雪中にて

タマハガネ

雪中にて

 雪でじっとりと湿った落葉が分厚く覆い被さる土を踏みしめながら、当てもなく山林を進んでいた。林冠に陽光は阻まれて辺りは鬱蒼としている。上着の表皮のポリエステルが忙しく擦れる音。時折枝が踏まれて折れる乾いた音と、私の上がった息遣い。辺りはそれ以外に音もなく不気味に静まり返っている。行けども行けども変わらない景色に私は疲弊していた。泥を纏ってずっしりと重たくなった厚底のブーツに苛立つ余裕はとうになく、いつまで歩けばいいのだろうかと暗鬱とした気持ちを抱えながら林間を彷徨っていた。

(私の慢心が招いたこととはいえ、どうしてこのような目に遭わねばならないのか)

 そんな思いが幾度去来したか分からないが、その何度目かの「どうして」がよぎったそのとき、ふと前方に細い車道が横切っているのを見留めた。林の木々の切れ目から車両一台通るのがやっとの幅の車道が見えるではないか。

矢も盾もたまらず私は我を忘れて駆け出した。ぬかるんだ地面と泥のこびりついた靴底で碌に走れないのにも関わらず、私は走ることを覚えたばかりの子供のように懸命に駆けた。一段高くなっている林の地面から、下の道路へと迷わずに飛び降りる。雪に湿った黒々としたアスファルトを踏んで足裏に伝わってくる硬質な感触を受け取ったとき、私はじいんとした感慨に打たれた。やっとのことで私は山中を抜け出したのである。左右を見回すと、右手側は緩い上り坂となって山間へとうねりながら緩やかに続き、左手側をかなり下っていった先には、一面を雪で覆われた小さな農地が広がっているようだった。私は道を下ってゆくことを決めた。


 私がいわゆるトレッキングを始めたのは秋頃のことだった。座り仕事に従事していることもあり、自身の運動不足が気になり始めたのを機に、ふと週末に電車で数駅のところにある山に繰り出したのがきっかけである。学生のころから運動もスポーツも好かず、歩くのも億劫でしょうがない気質であったから、自分でもなぜ山に登ってみようと思い立ったのかは知れない。大方漫然と休日を空費するのが嫌になったというところだろう。そんな心持ちであったから、行きの電車内では車窓を流れるのどかな景色をぼうっと見ながら、(山に登ると言ったってそれが何になるというのか。わざわざ休日を賭してまで山に行くなんていうのは失敗だったかもしれない)と悶々と考えを巡らせていた。しかしいざ山中を歩いてみると、そんな心境が緩やかに変容していくのを感じた。周囲を豊かな自然に囲まれ、都市生活の喧噪とコンテンツ消費への隷属から離れると、驚くほど心が安らぐのを実感したのだ。ぽかぽかと温かな陽気と清らかな小鳥のさえずり。森林に漂う冷涼な空気。穏やかで優しげな環境の中で、とりとめもない思索にふけりながら黙々と歩みを進めていくのが快いと思えた。仕事や家事のことを考えずにゆったりと過ぎていく時間を揺蕩うような心地の虜になったのだった。

それからは月に二度ほどの頻度で近辺の山に登るようになった。やがて靴を買い、帽子を買い、アウターを買いとしているうちに装備は徐々に本格的になっていった。いつしか登山を行うことが私の生活の一部となっていた。

 そんな私の情熱は年が明けて少し経っても冷めやらず、私は足しげく山へと向かった。そんな中で季節は真冬へと向かい、寒さは厳しいものとなる。山中には雪がちらつくようになり、いつしか積雪を伴うようになった。それでも山に行くことを「新たな挑戦」ととらえてしまったこと。それが私の失策だったに違いない。


(足をくじいたり腕が折れたりしなかったことは今となっては幸運なことだったな)

 振り返ってみればそう思われた。雪が溶けてぬかるんだ山道から足を滑らしたときの嫌に明瞭な意識とスローモーな時の流れがありありと思い出される。そしてその瞬間が生生しく思い出せてしまう。そしてその場面を頭の中でなぞる度に、寒さのためではない悪寒が押し寄せてくるのを感じざるを得なかった。

