手。


「”黒咲衿華”です。本日からよろしくお願いします」


制服に身を包んだ少女──いや、少女とは言うまい。

彼女は今、自ら名乗った。三日前から悶々と燻ってた問いにあっさりと答えが出てしまった。


「……え」


既にウィッグも装着してある。

メイクも済ませ、衣装に着替えた。今の遥は魔法少女衣装だ。

反応を見るに、ブランの正体が遥であることには気づいていないだろう。

まだ、希望は残されている。


「それで、あなたには衿華ちゃんの教育係をしてもらおうと思うの」


──はずだったのに、それすらも。


「お手数をかけてしまいますが、よろしくお願いします」


マキが指した相手。

そして、衿華が頭を下げた相手。


それは、紛れもなく遥だった。

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