 今しがた歩いている車道は雪が解けて黒々とした色をしている。溶けているとは言うものの、シャーベット状になった水分をふんだんに含んだ雪が路面にはまだ残っており、足で踏むとびちゃびちゃと音を立てる。私はそこを小さく遅々とした歩調で歩いていた。細かな傷が表面にいくつもついた私の腕時計は、私が滑落してから実に三時間ほどの時間が経過していることを示す。何度も何度も休憩を挟んだり、自分の身に降り注いだ不幸を呪ったりしながらもそれだけの時間歩き続けてきた疲労は私の両脚を襲っていた。私の自重と背負った荷物の質量を受け止め続けた足首は悲鳴を上げ、土踏まずは汗みどろになりながら今にも割れそうにすすり泣いていた。大腿も疲労に喘ぎ、腓腹部は膨張してはち切れそうであった。荷物を背負い続けているせいで、肩も背中も限界に近かった。言うに及ばず、全身に鈍重な疲労感をおぼえていた。私はすでに満身創痍であった。疲労から来る睡魔が頭の働きを鈍らせて、未だ終わりの見えない行軍を一層辛いものとしている。そうしてふらふらと歩いていると、ふとした瞬間に靴底が摩擦力を失い、足を滑らせる。済んでのところで転倒を免れて息をつくことを繰り返していた。疲労を感じながらも緊張状態が続いているために、精神は肉体以上に摩耗していた。

(いっそ眠ってしまえたら)

 そんな思いが私の歩調を重いものに変えていた。

 いよいよ斜面は下るのを終え、農地に差し掛かった。細い車道の両脇は一段低くなっており、そこに田やら畑やらが広がっているように見える。一面は厚い雪に覆われ練絹をかけたようであり、なにがなんだか分からぬが、目を凝らせば畦に似た盛り上がりが見える。見回せば作物を入れるであろうカゴなんかも見える。前方には確かに道が続いていたが、家屋もバス停も看板もないだだっ広い雪原に、いつまで続くとも分からない細長い道が引かれているだけという代物であった。先に何があるかも判別がつかず、物言わず道は続くばかりのようである。

 私はとうとう歩みを止めた。そうすると膝関節の軋みと腓腹筋の痛みが意識されたが、しばらく立ったまま行く先を見ていた。行きのときには確かに澄んでいた青色の空は知らぬうちに薄曇りになっており、わずかに雲を透かして漏れ出でた薄光が雪原をかすかにきらめかせていた。雪はいやに白く見えた。雪は際限がないかの如くあたり一面に広がっていた。そして足跡一つ付いていない滑らかな様相を呈していた。

私は道端にゆっくりと腰かけた。道に落ちていた小石が尻に食い込んで存外に楽にはならなかったが、そのまま両手をついて後ろに体重を預けた。ずっしりと重く肩にのしかかっていた荷物も地面に下ろしてしまうと、ふっと肩の力が弛緩して浮き上がるように気が楽になった。

 空を見上げると雲は悠々と流れて行っているようである。かすかに動いているのが見て取れた。あたりはしんと静まり返っていて、雲に目をやっていると現実でないような、時とか空間がない世界にいるような感覚になる。

(このままずっとこうしていたいな)

 その一秒後には、(いい大人がこんなことを思うものではないな)と思い直したが、やはりそのあとはぼうっと雲を見ているばかりであった。一方で五体の疲弊を感じながら、他方でこの先どれだけ歩けば無事に帰れるかを考えると、自分が小さくなってしまったように感じた。涙が出そうになった。こんなことを思いながら、無理にあくびをした。


 ふと腹が鳴った。そうすると不思議と喉が渇いてきた。とっくにバッグの中に入っていた軽食のチョコレートやグミの類は食べつくしてしまっていたし、水も水筒の底に舌先を湿らす程度の量を残すのみであった。だからこれ以上食べることも飲むこともできない、やはり腹は減った。喉が渇いた。私が溜息をつくと、口から発せられた水蒸気は凍てつく外気に触れて白いけむりとなった。

(どうしたものか)

 漫然と思考を巡らせてみるが思うような答えは得られない。突飛な考えが浮かぶ度に、その考えを小さく首を振って打ち消した。ふと、この付近は察するに農地のようであるから、野菜の一つや二つ植わっているのではなかろうかと考えた。それも首を左右に振って打ち消した。

「そんなことをしたら泥棒と変わらないじゃないか。何を言っているんだ」

 声を出して強いて否定した。卑しい自分に腹を立てながらも、やはり腹は減る。空っぽになった胃が悲しげにうめき声を上げている。ひもじさに心もすっかり萎えてしまっていた。

 私はのっそりと立ち上がった。そして畦道から畑らしきところへと降りて、そこでもう一度しゃがみ込んだ。少し私は躊躇したが、やがて雪へと手を伸ばし、厚い手袋はつけたまま雪をひとつかみした。指が雪にクッと小さな音を立てて食い込んだ。小さな白いひとかたまりを手に掴んだ。少しそのかたまりを見つめた後に、私はそれに齧りついた。口内が急速に凍てつく感覚とともに、しみるような痛みが走る。舌は瞬時に感覚をなくし、表面に毛羽ができたような痺れがピリピリと走った。咀嚼すると水分に混じり砂粒や小石を噛んでしまう。飲み込むと冷たさが喉から食道を通過して胃へと流れていくのが分かる。そして胃を中心に体内の深部が冷え切る感覚が広がって、私は思わず身震いをした。私はもう一握の雪の塊を手に取って、また口に入れた。白い息を切れ切れに吐きながら雪を次々に貪った。

 だんだんと目に涙がにじみ始めた。眼からあふれ出した涙が雪へと落ちたが、真っ白な雪には跡も残さなかった。静かに嗚咽を漏らすと口から白い息が立ち上るのが滑稽にも思えて、それがまたみじめに思えた。私は忸怩たる思いであった。それでも餓えには抗いがたく、自傷行為を行うように雪を泣きながら食っていた。

 ふと雪を掴もうとしていた指がなにか異なった感触を伝えた。雪よりももっと硬い何かに指先が触れている。私が両手でソレを覆っている雪を掘り返してみると、下から淡い黄緑色をした球体の様なものが少しずつ姿を見せた。表面に残った雪を手で払うと、幾筋もの葉脈が見て取れた。それは果たしてキャベツであった。

 薄曇りだった寒空に間隙が生じたのか、掘り出したキャベツには橙色した陽光が差し込んできた。まだわずかに表面に付着した氷のつぶてに光が当たって、水晶のように輝いて見えた。


 どこかで冬に収穫したキャベツを雪の下に埋めておくと、キャベツは細胞を凍らせまいとして細胞内の糖を増やすと聞いた。それを聞いたとき、収穫された後の、言ってみれば死んでしまったキャベツがそのような応答を行うことができることが私には不思議でならず、詳しく調べてみた。するとどうやら収穫されて根を切り取られた後のキャベツは、劣化しながらも生命活動を懸命に続けるのだという。だから先述の現象が生じるのだという。それを知ったときに、すでに死にゆく運命にありながらも、最後の最後まで生きるために抵抗を行うのか、と中枢神経も感情も思考も持たないであろう植物に対して崇高さと感動を覚えたのをありありと思い出せる。


 しばらくそのキャベツを見つめていたが、ふと我に返って鼻を二回すすった。そして分厚い手袋で涙を拭った。掘り返したキャベツはもう一度雪の中に埋め直した。これを食べたいという気持ちもなくはなかったが、このキャベツを育てた人に申し訳が立たないのでやめにした。雪を食んだおかげで、空腹感は幾分かマシになっていた。

 すくりと立ち上がって空を見上げると、羽衣のように薄い雲を透かして日差しが下界を照らしている。一面に広がる雪原はざらめをまぶしたように小さく光を跳ね返していた。路傍に置きっぱなしの荷物を拾い上げて、弾みをつけて背中に背負い込んだ。まだ軋むような痛みを脚に少し残してはいたが、私は雪の中で一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪中にて タマハガネ @t4m4ha4g4ne

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